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第46話 M

「君、は……」


 九条の顔は見えない。


 アナンは無表情のまま、お辞儀をした。


「アナン、中で待っててくれる?」


 そう言って、九条を隣の部屋に連れて行く。


「ちょっと待ってくれ、みぃ……」


 私が持ち手を押しているのに、九条がリールを押さえて反抗している。


 手の平に巻き付けた包帯が赤く染まっていく。


「傷口が開くよ」


「アナン君とはいつから……」


 答える必要はない。


 無視して、開錠し、九条をドアの向こうに押しやった。



 ◆



 ドアを開けるなり、アナンの胸にしがみつく。


 強く抱き寄せて、私たちの距離を無くす。


 大きく吸い込んで、体の中もアナンで満たす。


「キャシーに聞いたんだ。大変だったね」


 アナンは私の顔が見たいんだと思う。


 体をのけ反らせて、離れようとする。


「だめ、もうちょっと」


 アナンの胸でくぐもった声でお願いした。


 小さく息をついてから、アナンはもう一度私を抱きしめて、背中と頭を撫でてくれる。


「ありがとう、アナン」


 どれくらいそうしてもらっていただろう。


 落ち着いてきて、離れても大丈夫そうだったから、アナンを解放した。


「ごめん、ミーナ」


「なんでアナンが謝るの?」


「あんなのと関係があるボクの過去を言えなかった」


「気にしてないよ。アナンのせいじゃないでしょ?」


「そうかもしれないけど……でも、どこかで繋がっている気がして、事件にボクは無関係じゃない」


「それでもアナンと出会えて、私は嬉しいんだし。幸せ」


「ありがとう」


 アナンに両腕を大きく擦られる。


「ミーナ……本当に何ともない?どこも痛いとこない?」


 私の体側を上下するアナンの手を掴む。


 脇腹にそっと置く。


「ここぶつけた」


 九条の車椅子の持ち手が当たったところ。


「見ていい?」


「うん」


 アナンがブラウスの裾をスカートから引っぱり出す。

 ちらっと捲って、中を覗く。


「色は変わってないよ」


「でも……痛かった」


「冷やす?」


「ううん」


「じゃ……温める?」


「うん」


 そのまま二人でベッドに倒れた。


 アナンのキスがお腹に降り注がれる。


「まだ痛い?」


「うん」


「どこが痛い?」


「ここ」


 そう言って胸を指す。


「ボクもだよ」


 そう言って、アナンは涙を零しながら、私の胸にキスをした。


 同じ痛みを持つ私たち。


 どんな未来が待っているのかな。



 ◆



 ギャラリーの2日目。


 昨日の騒動で、良くも悪くもなのか……


「すごい人ですね」


「ああ。残ったアーティスト達が上手くあの場を取り仕切ってくれたらしい。九条さんの怪我が致命的でなかったことも不幸中の幸いってところだな」


「雅さん、エミリと会えました?」


「昨日、会えたよ。待っててくれたんだ」


「食事は行けたんですか?」


 嬉しそうにデートの約束をしたと言ってたから。


「軽くね」


「よかった」


 心配そうにしていたエミリの様子が浮かんでくる。


「エミリは……メラニーのこと知ってたんですか?」


「ああ。彼女は全部知ってるよ」


 メラニーがアナンの養子先の母親だという事……


 雅さんの昔のパトロンだったという事……


 エミリは知っていて……だから、


 あんな不安な顔をして会場の陰から見てたんだ。


「相談してくれたらよかったのに」


 思わず口から出てしまった。


 はっと手で押さえる。


「エミリを悪く言ってるわけじゃ……」


「分かってるよ。本当に仲良しなんだな。お互いのことを思ってるから、みいなちゃんからそういう言葉が出て来るし、エミリは言わなかったんだと思う」


「はい」


 もしかして、エミリは私と九条のことも知ってる?


 もちろん今はもうそんな関係ではない。


 けど、雅さんのように『昔のこと』と割り切れない。


 私の心はまだ、どこか九条の支配下にある。


「みぃ」


 昔から、この人は気配が薄い。


「おはようございます」


「ああ。おはよう。昨日は……眠れたのか?」


「はい」


 アナンは今朝早くにホテルを出た。


 この人の事だから、そんな事きっと知ってるはず。


「みぃ、悪いんだけど、手が痛いから車椅子を押してもらえないか?」


「それなら私が……」


「雅君は、悪いんだけど、コーヒーを買って来てもらいたんだが。みぃのも、頼んでいいかな?」


 雅さんが私に目をやったので、瞬きをして『大丈夫』と告げた。


「ちょっと、二人で話がしたい」


 雅さんが離れるなり、九条の本音が出た。


 私は会場と控え室の間の廊下へ九条を連れて行った。


「みぃ、昨日のあれはなんだ?あまりにも酷いと思わないか?」


「いいえ」


「私は自分の人生をみぃに捧げてきたんだ。みぃの幸せが私の幸せだと知っているだろう?」


「……」


「みぃの才能を開花させ、こうして作品を世に知らしめ、君にこれほど尽くしてきたのに……何が気に入らないっていうんだ?」


 頭では分かっている。


 この人はお金も時間も惜しみなく私に費やした。


 だけど、それは私がお願いしたことじゃない。


「もし、気に入らないことをしたのなら謝るよ」


 息をしているはずなのに、苦しくなってくる。


 言いたい事があるはずなのに、言葉にならない。


「みぃ、君の一番の理解者は私だろう?今回の……アナン君のことは大目に見よう。みぃがちゃんと立場をわきまえてくれたら、これまで通りの生活を約束しよう」


 そんな生活求めてなくて、

 だけど、離れられる気もしなくて……

 本当に、私にできる?


「考える時間をあげよう。マンハッタンに滞在している間はみぃの好きにしていい。すっきりとした気持ちで日本に帰ろう」


 九条が車椅子を自分で動かした。


「お待たせしました」


 胸を大きく上下させながら雅さんが戻って来た。


「そこで会ったんだ。お連れしたよ」


 その視線の先に、アナンが居た。




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