第10話「王立魔法研究所で“プログラムをいじったら爆発した”ってマジですか!?」
王都レグナスの中央行政区。重厚な黒曜石の舗装が敷き詰められたメインストリートを抜け、立ち並ぶ官公庁の影を縫うように奥へと進んだ先に、その異様な建造物群は聳え立っていた。
天を突くように立ち並ぶ尖塔群。外壁には何重もの幾何学的な魔導陣が青白く刻まれ、上空の雲をわずかに渦巻かせている。空気を振るわせる低周波の振動が、靴底を通じて微かに足裏へ伝わってきた。
「……ちょ、なんか施設全体の雰囲気が完全にラスボスの拠点なんですけど」
まひるは首を大きく上へと傾け、見上げるほどの黒い尖塔群を指差した。その声には、十代の女子高校生らしい呆れと、どこか不穏なアトラクションを前にしたときのような興奮が交じっている。
「門の前に“無断立ち入り者は即刻処分。特別許可証の提示を義務付ける”なんて看板がデカデカと掲げられている時点で、碌な場所じゃないな」
一真は周囲の警備兵たちの視線を皮膚で感じ取りながら、胸の前で腕を組んだ。甲冑を身にまとった近衛兵たちが、明らかに自分たちをただの訪問者ではなく「極度危険物」として警戒し、手のひらを剣の柄から離そうとしない。
案内役を務めるクレメンタインの後ろにつき、分厚い鉄製の二重扉をくぐる。重々しい金属擦れ音が廊下に反響した。
案内された研究塔の最上階近く――「第一特別魔導演算室」と刻まれたプレートの残る一室は、雑多という言葉すら生ぬるい混沌に包まれていた。
天井まで届く本棚には、羊皮紙の書物や羊の革で装丁された古文書が所狭しと詰め込まれている。床には太い魔導ケーブルのような管がのたうち回り、室内の随所に設置された巨大な発光水晶が、不規則な明滅を繰り返して影を揺らしていた。空気に満ちているのは、古い紙の埃っぽい匂いと、高電圧に晒されたオゾンのツンとした刺戟臭だ。
足を踏み入れた途端、部屋の中にいた白衣や長衣を着込んだ研究員たちが一斉に作業を止め、入り口へと視線を向けた。その瞳に浮かんでいるのは純粋な探求心ではなく、あきらかな恐怖と戦慄だ。ひそひそとした囁き声が、機材の作動音に混じって漏れ聞こえてくる。
「おい……あの小柄な少女が、噂の……?」
「そうだ。先日の式典で、伝説の《ピヨン召喚》を実行し、都市の防衛結界を一時的に書き換えたとされる異世界の魔導士か……!」
「見てみろ、その背後に控えている男を……あり得ない威圧感だ。人間サイズの災害が立っているようなものじゃないか……!」
研究員たちの間では、すでにふたりは完全に《破壊神とその巫女》として認知されていた。まひるはひっつめ髪の頭をかきながら、「なんか勝手に凄い二名義付けられてるんだけど」と小声で眉をひそめる。
「――さっそくで誠に恐縮ですが、こちらの最新鋭演算装置をお試しいただけますでしょうか」
クレメンタインが恭しい手つきで提示したのは、部屋の中央に鎮座する異質な装置だった。
台座は彫刻が施された青銅製だが、上面には金属と水晶が組み合わされた、突起状のキー群が並んでいる。一見すると配列の乱れたレトロなタイプライターのようだが、中央の透過水晶には不規則なルーン文字がチラチラと明滅していた。
「うわーこれ、見た目はめっちゃ骨董品のレトロPC……。でも、内部から漏れてる魔力の干渉波形、完全に量子演算チップの挙動と同じじゃん。え、これ、本当に私が触ってもいいの?」
まひるの目が、ガジェット好きなエンジニア特有の光を帯びた。危険察知のアラートよりも、好奇心という名の欲求が上回る瞬間だ。
「はい。あなたの用いる謎のコード体系と、この端末の魔導回路を同調させ――」
「わぁぁぁ! ちょっと、勝手にログインしないでください!!」
クレメンタインの言葉が終わるより早く、まひるの指先は吸い寄せられるようにキーボード風の結晶体の上を走っていた。カチャカチャという乾いた水晶の打撃音とともに、ディスプレイ代わりの大きな水晶体へ、見たこともない文字列が高速で吐き出されていく。
「いや、だって……ルート権限のアクセス許可設定がガバガバだったからつい。デフォルトのパスワードのまま運用してたら、そりゃ一発で入られちゃいますよ」
「な、なに……!? この古代魔導端末の精神プロテクトを、一瞬で通り抜けたというのか……!? この子、本当にただの高校生……!?」
研究員たちが息をのむ中、まひるの指は留まることを知らなかった。彼女の脳内では、異世界の魔力を「数値化されたリソース」、ルーン文字の配列を「オブジェクト指向のプログラム」として自動翻訳する作業が行われている。
「よし、ちょっとコアの魔力暴走を抑えるパッチを当ててみるね」
まひるの手によって、運命のコードが魔法端末のメモリへと打ち込まれた。
def stabilize_core():
if mana_flux > threshold:
isolate_core()
else:
inject_sync_pulse()
――次の瞬間。
打鍵の余韻が残る端末の内部から、「キィィィン」という高音の耳鳴りのような励起音が上がった。水晶が青から禍々しい深紅へと色を変え、一瞬の静寂ののち――。
ドオォォォォン!!!
