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第3話 A

「アナン、なにずっとニヤニヤしてんだよ」


 コンビニのバイトリーダー、オダ先輩にからかわれた。


「昨日からだよな?その顔してんの。あの、カフェラテのお姉さんが来てからだよな?」


 先輩の勘は恐ろしくいいな。

 ふいっと向きを変えて、品出しに行く。


「アナン、おい、アナン」


 だって彼女は覚えててくれたんだ。昨日ボクが言った「明日もお待ちしています」を。すごく嬉しかった。今日は来られないって言ってくれて、嬉しかった。


「なあ、でも、あのお姉さんお金持ちそうじゃなかったか?」


 ボクだってそう思う。まあ、ボクから見たら、この辺に住んでいる人はみんなお金持ちだ。


「おい、アナン、無視すんなよ」


 先輩はおしゃべりばっかりだから、ボクは仕事をする。クビになったら大変だから。



   ◆



 今日のバイトは5時から12時が道路工事、15時から22時がコンビニだった。


「オツカレサマデシタ」


 日本人は一緒に働きやすい。みんな真面目だ。


「アナン、一緒にメシ食ってくか?」

「オーケー」


 先輩とよく来るラーメン屋だ。ボクはここのチャーシュー麺が大好きだ。


「あのさ、アナンってサッカーできる?」

「ウン」

「週末さ、フットサルのメンバー足らないんだけど来られる?」

「Sunday?」

「そう。コンビニバイト入ってないだろ?」

「ヨル、イクトコアル」

「あー、遅くなんない。俺たちメシ食ってくけど、アナンは抜けていいよ」

「オーケー、イク」


 オダ先輩と友達になれてよかった。

 ボクはタイ生まれだけど、両親はいない。

 いないってことはないんだろうけど、知らない。

 路上で物乞いをしていたら、高そうな服を着た白人の女性に拾われた。それからはサンフランシスコで生活をしてきた。去年、ママはリチャードさんと離婚して、ボクたちは日本に来た。


 木造のアパートの階段は鉄で出来ていて、歩くとカンカンと音がする。隣の人を起こさないよう、静かに上る。201号室。入ってすぐキッチンがある。トイレはあるけど、風呂はない。


 明日も会えるかな。


 カフェラテのお姉さん。


 朝が苦手かも知れない。


 いつも元気がないと思う。


 前から知ってた。


 あまり笑わない。


 綺麗な人。



   ◆



 タオルを持って家を出た。お風呂屋さんはすぐそこだ。


「アナン」


 体が固まる。


「ママ」

「あなた、少しは私の電話に出なさい」

「ごめん。忙しかったから」

「はいはい。いつもそればっかね。元気でやってるの?」

「はい」

「日曜の件を確認に来たのよ。ちゃんとスケジュール空けてるんでしょうね」

「はい」

「そんなみっともない格好では行かせられないから、一旦、家に寄りなさいって言いに来たのよ。大事な人と会うんだから、必ず約束を守ってちょうだいね」

「大丈夫です」


 ママは真っ赤な高級車に乗り込んで、キッスを投げてきた。

 ほっと、体中の力が抜けていく。

 帰ってくれてよかった。



   ◆



 ほんのり明るい5時前に家を出る。

 日本はお日様の時間が長い。


「おはよう、アナン」

「おはよう、サムチャイ」


 彼もまたタイ人だ。でもボクとは違う。

 ボクはタイ語をほとんど覚えていない。

 お互い片言の日本語か、だいたい英語で話している。


「今日も仕事頑張ろうな」

「うん」


 着てきた制服に持参したヘルメットを被り、赤色灯を持つ。


 すっかり明るくなって、ランドセルの子たちが通り始める。


 そろそろお姉さんが出てくるはずだ。


 おかしい。


 今日は学校がお休みなのかも知れない。


 会えなかった。


「アナン、また明日な」

「ああ、また明日」


 大きな鞄を背負ってファミレスに移動する。

 バイト先の控室で工事の制服を脱ぎ、ここの制服に着替える。


「よろしくお願いします」

「ヨロシクオネガイシマス」


 今日のシフトのパートナーは、ボクの苦手なカワサキさん。

 年が近いと思うけど、彼女はボクの事が嫌いみたいだ。いつもビクビクしている。


 離れよう。近くにいると、彼女はボクを気にして仕事にならない。

 お姉さんの事を考えながら、ドリンクバーに補充をしていく。


 ボクはお姉さんについて、もう少し知っている。

 彼女はたぶん、アーティストだ。

 キャンバスを持って歩いていた。


「イラッシャイマセ」


 自動ドアが開くたびに確認する。


 もちろん、お姉さんのはずがない。


 分かっているけど、『もしかしたら』があるかもしれない。


「あの……」

「ハイ」


 カワサキさんが話しかけてくるのは珍しい。


「そんな風にお客さんのこと脅して楽しいですか?」

「タノシイ?」


『脅して』が分からなくて、言いたいことが分からなかった。


「お客さん、怖がってますよ」

「コワイ?」

「日本語、たどたどし過ぎません?」

「タドタド……スミマセン」


 怒らせてしまったから謝る。


「もう!だから怖いの!」


 カワサキさんは行ってしまった。


 怖い?ボクは怖いのか?

 お姉さんもボクが怖いのか?

 だから、元気がなかった?


 お姉さんは勇気を出してコミュニケーションを取ってくれただけなのに、浮かれてしまった。そうだよな。ボクは親にも愛されないし、ママの道具でしかなくて、あんな綺麗なお姉さんに好かれるはずがない。


 期待するな、アナン。


 ズキズキと胸が痛む。


 ボクは大丈夫だろう?


 今までみたいにこれからだって、頑張れるだろう?




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