第21話 A
アパートの前にママの車が停まっている。
会いたくないが、あそこを通らないとミーナが待つ家に帰れない。
「なんの用?」
運転席のドアを叩いた。
「なんの用じゃないわよ。アナン、あなた困ったことになっているわよ」
「はあ?」
「税金を納めてないって、税務署からクレームがあったわ」
「納めてるけど?」
給与明細から勝手に引かれてるんだ。
納めないなんて、システム的に無理だろう?
「もしかしてバイトの掛け持ちしてる?」
「もしかしなくても掛け持ちしてるよ。一カ所じゃ、一人暮らしなんてできない」
週28時間までしか働けない。
そう教えてくれたのはママだ。
「……そう」
ママがニヤッと笑った気がした。
「じゃあ、時間を越えてしまったのね?あんなに気を付けるように言ったのに」
「気を付けてるよ。週に28時間を超えないように、バイト先には頼んであるし、実際、そうだよ」
「一カ所につき、28時間じゃないわ。全部のバイトを合わせて、週に28時間よ」
息が止まった。
「そんな。掛け持ちできないなんて言ってなかったじゃないか!」
「掛け持ちはできるわよ。でも、合計で28時間を超えないようにしないと駄目よ。当たり前でしょ、バカね」
「まさかだろ!週に28時間しか働けないんじゃ、食べていけないよ!」
「それは、私のせいじゃないわよ。そういう、日本の法律なんだから、恨むなら、日本の政治を恨みなさい」
腹が立ってきた。
ママは、敢えてボクに誤解させるような言い方をした。
家を出たいと言ったとき、思いの外、ママは反対しなかった。
おかしいと思ったのに……まんまと嵌められた。
「で、どうすればいいんだよ」
「追加の税金の請求が来てるわ」
そう言って紙を見せられた。
「こんなに?嘘だろ」
「この国は外国人に厳しいわよね。私宛に請求書が届いたから、とりあえず立て替えておくわ。延滞しても、金額は増えるばかりだもの。あなたが私に返しなさい。すぐにとは言わないわ。家の解約とか、いろいろと手続きがあるでしょうから。じゃ、また近いうち」
ママはアメリカ産の高級車で去った。
◆
「……ナン、……アナン」
はっと我に返る。
「これ、嫌いだった?」
出された食事はなんだったっけ?
「ゴメン、スキ、デモ、アタマ、イタイ」
「あ、体調悪いの?気付かなくてごめんね。横になる?」
「ハイ」
どうしよう。ママに見せられた請求額は、ボクが貯金してきた金額とほぼ同額だった。
貯金が無くなるのはいいとしても……働けないんじゃ、もう、ここには住めなくなる。
ボクとミーナの安全地帯を、ボクは守れない。
「大丈夫?」
「ダイジョウブ」
ミーナに心配をかけたくないから、笑顔を見せる。
凹んでいても仕方がない。誰か頼れる人に相談したい。
◆
道路工事はもうすぐ終わる。
このバイトは期間が決まっていたから、次を探さないとと思っていたけど、それはもうできない。
「サムチャイ、この後、少し話せないかな」
「珍しいな。いいよ。あの公園でコーヒーでも飲もう」
自動販売機で冷たい缶コーヒーを2本買った。
1本、サムチャイに渡す。
「サンキュ」
税金の事なんて、友達に聞いて分かるのだろうか?
「サムチャイは週28時間の規定を守ってる?」
「週28時間……あ、あれね。オレはもうその条件はクリアしてるんだ」
「どうやって?」
「アナンは知らないのか。日本人と結婚したら、働く時間制限は無くなるんだ」
「そうなのか?」
「ああ」
だから、サムチャイは毎日のように道路工事に来ていたし、他の仕事とも掛け持ちしても構わないのか。
結婚……
ミーナと、は、いくらなんでも……
冷たいブラックコーヒーの苦みがボクの気持ちと溶けあう。
「アナンも誰かいい人いないのか?」
「いない。好きな人はいるけど、結婚は難しいと思う」
「そうか。週28時間しか働けないと、生活できないだろ?」
「それで困ってる」
「これまでどうしてたんだよ」
「制度を分かってなくて、時間オーバーで税金の取り立てが来た」
「まじかよ!扶養してもらってる家族に知らせが来た感じか?あと、お前、来年の住民税もガツンと上がるぞ」
「住民税?」
「日本の税金は種類がいろいろあって、あっちこちから取り立てられるんだ。来年の住民税用に、金取っとけよ」
本当に頭が痛くなってきた。
◆
次の仕事に行くサムチャイと別れて、一人でベンチに残った。
さてこれからどうしよう。
「アナン君」
呼ばれた方を見ると、九条さんが立っていた。
「申し訳ない。みぃの様子が気になって、君のバイトが終わるのを上から見てたんだ」
マンションから工事現場と隣接した公園は丸見えだった。
「みぃはどうしてる?」
「ご飯を作ってくれます」
「大学には行ってそうか?」
「はい。毎日行っています」
「なら、良かった」
本当に安心したように、九条さんは息をついた。
「みぃから何か聞いたか?」
「いいえ」
二人の間に何があったのか、ボクには分からない。
「申し訳ないが、しばらくの間、みぃをお願いできるかな。臍を曲げてるだけだと思うんだが、年頃の女性は私みたいな年の頃には理解できなくてね」
九条さんは本当にミーナが心配みたいだ。
最初、ボクはミーナが九条さんを怖がっていると思っていたが、違った。
この前、ミーナは堂々と九条さんの家を出る準備をしたし、手を出してお金を受け取っていた。
ボクとママとの関係とは似ても似つかない、対等な関係なのかもしれない。
「君には迷惑をかけるが、みぃの機嫌が直るまでよろしく頼むよ」
そう言われても、ボクの人生は行き詰ってしまっている。
「ごめんなさい。ボクもいつまであそこに居られるか分からないんです」
「どうした?困りごとか?」
迷わないわけではなかったけど、もう他にアドバイスをもらえそうな人がいない。
「税金の支払いが……手持ちのお金が尽きてしまうんです……」
「それは大変だね」
九条さんは両ひざに組んだ両手を乗せて、頭を落とした。
「私にできることはあるかな」
「ミーナに謝ってください。早く機嫌を取って、帰るように言ってください」
「いいのか?みぃがいなくなっても」
良くはないけど、ずっと一緒に居られたらいいと思うけど、その選択肢はないんだ。
「ミーナが幸せなら大丈夫です」
◆
「タダイマ」
家に着いたらこう言うのだとミーナに教えてもらった。
「お帰りなさい、アナン」
九条さんと会ったことを言うべきか?
「体調はどう?今日は消化によさそうなものにしたよ」
「?」
「えっと、ヘルシー」
「Ah……アリガト」
ミーナの笑顔を見ると、ぎゅっと心臓を掴まれたような気持になる。
細い麺がスープに入った料理が出された。
優しい匂いがする。
「食べられる?」
「ハイ」
ミーナを帰して、ママの家に行く日のことを考えたら、どうしたって食欲は失せる。
ボクは一生懸命、ミーナの料理を啜った。




