第4話 M
昨日は起きられなかった。
あの男は仕事を休んで、私を抱き潰した。
……痛った
立ち上がる脚に力が入らない。
「みぃ、無理しない方がいい」
「でも」
土曜日だけど、ここに居たくない。
「課題が終わらなくて」
「大学に行くのか?送って行くよ」
「大丈夫です。駅で買いたいものもあるから」
どうか、これ以上は……
「そうか。気を付けて行って来て」
よかった。
シャワーを浴びてTシャツとジーンズを着た。
髪を結ぶ時間も惜しくて、急いで部屋を出る。
「行ってきます」
足早にエレベーターホールを抜ける。
日差しを浴びて、日傘を忘れたと思ったけど、もういい。
道路工事の音が響いている。
あの陽気な外国人は今日もいてくれた。
「おはようございます」
今日はこちらから声をかける。
「オハヨウゴザイマス」
あれ?固まった?
じっと目が合った。
「アノ……レディバグ」
「ん?」
指された指の先を見たら、髪の毛にてんとう虫が付いていた。
「きゃっ!怖い!」
「コワイ?」
「あの、私、虫触れなくて……取ってもらえませんか?」
毛先から顔に向かって登ってきてる!
いやーっ!
「ウゴカナイデ」
彼はそっと髪に触れ、拳の中に虫を納めた。
「ミル?」
「見ない」
彼はおかしそうに笑いながら、手を開いて虫を飛ばした。
赤い七星てんとうは、空に飛んで行った。
「どうもありがとう……」
「アナン、ボク、ナマエ、アナン」
「ありがとう、アナン。私はみいな」
「ミィ……」
「あ、みぃで止めないで。みいなって、『な』までちゃんと言って欲しい」
「ハイ、ミーナ」
◆
誰もいない教室で、キャンバスの前に座る。
この絵の終着点が分からない。
もう完成のような気もするし、永遠に完成はしないような気もする。
「あれ!みいな、いたんだー」
「エミリ」
「昨日はどうしたの?授業サボって何か楽しいこと?」
「逆。体調悪くて」
「そっか。じゃあ、無理かな。いや、でも言ってみるだけ……ダメ元でお願いがあるんだけど……」
「なに?」
「明日さ、フットサルの試合があるんだけど、参加してくれない?」
「え……出来ないと思うけど」
「大丈夫、大丈夫。立ってるだけでいいから。急に一人来られないって連絡あってさ、女子だけの大会ってそんなに開催されないから、それ目標にずっと練習してきたんだけどさー、もぉ、あと一人誰でもいいから来てって感じなの」
「え、でも、私、やったことないし」
「平気、平気。ほんと、立ってるだけでいいから」
「何にも持ってないし」
「靴もユニフォームも貸すよ、お願い」
祈られても……
「負けても自分のせいとか思わなくていいから、このままだと不戦敗なんだよ?そんなのなくない?せめてさ、試合くらい出させてくれない?お願いします!」
そこまで言われちゃ……
「分かった」
「キャーッ!」
エミリに熱烈なハグをされて、明日の時間と場所をスマホに送ってもらった。
さて。
問題はあの人にどう話すか……
◆
「お帰り、みぃ」
「ただいま」
「今日は私が料理をするから、みぃは座って待ってなさい」
緊張する。
この男へのお願いは危険だ。
代償が高くつくから……
「明日、友達と出掛けていい?」
「友達って?」
「大学のエミリって子に、フットサルに誘われたの」
「みぃが?」
笑ってる。
だよね。
自分でも、らしくないって思うし。
「一人足りないんだって」
「どこでやるの?」
「駅デパの屋上、14時集合」
何気ない感じで言えたかな。
別にサッカーがしたいわけじゃない。
ここで二人きりになりたくないだけ。
「明日か」
この人は滅多に外出を許可しない。
今回もだぶん駄目だろうって思う。
エミリに謝りの文面を考え始める。
「私も見に行こうかな」
「え?」
「行っちゃまずい?」
「いいえ」
驚いた。
「遠くでこっそり見るだけにするから」
「いえ、別に。エミリには学校まで送ってもらっているのを見られてるし」
「そうか。じゃ、構わないよな?」
「はい」
◆
ここでサッカーなんてできるの?
エレベーターで『R』を押してみる。
屋上に行けるなんて知らなかった。
「みいな!こっちこっち!」
ピンクのユニフォームの集団のもとへ。
「あー!彼氏と来たんだ!ラッブラッブー」
「そんなんじゃ……」
「いつも、みいながお世話になってるね」
否定してもらえなかった。
「いえいえー。私以外はみいなも初対面なんです。この子が香港出身のメイ、そんでこの子がフィリピン人のジュエル、最後に、この子が韓国のジウ。私は半分アメリカ人だし、ジャパニーズのみいなで、多国籍チームの完成だー!」
「「「おーっ!」」」
みんなノリがいいな。
「私たち、家からユニフォーム着てきちゃったの。悪いんだけど、みいなはトイレで着替えてきてくれる?」
「うん」
袋を受け取って、トイレに向かう。
あの男がついて来なくてホッとした。
エミリに任せておけば、害はなさそう。
みんな普通の女の子だった。
私も髪を結べば、素人っぽくない。
ゲームが始まったら、話は別だけど。
トイレを出て、靴を履き替える。
フットサル用のシューズ、初めて。
ベンチに腰掛けて、靴ひもを緩める。
「ミーナ」
「はい」
上げた顔の先にアナンがいた。
赤と黒のストライプのユニフォーム。
すごく似合ってる。
「偶然だね」
「ハイ」
もう交わす言葉が見つからない。
下を向いて、靴ひもを結ぶ。
「モット、キツク」
「え?」
アナンが私の足元にしゃがんで、靴ひもを引っ張った。
「ケガスル」
「あ、ありがとう」
アナンが赤い顔で笑った。
それが日焼けのせいかは分からない。
「みぃ」
ビクッとなった。
「みんなお待ちだよ」
「はい」
「こちらは?」
アナンとのやり取りを見られたかな。
「クツ、オシエタダケ」
「ああ、ありがとうね。さ、行こう」
二の腕を掴まれて、歩き始める。
アナンにこの男の存在を知られて、泣きたくなった。