激しい閃光とともに、端末の側面に配置されていた副魔導炉のひとつが、見事な放物線を描いて爆破した。
破片と煤煙が室内へと爆散する。一真は瞬時にまひるの襟首を掴んで背後へ引き寄せ、己の身体を盾にして飛散する熱風と衝撃波を遮った。室内に充満する激しい焦げ臭さと、研究員たちの悲鳴。
「爆発したーっ!? ちょっと! 何したのまひる!!」
煙の中で口を押さえながら、クレメンタインが叫ぶ。まひるは一真の背中の陰から顔を少しだけ出し、頬に煤をつけたまま、気まずそうに人さし指同士をつつき合わせた。
「え、えーと……たぶん、“mana_flux”っていう変数名が、実際のシステムの内部レジスタ名と違ったんだと思います……」
「未定義変数エラーかい!? この世界に“未定義変数の参照ミスで魔導炉が物理暴走して爆発するバグ”があるなんて聞いてないんだけど!?」
黒煙が徐々に天井の換気口へと吸い上げられていく中、研究員たちは恐怖で腰を抜かしつつも、奇跡的に無傷だったメイン端末に残されたログへと這い寄った。
「待て……このコードの構造を見ろ。一部のロジックは極めて理性的かつ論理的だ……だが、命令の実行プロセスが完全に我々の知る魔術体系と異なっている!」
「しかも爆発したのは……数年前に制御不能となって封印されていた“呪装炉001型”のバイパス回路じゃないか!? まさか、内に溜まっていた不浄な魔力を外部へ安全に排出するための、これが正しい“停止・破棄手順”だったとでも……!?」
「爆発して粉々になったのに“解体成功”ってどういうことなんだよ!?」
困惑と興奮の渦が研究室を包み込む中、当のまひるはケロリとした顔で、手元の小さな魔導表示板を指で弾いた。
「でもでも、動作確認のデバッグログはしっかり取れてたよ。ログファイルにアクセスして、スタックトレースを解析すれば――」
「もうやめて! 私を含めて研究員たちのSAN値はもうゼロよ!!」
クレメンタインが頭を抱えて叫び、その場に膝をついた。
そんな惨状の中、娘の頭の上にポンと大きな手を置いた一真が、低く落ち着いた声で呟いた。
「……まひる。お前、暴走コードの解除手順に“強制再起動+物理爆破処理”を最初から組み込んでいたのか?」
「エンジニアの基本だよパパ。仕様が不明で命の保証がないデンジャラスな端末は、まず最初にヤバいモジュールごと吹き飛ばして初期状態に戻すのが私の流儀です」
「なるほどな。理にかなっている。お前、自衛隊の不発弾処理班か爆破解体班に向いているぞ」
「やだそんな将来設計! 私は普通にWeb系のVTuber事務所でエンジニアやりたいの!」
事態が収束した頃、爆音を聞きつけて駆けつけていた王立魔法研究所の所長自らが、煤で汚れた衣服も気にせず、深々と頭を下げてきた。
「まことに……まことに申し訳ございませんでした! 我らの浅学ゆえ、あなたの高度すぎる知性を理解しきれず……! ですが、あなたの持つその異界の知識は、間違いなく停滞したこの世界の希望です。どうか、当研究所の特命主任として正式にご協力を……!」
頭を下げ続ける老所長を見つめながら、まひるはちらりと後ろに立つ一真を見上げた。
「パパが良いって言うなら、私も手伝っても良いけど……」
「断る。制服のセンスがダサい」
「そこ!? 判断基準、そこだけは絶対に譲らないんだ!?」
一真の頑なな(そして見当外れな)こだわりの結果、ふたりは研究所との専属雇用契約をお断りし、「外部の気まぐれなアドバイザー」という緩やかな協力関係にとどめることで決着した。
――帰り道。
夕暮れ時の赤銅色に染まる王都の街並みを、ふたりは並んで歩いていた。石造りの建物が長い影を伸ばし、街道沿いの魔導街灯がぽつぽつと温かい橙色の光を灯し始めている。
「でもさ、パパ。なんだかんだ言って……この世界、ちょっとだけ楽しいかも」
まひるは舗装の継ぎ目をステップを踏むように跳び越えながら、振り返って微笑んだ。
「それはよかった」
一真は短く答え、ポケットに手を突っ込んだまま静かに頷く。
「ただ……私のうっかりで爆発させちゃったあの高そうな装置、弁償請求とかにならないかな……そこだけが心配なんだけど」
「安心しろ。お前の後ろにいた研究員たちの顔を見たか? 全員、“神の啓示だ”“壊れて聖化された”って目をして崇めてたぞ。請求書どころか感謝状が届く勢いだ」
「……異世界の人たちの価値観、やっぱりコワっ!!」
夕闇が迫る王都に、まひるのツッコミと、一真のわずかな苦笑いが溶けていった。
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