第13話「異世界にも学校はあった!娘、魔導学園へ!?父、またしてもバグる件」
引っ越しを終えてから、ちょうど三日が過ぎた朝のことだった。
魔導学都レルファリアの閑静な住宅街に佇む新居。その二階にあるリビングダイニングには、朝の柔らかい陽光が斜めに差し込み、木目調のテーブルの上に浮遊する微細なホコリの粒子を黄金色にきらめかせていた。
器に盛られたのは、この土地特有の酵母で焼き上げられた香ばしいパンと、根菜がごろごろと転がる温かいスープ。まひるは木製のフォークを片手に、焼きたてパンの柔らかい中身をちぎっては口へと運び、もぐもぐと頬を膨らませていた。こんがりとした小麦の香ばしさとバターの塩気が口いっぱいに広がる。だが、その表情にはどこか晴れない影が差していた。
スープの湯気の向こう側で、手淹れのハーブティーを優雅に嗜んでいる父親——一真へと、まひるは物憂げな視線を向けた。
「ねぇ、パパ……。異世界にも、さ……いわゆる『高校』みたいな場所ってあるのかな?」
ふと漏れたその疑問に、一真はカップをソーサーへと静かに戻した。カチン、と陶器が触れ合うかすかな音が、静寂に響く。
「あるらしいぞ」
一真は至極あっさりと頷き、視線を窓の外の街並みへと向けた。
「昨日、冒険者ギルドの依頼板の横で、ゴツい鎧を着た連中が噂話をしていただろう。『魔導学園の推薦状がどうのこうの』『今年の特待生枠がどうした』とかな」
「え、もうそんな話が回ってんの……? 私、何か目立つことしたっけ……?」
まひるの頬がひきつる。自分としては、極めて平穏に、極めて控え目に異世界ライフを送っているつもりだったのだ。
しかし、一真は眉ひとつ動かさずに事実を指摘した。
「昨日、ギルドの地下倉庫にあった『解析不能の古代魔導装置』とやらを、お前が一瞬で直しただろう。内部回路から溢れる魔力の暴走を止め、制御魔法陣の結界を正常化させた。……噂によれば、『錬金術と古代魔導工学を完全に融合させた正体不明の超高等技術』だと、王都から出張してきていた学長代理の老人が泡を吹いて感動していたぞ」
「いやいやいや! ただ画面……じゃなくて魔導盤に謎のエラー構文が出てたから、論理演算のループを書き換えて構文のバグを直しただけなんだけど!? ただの環境設定の修正だよ!?」
身を乗り出して抗議するまひる。だが一真は、ハーブティーの湯気を吹き消しながら冷ややかな、しかし確信に満ちた声で返した。
「それをこの世界では『魔導コードの再構築』と呼ぶのだそうだ。つまり実質、お前は超高等魔導師だな」
「パソコンの不具合直したら魔導師認定!? どんな世界観の跳ね上がり方してんの!? それ、日本で言えば『ルーター再起動できたら国家情報長官』レベルの無茶苦茶さだよ!?」
頭を抱えるまひるの叫びが、木造のリビングに空しく反響した。
だが、事態はまひるの予想を遥かに超えるスピードで加速していた。
その日の昼下がり。太陽が天頂をわずかに過ぎ、街の木々が長い影を落とし始めた頃。
新居の重厚なドアノブがコンコン、と品良く叩かれた。訪れたのは、王立の伝書使節と思われる、漆黒の制服に身を包んだ若い使者だった。
受け取った書簡をテーブルに広げた瞬間、リビングの空気がわずかに緊張で張り詰める。
「……これ、羊皮紙の質からしてヤバいじゃん。金箔で縁取りされてるし……。『魔導学園-《セレフ・アカデミア》学園長より、直々の推薦状』って書いてあるよ……」
まひるは指先で滑らかな羊皮紙の感触を確かめながら、ひやりとした汗が背中を伝うのを感じた。
対する一真は、書類の文面を鋭い眼光で一瞥すると、静かに鼻を鳴らした。
「ほう。なかなか誠意があるな。学園長自らの署名か。文面にも一定の礼節がうかがえる」
言いながら、一真の右手が自然な動作で腰元へと伸びた。愛用の長剣の柄頭に指先が触れ、かすかな金属音がシャリ、と鳴る。彼の周囲の空気が、一瞬にして圧殺されるような絶対的な圧力を帯びた。
