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第17話 M

 うん。

 いい感じ。

 アナンは喜んでくれるかな。


「あの小さいの、そんな感じに仕上げたんだ」

「うん」


 5月の課題より先に、アナンにあげる絵が完成した。


「どうしようかな……」


 九条さんにはすべての作品を見せるように言われている。

 課題で描いたものも、そうでないものも、彼が管理する。


 九条さんは、どうやら本気で私の絵を売るつもりでいる。

 こんな学生の遊びみたいな作品に値が付くとは思えない。


 友達にあげるために描いた売れない絵は、対象外だよね。


「でも、ここに置いておいてもな」


 ずっと学校には置いておくわけにもいかず、持ち帰ることにした。



  ◆



「みぃ、明日、ここにみぃの絵を見に人が来るから、作品をリビングに集めておいてくれるか?」

「はい」


 この家はギャラリーのように見えなくもない。

 デコレーションを伴わないモノトーンの家具は無機質で、アートを引き立てるためにあるみたい。


「誰が来るんですか?」

「個人コレクターだ。居られるようなら同席してほしいが、学校があるなら、そちらを優先させて」

「はい……明日は、午前の座学だけだけど……戻った方がいいですか?」


 九条さんにはできるだけたくさんの絵を描くように言われている。

 課題だけではなく、とにかく数を多くこなせと。


「課題は?」

「まだできてません」

「じゃ、そっちが優先だ」

「はい」


 洗濯ものを取り込みながら、どうやってアナンに絵を渡そうか考える。

 エミリから連絡先を聞いてしまったけど、まだ直接連絡はしていない。


「みぃ、ちょっと手伝って」


 九条さんが壁と格闘している。

 よく見れば、この家の壁はピクチャーレールだらけだ。


「悪いんだけど、そこ押さえて」

「はい」


 こんなにたくさんあったっけ?


 壁から吊るしたり、直接床に置いたりして、あっと言う間に部屋中が油絵で埋め尽くされた。


「迫力あるな」

「はい」


 自分で描いたものとはいえ、向き合っているのはいつも一枚のキャンバス。

 並べるだけでこんなにも威圧感があるなんて。



  ◆



「え。みいな、もう帰るの?」


 座学の後、アトリエで課題に取り組んでいた。


「うん。気になることがあって……」

「なに?九条さんの事?」


 そうと言えば、そう。

 違うと言えば、違う。


「明日、話すね。お先に」


 エミリにそう言って、帰路についた。


 個人のコレクターがアーティストの自宅に行って絵を買うなんてことあるのだろうか。


 期待はしてないつもりだけど、気にはなる。


「ただいま……」

「お。みぃ、早かったな」

「お客さんは?」

「さっき帰られたところだ」

「そう」


 部屋を見回す。

 壁の絵に欠けたところはない。


「気になるか?」

「はい」

「反応は良かったんだが、ちと、サイズが大きすぎたらしい」

「ああ」


 ここにあるのは確かに一枚一枚が大きい。


「でも、売れたぞ」

「え!」

「全部、出しとおけって言ったのに、みぃ、一枚忘れてただろ」

「いいえ……」


 と言ってから、部屋に駆け込む。

 アナンの小さい絵は、私のクローゼットに隠してあった。


「ない」


 どうして……


「九条さん、あれは!」

「あれは?なんだ?」


 見たことがないくらい、九条さんは怒っていた。

 部屋の温度が一気に高まる。


「全て、と言ったよな?みぃの絵は『全て』私に見せなさいと」

「はい」

「では、あれはなんだ?」

「お友達にあげようと……だから、作品とは思っていなくて……」

「私に隠したと?」

「すみません」

「悪いが、あの絵はお客さんが気に入られたので売った」

「売ったの?」

「ああ。8万にしかならなかったが、最初に売れた作品だな」


 アナンを思いながらアナンのために描いた絵が、顔も知らない人に持っていかれてしまった。

 あれは、私とアナンにしか分からない、共通の思い出だったのに。


「勝手なことしないでください!」


 初めて九条さんに怒りをぶつけた。


「それは、こっちのセリフだ」


 背中を向けて行こうとする九条さんの肘を掴んだ。


「返してもらってください!」

「そんなことできるか!」

「大事な絵なんです!」

「また描けばいいだろ!」


 そういう問題じゃない。

 私は、その場で座り込んで、子供みたいにえんえんと声を上げて泣いた。



  ◆



「いい加減、機嫌を直してくれないか」


 九条さんが、さっきからドア越しに謝っている。


 いいえ。

 今回ばかりは無理。

 私は頭にきてるから。


 被った布団の中で握りしめたスマホが震えるのを待っている。

 さっき、アナンに『会いたい』って送った。

 既読がつかないからバイト中かも。


 ブブッ


 来た!


『Are you coming to the convenience store?』


 ぎゃ!英語……でも、これくらいならなんとか……


『yes』


 もうすぐ22時。

 バイトが終わるのかな。


 ドアに耳を当てて、廊下の様子を窺う。

 人気はなさそう。

 そっとドアノブを捻る。

 真っ直ぐ玄関に向かって、靴を手に持った。

 音が出ないように鍵を開け、押した扉に体を滑り込ませる。

 ゆっくり玄関を閉めてから、私は靴を履いた。


 1階にあるエレベーターを待っていられなくて、非常階段を使う。

 5階建ての3階、はやる気持ちを抑えきれずに、最後の階段はジャンプした。


 アナンに聞いてほしい。

 絵を取られた、この気持ちはアナンに聞いてもらわないと成仏できない。




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