第38話 M
九条をホテルに残して、ギャラリーに向かう。
ずっと雅さんに準備を任せきりだった。
「休憩中?」
入り口の階段に座ってコーヒーを飲んでいる2人に声を掛ける。
「ああ。サボってるのがバレちゃったな」
「遅くなってごめんなさい」
「荷ほどきは済んだの?」
「はい。あらかた」
エミリの元気がない?
どうしたんだろう。珍しい。
「エミリ、さっきは凄かったね」
「え?」
「お仕事モードのエミリ、かっこ良かった」
「そう?」
「うん。尊敬しちゃうよ」
てっきり『わーい』って抱き付いてくれると思ったのに。
「どうかした?」
「え?」
「お腹空いたの?」
「もう……!」
怒ってるの?
咄嗟に雅さんを見る。
「俺じゃない、俺じゃない……」
雅さんは手の平を左右に振りながら、奥に逃げて行ってしまった。
「エミリ?」
「ごめんね、みいな」
「どうしたの?」
「黙ってた事があるの」
「なあに?」
固く目を瞑って、息を詰めている。
可哀想で見ていられない。
思わず、背中に手を当てる。
「あのね……アナンがいるよ」
「……」
アナンって聞こえたけど、
アナンって言ったよね、
「マミーの事務所で一緒に働いてるの」
「アナン……」
「そう」
◆
雅さんと開梱作業を進める。
今回は売れたら絵は即日取り外して、次の絵を掛けるというので、皆、ありったけの絵を持ち込んだ。
涼くん、KIRAHOSHIさん、クマさんは、オープニングの直前に到着する。
だから、ここに最初に掛ける絵の選択は、私たちに任されている。
「とりあえずこれで最後だな」
「はい」
雅さんは、さっきのエミリとの会話には触れないでいてくれた。
私は心がどこかに持って行かれてしまったかのように、さっぱり集中出来ていなかったから、おかしいと思ったはずなのに。
「この後、どうする?」
「えっと……」
「友達と会う?」
「いえ……」
「九条さんなら、俺に任せとけ」
「え?」
「こっちの心配はしなくていいから、エミリと楽しんで来いよ。大学の同級生なんだって?」
「はい」
もうそんな話したんだ。
エミリも雅さんも人付き合いが上手だな。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
「遅くなるようだったら連絡頂戴。迎えに行くから」
「ありがとうございます」
お兄さんがいたら、きっと雅さんみたいな人だったかもしれない。
◆
「みいな!連絡ありがとう!」
よかった。
エミリが復活してる。
「ごめんね。お仕事終わった?」
「もちろんだよー。アナンも来るから、先にお店に行ってよ?」
「うん」
なんだか体が軽くなったみたい。
ふわふわと飛んで行っちゃいそうだから、エミリの腕に絡みつく。
「わーい!私たち、めっちゃ仲良しじゃん!」
「ふふふ」
お洒落なワインバーに連れてってもらった。
「みいな、お酒飲める?」
「あんまり。でも、今日はちょっと頂こうかな」
エミリのおすすめの白ワインをグラスで。
「「乾杯」」
「アナンが来る前に、改めて、謝らせて」
「え?」
「アナンの事、黙っててごめんね」
「別に……」
何とも思ってなかったけど、もしかして……って思ったら、急に怖くなった。
言わなかったのには理由があるの?
お願い……付き合ってるとか……それは……
「アナンがみいなに会えるのすごく楽しみにしてて、なんか焼き餅やいちゃったんだよね」
「え?」
「女の嫉妬ってやつ?別に、アナンが好きって訳じゃないんだけど、誰もかれもみいな、みいなってちやほやされてる気がして」
「そんな……」
全然そんなことないのに。
「だから、ほんのちょっぴり、意地悪な気持ちになっちゃって。ほんと、ごめんね」
いつも笑顔のエミリが、真剣な顔でこちらを見ている。
「怒ってないよ。意地悪とも思ってない」
むしろ、アナンに会わせてくれてありがとうって思ってる。
「みいなは優しぎるんだよ。『ごめん』って言われたら、なんでも許しちゃうんじゃない?」
「そんなことないよ」
口にした白ワインが甘く酸っぱく感じた。
ジャズが流れるウッド調の店内は、男女のカップルや、小人数のグループでテーブルが埋まっていた。
みんなとても背が高い。
外国に来たんだな、と改めて実感が持てた。
「ミーナ」
頭上から降り注いだ声に固まる。
あの何度も繰り返し思い出してきた……
私の心をくすぐり、焦がす、あの声……
ああ。みっともない。涙が勝手に溢れて……
「ダイジョウブ?」
この世で一番好きな、私に元気をくれる魔法の言葉。
「アナン」
ゆらゆらと揺れる視界に、夢にまで見た好きな人が納まっていた。
「会いたかった。すごくすごく会いたかった。ずっとずっと会いたかった。嬉しい。会えて嬉しい、アナン!」
「ミーナ……」
アナンが私の肩に手を置いた。
「アナンあんたさ、まさかとは思うけど、みいながなに言ってるか分かんないんじゃないでしょうね?!」
エミリが英語でまくしたてた。
「しょうがないよ。だって、もともと日本語は得意じゃなかったし、こっち来てから一度も使ってないんだ。『アリガトウ』と『ダイジョウブ』しか覚えてないよ……」
アナンの英語が分かる。
今の私は、アナンの言ってることが理解できる。
「英語の勉強してきたの。だから私も会話に加われるよ」
ずっと頑張ってきた成果を発揮する。
「「OH!!」」
2人のこの顔が見られて幸せ。
「I missed you」
ずっと言いたかった言葉を口にできた。