「ちょっとパパ!? なんで今、無意識に剣に手を伸ばしたの!? 敵襲じゃないから! 招待状だから! お願いだからまず話し合いで解決して!!」
「……いや。お前を怪しい施設に囲い込もうとする罠かと思っただけだ。娘の身の安全が第一だからな」
「過保護が過ぎて物騒すぎるのよ!」
まひるは慌てて一真の袖を引っ張り、剣から手を離させた。
封筒の中身を改めて確認すると、そこには「特別編入試験案内」と、明日行われるという「体験入学の招待状」が入っていた。どうやら、昨日ギルドで示してしまった“まひるの異常な才能”が、学園側に過剰なまでの興味を惹きつけてしまったらしい。
「……でもさぁ。いくら推薦されたからって、異世界の学校でしょ? 言葉の体系とか、歴史の教科書とか、日本のものとは全然違うじゃん。授業についていけるわけないって……」
まひるが弱音を吐くと、一真は親指で自分の胸を叩き、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「心配ない。この世界に落っこちてすぐのあの最初の数日間、俺が現地語を解析して編み出した『パパの超圧縮語学ドリル』で徹底的に叩き込んだだろう」
「……ッ!?」
その単語を聞いた瞬間、まひるの全身の毛穴が収縮し、腕にぶわっと鳥肌が立った。脳裏にフラッシュバックするのは、異世界漂着直後、連日連夜叩き込まれた、現地語・古代語・魔導言語のスパルタ暗記地獄。一真が恐ろしい精度で言語構造を解明・体系化した謎のドリルを無理やり頭に叩き込まれ、覚えるまで寝かせてもらえず、間違えれば一真の放つ無駄に圧迫感のある視線に晒され続けた恐怖の記憶。
「うわぁぁ懐かしすぎてトラウマ! あのドリル、今でもたまに夢に出てきて冷や汗書いて起きるんだからね!?」
「そうか。効果的だったようで何よりだ。あの時徹夜で現地語を解読した甲斐があった」
「反省の色がゼロ! ていうか漂着して数日で現地語マスターさせる親がどこにいるのよ!?」
そうして翌日。
快晴の空の下、一真とまひるの二人は、魔導学園へと足を運ぶこととなった。
王都レグナスの中央区画。整然と敷き詰められた石畳の通りを抜けた先に広がっていたのは、人々の常識をあっさりと吹き飛ばす圧巻の光景だった。
そこにそびえ立っていたのは、天を突くほどに巨大な塔型の校舎——魔導学園-《セレフ・アカデミア》。
最大の衝撃は、その構造にあった。無数の建造物や廊下、さらには円形の屋外庭園に至るまで、重力を無視して空中にプカプカと浮かんでいたのだ。建造物の下部には青白く光る巨大な魔導陣が展開され、キーーンという微かな高周波音が大気を震わせている。
「……すご。なにこれ、空飛ぶ教室があるんだけど……。どういう原理で浮いてるの……?」
まひるは口を半開きにし、見上げて首が痛くなるほどの高度に浮かぶ校舎を凝視した。風が吹き抜けるたび、空中の廊下がわずかに揺れ、そこに通う生徒たちが何事もないように歩いている。
隣に立つ一真は、腕を組みながら冷ややかな視線を浮遊校舎に向けていた。
「物理法則が、やる気を完全に行方不明にしているな。地盤補強の概念がない構造は見ていて不安になる」
「建築家みたいな感想やめて!?」
校門と思われるアーチ状の魔導門をくぐると、二人を出迎える一人の女性の姿があった。
風に揺れる銀髪は、陽光を受けてまるで絹糸のようにきらめいている。身に纏っているのは、深い紺色を基調とした隙のない教官服。年の頃は二十代後半ほどに見えるが、その背筋は一本のピンと張った糸のように伸びており、凛とした気品と圧倒的な威厳を漂わせていた。
彼女は二人の前に歩み寄ると、右手を胸に当て、優雅に一礼した。
