第15話 A
ミーナが泣いた。
エミリも泣いてたけど、涙の意味は違うだろう。
大人たちが言っていることの意味はよく分かってなかったけど、ミーナが困っているのが伝わってきた。ミーナは言いたいことが、うまく言えないのだと思う。
「アナン君、ちょっといいかな」
女の先生がミーナとエミリを連れて行き、ボクは九条さんとガーデンテラスに座った。
「コーヒーでいいかな?」
「ハイ」
きっと余計なことを言った。
アートの知識なんてまるでないくせに、偉そうに。
ミーナに迷惑をかけてしまった事を謝りたい。
「ゴメンナサイ」
「何を謝ってるんだ?」
「ゴメンナサイ、ミーナ、ゴメンナサイ」
すると、九条さんは流暢な英語でしゃべりだした。
「謝る必要はない。むしろ感謝している。先生も私も最初から君と同じ感想を持っていたんだ。だけど、みいなにはその自覚が無かった。彼女はおそらく『何となく描き終えた』気分だったんだろう。だけど、あれは何となくでできる事ではないんだ。彼女はあれほどまでの才能がありながら、まったくもって自分に自信がないという欠点がある。良く言えば謙虚な姿勢は長所にもなり得る。先生はその欠点を長所に変えたくて、あんな意地悪な言い方をしただけだ」
自信を無くさせてるのは、あなたじゃないのか?と言いたくなった。
でも、九条さんを怒らせるのは、ミーナにとってよくはないはずだ。
「彼女が自分に自信が持てない理由に心当たりはないんですか?」
突っ込んだ質問だとは思う。
でも、聞かずにはいられない。
「あるよ」
九条さんはコーヒーをブラックのまま口を付けた。
ボクは砂糖とミルクを入れた。じゃなきゃ、こんなの飲めやしない。
「ある……出来事をきっかけにね、長年犯してきた過ちに気が付いたんだ。それまで、私は自分の気持ちばかりを優先させて、だけど、それは彼女もまた望んでいる事だと、思い違いをしていたんだ」
九条さんは悲しそうな目で遠くを見ていた。
「償えるとは思っていないけど、償いたいと思っている。彼女を心から愛しているんだ」
おかしいと思っていたピースが、カチリと音を立てて嵌った気がした。
今日のミーナの態度や表情、九条さんの振る舞いは、ボクが想定していた地獄とはほど遠いものだった。
「ミーナには、そのことを言ったんですか?」
「言えるわけないだろう?許して欲しいと言えば、彼女はきっと、何だって許してしまう」
この人はミーナを分かっている。
そして過ちを反省している……任せても大丈夫なのだろうか。
「なーに?怖い顔してぇ」
エミリとミーナだ。
笑顔を作る。
「それで?私とみいなの絵、どっちがいいか結論は出たの?」
「ミーナ、ゼッタイ、ミーナ」
「もぉ!このやろー、ふざけんなー」
エミリが明るくて、ボクも九条さんも、そしてたぶんミーナも、みんな助かった。
◆
「帰りは助手席に乗りたーい!」
エミリが騒いで、ミーナはあっけなく席を譲った。
「楽しかった?」
ボクの右隣でミーナが囁いた。
「ハイ」
どういうわけか、ボクは心臓のコントロールを失い、激しく打つ心臓のビートがミーナに伝わるんじゃないかと余計にハラハラした。
「ありがとうね。さっき、私の絵を褒めてくれて」
ミーナは前を向いたまま、ぽつりと言った。
「ホント、ミーナ、アート、イイ」
もっと日本語を勉強しようと思った。
「アナンも絵を描きたいの?」
「チガウ」
「そうなんだ。私、てっきり絵を描きたいのかと思ってた」
「チガウ。ミーナ、アートダケ」
「本当?」
こっちを向いて目の奥を覗かれる。
ボクの何かが捕まって、ミーナから逃れられない気がした。
「ホント」
ふんわりと笑って、ミーナはまた前を向いた。
目を放してくれてよかった。このまま見続けられたら、ボクの汚い部分が耐えられそうになかった。あの時、ボクが九条さんに感じた虐待の予感は確かに当たっていた。でも、どうやら今は悲劇は起きていないらしい。ミーナと九条さんは、ボクとママの関係とは違う。ミーナはもうあの屈辱に屈することはしていないんだ。
「あの絵、気に入ったのならあげようか?」
「チョット、オオキイ」
「そうか。そうだよね。邪魔だよね」
「ジャマ?」
「迷惑って意味」
「イイエ」
迷惑なんかじゃない。けど、きっと困る。
ミーナを近くに感じるものを部屋に置くのは怖い。
あんな絵があったら、きっと、ボクは息ができなくて溺れてしまうだろう。
九条さんの運転は上手いと思う。
車の性能も良さそうだ。
まったく揺れない車内で、ボクは軽く目を瞑った。
左手にひんやりとした感触があって、でも、それが何なのかボクは最初分からなかった。
指の間に滑り込んできた、その冷たい棒が、ミーナの指だと気が付き、ボクは手を引っ込めた。目を瞑ったまま、ミーナを見ることなく、ボクは逃げた。
◆
「九条さん!どうもありがとうございましたー」
「いいえ。エミリちゃんもこれからも頑張って描いてね」
「はい!じゃ、みいな、アナン、またね」
「またね」
「Bye」
エミリを送り届けて、今度はミーナが助手席に座った。
一人になった後部座席に安堵する。
ミーナはどうして手を触った?
SOS……じゃ、ないよな……




