第34話 A
Dear ミーナ
とうとうこの日がやってきたね。君にこの町を案内する準備は出来ているよ。どんな絵を持って来るんだい?ああ。本当に会いたかった。こうして出さない手紙を書き続けて、自分を励ます日々にはさよならをしたいよ。また隣で君の笑顔を見せて欲しい。
九条さんのギャラリーまであと5日。
絵の搬入や、準備で九条さんとミーナとMIYABIが、今日やって来る。
ボクはキャシーの通常業務があるけど、エミリは出展の手伝いもあって、ミーナと会えるらしい。いいな。
「行ってきます」
空に放たれるレディバグの絵。
ミーナとボクの出会いの思い出。
9月のマンハッタンは少し秋を告げてくるけど、ボクの気分は春のように華やぐ。
機嫌がいいのは、気候のせいではないけれど。
「おはよう、アナン」
「おはようございます。キャシー」
「悪いんだけど、この書類をエミリに届けてくれない?」
「え?」
「大した書類じゃないんだけど、あった方がいいと思うから」
そう言ってキャシーはボクに片目を瞑った。
「いいんですか?」
「嫌なら、行かなくていいのよ」
「いえ!行きます!行きたいです!」
ボクは書類の封筒を持って走り出した。
この事務所からギャラリーまで12ブロックもある。
でも、大丈夫だ。これくらい今まで待ち望んだ時間を考えれば何ともない距離だ。
◆
息を切らして会場に着いたが、誰もいない。
無造作に置かれた箱を開いて、作業をしている男性が一人いるだけだった。
「なにかご用かな?」
「あの、ミーナに」
と言ってから、間違いに気づく。
「いえ。エミリに渡したいものが……」
「生憎、2人とも外していてね。代わりに預かっておこうか?」
「いえ、大丈夫です」
大した書類じゃないとは聞いているが、見ず知らずの人に預けるほど世間知らずではない。
「そうだよな。連絡取ってやろうか?」
「いいえ。お邪魔してすみませんでした」
残念だけど、きっと今日じゃなかっただけだ。
またチャンスはやってくる。
諦めて帰ろうとした。
「申し訳ないんだが、少し手伝ってもらうわけにはいかないだろうか?」
「え?」
「ちょっと、そっちを支えてて欲しいんだが」
「構いませんよ。こうですか?」
大きな絵だ。
そして重い。
「ありがとう。もうちょっと高く」
「はい」
絵を見たら、MIYABIとあった。
「これがMIYABIか……」
つい口走ってしまった。
「知ってるのか?」
「いえ。すみません」
「君も絵を描くのか?」
「いいえ。全く。ミーナのファンってだけです」
「そうか。君もか」
やっぱり。ミーナのファンは多いんだな。
「私がMIYABIです。是非、私の絵のファンにもなって欲しいな」
「あ。アナンと言います。法律事務所でエミリの助手をやっています」
「そう。それで」
MIYABIさんは背が高くて、髪が長くて、セクシーな男性だ。
ボクとは正反対の人種って感じだ。
「ミーナの絵を見ていくか?」
「あるんですか?見たいです!どこですか?」
あ。喜び過ぎたか?
MIYABIさんが引いてる。
「こっちだ」
作業を止めて、奥の部屋に通してくれた。
「……」
息を飲んだ。
「感想は?」
「あの……」
「言葉にならないだろう?」
「はい」
画面越しに見たのでは伝わらない、とてつもない迫力があった。
「彼女の絵には熱がこもっている」
「熱?」
「ああ。熱がないと絵は描けないんだよ。彼女の絵には熱を感じるが、それが何の熱かが分からない。そこが彼女の絵の特徴だ。近くで見てごらん」
そう言われて絵に顔を近付ける。
至る所に、鮮血のような赤や、純白の白い絵の具が隠れている。
「離れていると分からないだろう?」
「はい」
「その赤や白が彼女の絵の熱を支えている正体なんだ。遠目では見えないが、彼女の核心があちらこちらに散りばめられている」
絵には詳しくないが、MIYABIさんのいう事が理解できる。
「怒りや憎しみもまた巨大な熱量を持っていてね。最初は、彼女はそう言った重たい感情をベースに描いているのだと思っていた。でも、どうやら違った。彼女はもっとシンプルな情熱をもって描いている。例えば、愛のような」
「愛……」
「そうじゃなきゃ、こんな絵、何枚も描けると思うか?まったく。敵わないよ」
そうなんだ。MIYABIさんでさえ、敵わないと言わせるミーナはやっぱり天才なんだ。
◆
封筒とトールラテを持って事務所に戻った。
「あら。ありがとう」
キャシーにラテを渡し、しょんぼりと席に着く。
「会えなかったみたいね」
「はい」
「気にしなくていいのよ。本当に大した書類じゃないんだから」
「はい」
真面目に働かないといけないのに、お世話になっているキャシーの言葉が耳を素通りしてしまう。
『例えば、愛のような』
ミーナは誰を想って描いているのだろうか。
ボクであって欲しいけど……九条さんか……MIYABIさんか……さっき目にした光景が瞼から離れない。
「……ナン、アナン」
「は、はい。すみません」
「具合が悪いなら帰っていいわよ。今日は忙しくないから」
「いいえ。具合は悪くありません」
一人になりたくない。
だって今、この街に解き放たれたら、ボクはどこへ飛んでいっていいか分からない。




