第5話 A
ボクには分かる。
彼女はボクを怖がってない。
彼女はあの男を怖がっていた。
「アナン、こっちこっち、パスだ!」
オダ先輩とサッカーをしている間、ピンクの女子の試合が気になった。
「ゴメンナサイ」
「アナンのせいじゃないさ。もともとそんな強くないんだよ。俺たち、な?」
オダ先輩の友達は、皆いい人たちだった。
「オサキニシツレイシマス」
「ああ、また明日、バイトでな」
女子チームはもう居なかった。
皆と別れて、急いで帰る。
ママを怒らせたくない。
◆
「アナン!遅いじゃない!」
「ごめん、ママ、乗り継ぎが悪くて」
息が切れて喉が痛い。
「ペナルティ・ワンよ」
絶望的な気持ちになる。
「ほら、服出しといたから、シャワー浴びて着替えてきなさい」
「はい」
久しぶりのペナルティだ。
最近、ママを上手く避けられてたのに。
「今日は、誰に会うの?」
「アナンの新しいお父さんになるかも知れない人よ」
まさか……だろ……
「ほら、行きましょう」
そう言って連れてこられたのは、メルヘンな外装の一軒家みたいなレストランだった。
「メラニー、こっちだ」
恰幅の良い日本人男性が席を立ち手招きをした。
隣に座っていた女の子が振り返った。
「あれ?あなたフットサルコートにいなかった?」
「いたけど」
ボクにはこの子の記憶がない。
「エミリって言うの。今日はよろしくね」
「ああ。アナンだ」
英語での会話はストレスが少ない。
「今日はよろしく、メラニー。パパがあなたの話ばかりしてるわ」
「まあ、いい話だといいのだけど。エミリはいくつなの?」
「21歳よ」
「あら、じゃあアナンと同い年ね」
「そうなんだ!アナンはどこの大学に行ってるの?」
前菜が揃い、飲み物で乾杯をした。
「アナンは学校には行ってないの。遊び代が欲しくて、バイトばかりやってるのよ。エミリからも言ってやってちょうだい」
テーブルクロスの下から、ママの手が伸びてきた。
太ももの内側を触ってくる。
何を考えてるんだよ!
睨みつけた。
(ペナルティ)
口の動きだけで、ボクの怒りはやり込められる。
「私は美大に通ってるの。今日はお友達とフットサルの試合に参加したんだよ」
「そう。文武両道で素晴らしいお嬢様ね」
「そう思う?!私、メラニー気に入ったよ。パパ、デート頑張ってね」
はしゃぐエミリの隣で、ボクは席を立つきっかけを窺う。
「エミリはアナン君と仲良くできそうか?」
ずっと聞き手だったエミリの父親が言った。
「兄妹が出来るなんて嬉しいかも!アナン、かっこいいし」
「そうか」
目尻を下げて娘に微笑む父親。いい人そうだ。
「ねえ。若い二人でデートしてきてもいい?」
エミリが言い出した。
「こんな堅苦しいとこ、私たちみたいな若者にはきついよね?もっとカジュアルなお店に行こうよ、アナン」
「いいね」
迷わず起立した。
「え?今から?」
ママの目に怒りが宿り始める。
「いいじゃないですか、メラニー。ここからは大人達だけで楽しみましょう。お会いできてよかったよアナン君、エミリをよろしく頼むね」
「はい」
◆
川が見えるカフェのようなところに来た。
エミリがボクの腕に絡ませている腕を解く。
「二名様でよろしいですか?」
オープンテラスのテーブルで、パスタと紅茶を頼んだ。
「アナンって意外とノリがいいんだね。そう言うの好きだよ」
「話したいことがある」
「なあに?深刻な顔してどうしたの?」
言わなきゃならない。エミリもエミリのお父さんも、あの人の正体を知らないから……騙されないように、ボクが真実を告げないと……胃から何かが込み上げてくるようだった。
紅茶を一口すする。
「大丈夫?様子がおかしいよ?」
口がからからに乾く。
「ボ……ボクはママと肉体関係を持っている」
ポカンと口を開けたエミリが、手からフォークを落とした。
ガチャンと大きな音が立った。
「はい?」
「ママはボクにそういう関係を強要してくる。子どもの時からずっと」
おでこが熱くなり、こめかみが潰れそうに痛かった。
「本気で言ってる?」
「こんな話、聞きたくないと思うけど、エミリのお父さんはいい人そうだから……ママとは仲良くしない方がいい」
「え。アナンはママが好きだから、パパの応援したくないってこと?」
「そうじゃない。全然違う。あの人は変態なんだ」
やっと言えた。
伝わったかな。
「嘘……」
「残念だけど」
「そんなの虐待じゃん。ちゃんと警察に行った方がいいよ」
「もういいんだ。ボクは、もう自立する。最初にそういう手段が思い付けばやっていたかもしれないけど、幼かったんだ。今となっては……蒸し返したくない」
エミリのグレーの目が色を失った。
「パパになんて言おう」
「ボクにも分からないけど、とにかく、あの人には関わらない方がいい」
別れたリチャードさんは3人目の夫だった。
正体を隠して近付いて、離婚するときにお金をもらう。
ママはそのお金で、ボクのような孤児を買っていた。
アメリカに置いてきた、たくさんの弟達を思い出す。
「どうして話してくれたの?」
「だから、それは、エミリとエミリのお父さんに傷ついて欲しくないから……それと……」
エミリが目に涙を溜めている。
「誰かに聞いて欲しかったから」
とうとう溢れて、ぽたぽたと粒がお皿に落ちた。
「何とかしてみる」
エミリは怒った顔で言った。