「ようこそ、魔導学園-《セレフ・アカデミア》へ。わたくし、当学園にて実技及び魔導戦術教官を務めております、メルティアと申します。……昨日のギルドでの噂、耳にしておりますわ。まひるお嬢さまの類稀なる才能、ぜひともこの目で見分したく——」
「あっ、ちょっと待ってください!」
メルティアの言葉を遮るように、まひるが素早く、しかし遠慮がちに手を挙げた。
「ええと……まずその『お嬢さま』って呼び方、やめてもらえませんか? そういうの定着すると、クラスで浮いてあだ名が『姫』とか『高嶺の花』とか痛い感じになりそうで本気で怖いんで……!」
必死な面持ちで訴えるまひる。
メルティアは一瞬、紫水晶のような瞳を丸くしたが、すぐにその唇にふっと薄い笑みを浮かべた。
「……お見事。自らの立場を冷静に把握し、無用な羨望や嫉妬を回避するための自己プロデュース力。精神的な適応力に関しても申し分ありませんわね」
「なんで今ので加点されたの!? ただの保身だよ!?」
まひるのツッコミ虚しく、メルティアの手帳には手際よく評価が書き込まれていった。
こうして、まひるの体験授業が開始された。
案内されたのは、古代の羊皮紙と魔導書が壁一面に詰まった『魔導基礎理論』の講義室。壇上では初老の教授が、黒板に描かれた複雑怪奇な「高階魔導式」について熱弁を振るっていた。
だが、生徒たちの頭上には無数の「?」が浮かんでいる。魔法陣の循環効率が悪く、途中で魔力流が衝突して破綻しているのだ。
(あー……これ、変数宣言の順番がめちゃくちゃだし、ループの脱出条件が入ってないから無限スタック起こしてるじゃん……)
まひるは差し出された魔術羊皮紙と魔導ペンを手に取ると、ため息交じりにさらさらと修正案を書き走らせた。
現代日本のプログラミングで培った極限の効率化思考と、父から叩き込まれた「超圧縮語学ドリル」の言語解析能力が組み合わさった結果——。
「な……なんだと……!? 三百年解き明かされなかった『セレフの第二定理』の不完全構造が、たった三行の補正式で完全に最適化されただと……!?」
講義室内に、教授の叫びが響き渡る。
周囲の生徒たちが「あいつ、何者だ……?」「一瞬で式を書き換えたぞ……!」と騒然となる中、まひるは「あ、これやっちゃったやつだ」と遠い目をした。
——しかし。
娘が頭脳で学園を震撼させていたその裏で。
付き添いとして校庭のベンチで静かに待機していたはずの父・一真の身にも、想定外の事態が発生していた。
「——そこの貴様! 何をしている!」
腕を組み、空中の校舎を眺めていた一真のもとへ、怒号とともにドカドカと歩み寄ってきたのは、全身を分厚い重装甲の鎧で包んだ巨漢の男だった。学園の警備部門を統括する教官である。
「貴殿が本日から着任する予定の新任戦技教官か! 連絡より少し早いが……ふん、いい度胸だ。言葉よりも先に、まずはその腕前を見せてもらおう! さあ、手合わせ願おうか!」
教官は一真の威風堂々とした佇まいと、タダ者ではない殺気を敏感に察知し、完全に「腕試しの相手」だと誤解していた。
一真は静かに首をかしげた。
「……俺は保護者なのだが」
「ははは! 照れるな! さあ、あちらの訓練場へ来てもらおう!」
人の話を聞かないタイプの筋肉ダルマである。一真はふぅと短く息を吐き出すと、立ち上がった。
「……まあ、いいか。娘の授業が終わるまでの、ちょうどいい肩慣らしだ」
案内された校庭の特設訓練場。そこには、魔導学園が誇る防衛用の「特級古代訓練ゴーレム」が十体、ズラリと立ち並んでいた。体長五メートルを超える岩石と鋼鉄の巨躯。一撃で城門を砕く強度を誇る、学園最高の防衛兵器だ。
「さあ新任教官! まずはあのゴーレム一体相手に、自慢の技を見せてみろ——」
教官の言葉が終わるより先だった。
一真は、構えすら取らなかった。
ただ、右脚を静かに半歩だけ踏み出し、右拳を軽く引いた。それだけだ。
一切の溜めも、魔法陣の展開もない。自然体の中から繰り出された、ごく普通の「突き」。
——ドォン!!!!
