第31話 M
共同開催個展の2日目、土曜日。
「私は10時に着くように出るよ」
「はい」
1時間前に私だけ出発する。
することなんて特にないけど、ここには居たくない。
到着するなりKIRAHOSHIさんが話しかけてくれた。
「みいなさん、昨日、売れたんですね!凄い凄い!」
「ありがとうございます」
「売却済み貼られてたの、みいなさんと雅さんだけですよ!平日の初日で2人も!今日は頑張んなくちゃねって、他のみんな張り切ってるんだぁ」
「うん。今日はもっと多くの来場があると思うし」
雅さんがやって来た。
「早いね」
「はい。何となく」
なんだろう。オーラのある人だと思う。だけど、この人にはあまり緊張を感じない。
「おめでとうを言ってたんです!雅さんも!」
「ありがとう。九条さんのお陰だよ」
どうして、ここに九条が出てくるの?
「あ!集客ですか?やっぱり!」
「ああ。あの人が個展の招待状を送ってくれなければ、昨日は、誰一人来てくれなかったかも知れない」
「そうですよねー。観光で来た人が何十万もする絵を、その場で買うわけないですよね」
気分が悪くなってくる。
「九条さんってやっぱり凄い人なんだ!ねえ?みいなさん?」
「どうしましたか?顔色が悪いようですが……」
「ちょっと、失礼させてください」
立っていられなくなりそうで、カウチに移動して腰掛ける。
「大丈夫か?」
そう言って、雅さんが支えてくれた。
「すみません」
雅さんが私のおでこに手を当てて、それからそっと足を持ち上げてくれた。
カウチに足を伸ばして、上半身を雅さんに預ける。
「熱はないようだ。貧血かな?少しゆっくりして」
「ありがとうございます」
目を瞑って呼吸に専念する。
「余計なことを言ってしまったかな」
「何のことですか?」
「九条さんの名前、聞きたくないんだろ?」
呼吸が乱れないように、吸って、吐く。
「大丈夫です」
「君は強いな」
雅さんは何を言ってるんだろう。
頭の中が白く冷たくなっていくのを、繋ぎとめるのに必死だ。
意識を失うわけにはいかない。
「オープンまでもう少しある。起こしてあげるから眠るといい」
そう言って、いい香りのする柔らかいものを掛けていただいた。
◆
昨日と客足が段違いに多い。
気付くと、お昼近くなっていた。
「みぃ」
車イスのリールを回しながら、九条がやって来た。
「昨日、売れたってね」
「はい」
喉までせり上げてくる、聞きたい。
『あなたが呼んだんでしょう?』
なんなら、買うように頼んだのかも知れない。
「どんな方だった?」
「初老の男性です」
「そうか」
いけない。また呼吸が……
「片桐さんです」
雅さんが現れて、私の肩に寄り添うように立ってくれた。
「ああ。片桐さんか」
「一目で気に入られたようでした」
「それは良かった」
九条が嬉しそうに笑っているのを見られない。
思わず雅さんの肩に顔を埋める。
「みぃ……招待状は送ったが、君の事を特筆するようなことはしていない。片桐さんはあくまで個展に来て、たまたま気に入った絵を購入されただけだ。誤解しないで欲しい」
信じられたらいいのに。
この人に何度、騙されてきたことか。
「俺も同意見だよ。片桐さんは人に頼まれて絵を買うような方じゃない。でなければ、俺だって買ってもらえてるさ」
雅さんがぎゅっと私の手を握る。
なんて温かい手。
「みぃ、ここは私がしばらくいるから、少し休んできなさい。雅君、お願いできるかな」
「はい」
雅さんに手を引かれて、ガーデンテラスに移動する。
日差しのぬくもりで、凍り付いていた体が溶けてくようだった。
「九条さんは本当のことを言ってると思うよ」
「はい」
「みいなちゃん、もっと自信を持って大丈夫だ。君の絵は魅力的だ」
面と向かって、こんなにじっと目を見て。
もしこれで嘘をついているのだとしたら──
雅さんは、世界一の詐欺師になれるだろうな。
「はい」
ほんの少し、自信が持てた。
◆
「ありがとうございました」
「昼食は?」
「いいえ。食欲がないので」
「そうか」
九条がポケットから何かを取り出した。
「気が向いたら」
そう言って手を差し出すので、受け取った。
キャラメル……
「ありがとうございます」
子どもみたい。
少し笑ってしまった。
「私がどんなに頑張っても、みぃの絵に魅力がなければ売れはしない。人を呼ぶことは少しは出来ても、買わせることは決して出来ないんだよ」
「はい」
雅さんの助言もあってか、少し素直に話を聞けた。
「今回のメンバーを数人連れて、ニューヨークで個展を開こうと思う」
「……ニューヨーク?」
「そうだ。雅君を筆頭に、みぃも連れて行く。君たちが海を越えてどこまで通用するか、腕試しと行こうじゃないか」
かつてアナンと話した夢。自由の象徴。
「いつですか?」
「9月を考えている」
「本当ですか?」
期待を裏切られるのは慣れている。
でも、傷つかないわけじゃないから。
「まだ構想段階だ。期待し過ぎないでくれ」
「はい」
どこに居るかは知らないけど、少なくとも同じ国……
アナンと同じ空の下……
どうしよう。嬉しい。
「いい事でもあった?」
雅さんだ。
コーンスープの缶をくれた。
「ありがとうございます。あの……」
まだ構想段階だった。
危うくしゃべってしまうところだった。
「雅君は知ってるよ」
九条が言った。
「アメリカの話、聞いたの?」
頷く。
「楽しみだよな」
「はい」
嬉しくて……押さえきれない笑みが零れてしまった。




