第2話 M
昨日もらったワンピースを着る。
「18時に迎えに来るから、それまでに帰宅しておくように」
「はい」
今日は1限はないけど、家に居ても息が詰まる。
白と黒が基調になっているモノトーンで揃えられた家具や内装には、温かみを感じない。壁に掛けられた私の油絵だけが場違いに浮いている。
朝食の食器を下げて、洗濯機を回す。
することが無いから、ベランダから外を見る。
「ハイ、キヲツケテ」
彼は今日もにこやかに挨拶を振りまいている。
洗濯物を干すのは、忘れたことにすればいい。
急いで靴を履いて、家を出る。
エレベーターを降りても目線は上げない。
遠くから見てるって気付かれたくない。
「オハヨウゴザイマス。イッテラッシャイ」
声を掛けられて顔を上げた。
「ありがとうございます。行ってきます」
彼の前を通り過ぎて立ち止まる。
「あの、今日はコンビニ行けません」
振り返って言った。
「ダイジョウブ」
はにかんだ笑顔の彼と目が合った。
◆
「あ!それ!エミリも欲しかったワンピ」
創作の時間で一緒になった。
「先越されたかー、もしかしてイケオジに買ってもらったとか?」
「……うん」
「やっぱ、お金持ってる年上彼氏は最高だよねーうらやまー」
絵の具で汚さないように、エプロンを着けて袖を捲った。
「はい!おしゃべりしてる余裕はないはずですよ!今月中に提出してくださいね。完成できなかった人はゴールデンウイーク返上で学校ですよ!」
先生がこちらを見て注意した。
スパチュラで練った絵の具をキャンバスに置く。
筆に持ち替えて、色を広げていく。
あ、また地味になってる。
最近、同じような色ばかり使っている。
新しいパレットに、赤い絵の具を出す。
思い切って塗ってみる。
「みいな、それ、すごくいいわ!」
先生に褒められた。
地味な色で塗り固められたキャンバスに灯る赤。
悪くない……のか。
◆
時間きっかりに、あの男は帰って来る。
「出掛けられるか?」
「はい」
玄関に向かう途中で腕を捕まれた。
「もう少し化粧っ気が欲しいな」
そう言われてもアイテムを持っていない。
「ほら」
小さな紙包みをもらった。
「急いで」
開けたら赤い口紅が入っていた。
鏡の前で塗ってみる。
似合ってない。
「悪くないよ」
悪くない……のか。
「タクシーを待たせてる。急ごう」
「はい」
道路工事は夜もやっていた。
でも彼はいない。
コンビニだろうか。
タクシーの後部座席の扉が開いた。
「さ、乗って」
先に乗ってシートベルトを探していたら、手が伸びてきた。
「ほら、みぃ」
「ありがとうございます」
嫌いな香水の匂い。吐くかも。
「会長にはみぃのこと、預かってる親戚の子って言ってあるから。通常、うちのデザイン部は新卒は採らないらしいんだけど、みぃのこと話したら会ってみたいって」
会うだけ。
「懐石料理だけど、甲殻類は抜いてもらってるから安心して」
「はい」
◆
会長はもっと年寄りだと思っていた。
この男とあまり変わらない。
「深海みいなさん、お話は九条君から聞いてますよ」
「初めまして。よろしくお願いします」
「会長、本日はお時間を頂き、誠にありがとうございます」
「堅苦しい挨拶は抜きだ。さあ、乾杯しよう。深海さんはお酒は飲めるのかな?」
「いいえ」
男たちはビールを、私はウーロン茶にした。
「専攻はなんだったかな?」
「現代アートです」
「おお。それは、それは、ちょっとおじさんには難しい世界かも知れないな」
「今度、みいなの絵を見てください。身内の好と言われるかもしれませんが、なかなか上出来なんです。次の品評会は学祭だったか?」
「はい」
「10月に大学をご案内させてください。かなり盛り上がりますよ」
「ははは。楽しみにしていますよ」
お腹はいっぱいになっていた。
男たちは日本酒を何本も頼んでいた。
「こちらで最後のお料理になります」
ようやくデザートがきた。
「さて、九条君、後はここは君に任せて構わないかな」
「もちろんです」
「では、みいなさん、食べ終わったら一緒に出ましょうか」
「……」
会長と?
「え、いえ、会長、みいなは私が連れて帰ります」
「なに言ってんだ。子どもじゃないんだから、一人で帰れるよな?それとも九条君は、なにか?過保護なのかな?」
アイスクリームが喉を通らない。
「いえ。でも、彼女は私の従妹からお預かりしている大事なお嬢さんなので」
「もう立派な成人女性だ、な?自分のことは決められる歳だろう?」
上を向かない。目は合わせない。
「さすが、美大の女子大生はしおらしくて可愛らしい。是非、もう少し話してみたいね」
「会長、みいなは連れて帰ります。明日の授業もありますし」
「君、本気で言ってるのかね?」
この男を頼りにしたのは、これが二度目だ。
◆
一言も交わさず帰宅した。
「みぃ、怖い思いをさせたね」
この家の明かりはオレンジ色で暗い。
「償わせて欲しい」
ワンピースのチャックを下ろされる。
キャミソールの胸元から、じめッとした手が入り込んでくる。
「怒ってるかい?」
「いいえ」
丸裸にされてベッドに押し倒された。
自分は服を着たままの男が、私の胸に舌を這わす。
動けない。
私はこうなると動けなくなる。
「みぃ、こっちを見て」
顔は向けるが焦点は合わせない。
「みぃ、ほら、脚を開いて」
ああ。早く朝が来て欲しい。