大気が爆発した。
一真の拳から放たれた衝撃波は、不可視の超高圧の塊となって一直線に炸裂。
前面にいた特級ゴーレム一体を粉砕するにとどまらず、後ろに控えていた残りの九体のゴーレムをも巻き込み、一瞬にして微塵切りの粉末へと変えた。
それだけではない。衝撃波の余波は訓練場の地面をえぐり取り、削り取られた土砂が津波のように舞い上がる。周囲を囲んでいた耐魔防壁の結界はガラスのように粉々に砕け散り、直進した空気の圧力波が、はるか後方の丘の地形そのものを抉り取って平地へと変えてしまった。
静寂。
風だけが、砂塵となったゴーレムの破片を虚しく吹き散らしていく。
「な……ななな、なんだこの破壊力はァァァーーー!?!?」
警備教官は腰を抜かし、泡を吹きながら地べたを這いずり回った。
「魔……魔導戦争時代の魔神か!? いや、概念の具現化か!? もしかして貴様、人類の姿をした神そのものなのかーーー!?」
絶叫する教官に対し、一真は衣服についた塵を払うように、パッパと手を叩いて見せた。
「いや、ただの親バカです」
「説得力が皆無なんだよーーーーッ!?」
半日後。
体験授業および適性検査の結果が言い渡された。
まひるは当然のごとく「特別編入生」として、学園最高の特待枠で迎えられることが決定した。彼女の優秀すぎる頭脳と、現代日本のロジックと父のスパルタ教育が生み出した「次元の壁を越えた学習法」に、学園の教授陣は興味津々であり、早くも争奪戦の様相を呈していた。
そして、一方の一真はというと——。
学園長室のふかふかの応接セットに座らされ、深々と頭を下げる学園幹部たちから熱烈な要請を受けていた。
「一真殿……! ぜひ、ぜひとも当学園の『特別警備主任』として、週に一度でも構いませんので足を運んでいただけないでしょうか……! もちろん報酬はお望みのままに!」
「……俺の何が、教育機関に求められているんだろうな」
一真が呆れたように呟くと、隣で紅茶を飲んでいたまひるが、遠い目をしながらボソッと突っ込んだ。
「たぶん、パパの存在そのものが最大のセキュリティなんだと思うよ。敵が来ても、パパが一回殴ったら全滅するし」
「……物騒なセキュリティだな」
こうして、娘・まひるは新たな異世界での学園生活をスタートさせ、父・一真はまたしても“世界の前提条件と物理法則をバグらせる規格外の存在”として、学園関係者全体から畏怖と敬意を寄せられることとなった。
だが、当の本人たちにとっては、そんな周囲の大騒ぎもどこ吹く風であった。
手続きを終え、下校の途につく夕暮れ時。
支給されたばかりの魔導学園の制服に身を包んだまひるが、くるりとその場で一回転してみせた。紺色の生地に金の刺繍が施された、上品で可憐なデザインの制服だ。
「ねぇパパ。この制服、結構デザイン可愛いし、悪くないかも。……パパから見て、どうかな?」
少し照れくさそうに微笑む娘に対し、一真は腕を組み、深く頷いた。
「うむ。日本の女子高生の制服に比べてスカート丈が長く、布地が多い。露出が少なくて安心だ」
「……そういう親バカなことばっかり言うから、ギルドでも『鬼父』とか『過保護の魔王』とか陰口叩かれるんだよ!」
ぷっと頬を膨らませて先を歩き出すまひる。
その背中を、一真はどこか満足げな目を細めながら追いかけていく。
異世界にも、学校はある。
新しく始まる友達との出会いや、甘酸っぱい青春もあるだろう。
そして——
どれだけ世界が変わろうとも、最強のバグ親父は、どこまでもついてくるのだ。
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