第8話 婚約、ぶっ壊してみせましたわ! ……でも、こんな結末予想外過ぎますわ!
すべての事を済ませ、着替えを終えたエミリアがパウダールームから出ると、廊下でイザベラが待っていてくれた。
借りたドレスは少し丈が短い。化粧は汗で落ち、髪は崩れたままで真珠の首飾りもどこかへ行ってしまった。
それでも、イザベラはやさしい目でエミリアを見る。
「私のお部屋に参りましょうか。そこで少しお休みしましょう」
二人は、すぐ隣のイザベラの自室に入った。
静かで誰もいない。ここなら、階下の喧騒も気にならない。イザベラに謝るのには、絶好の場所だ。
エミリアは、部屋の中央まで進むと深く息を吸った。
そして――床に膝をついた。
「エ、エミリア様!?」
イザベラが驚いて声を上げる。
エミリアは構わず、両手を床につきそのまま額をこすりつけた。
「申し訳ございませんでした!!」
公爵令嬢が、伯爵令嬢の部屋で、その令嬢に対し、額を絨毯に押しつけている。
いわゆる土下座。
王都中を探しても、こんな光景は二つとあるまい。
「お顔を、お顔をお上げになって! そんなことをなさっては」
「いいえ! いいえ、上げられませんわ!」
エミリアは額をつけたまま叫んだ。
「わたくしは、あなたに謝らねばならないことが、山のようにございますの!」
そして、一気にすべてを告白した。
兄ジュリアスとイザベラの婚約の噂を聞いた日から、すべてを叩き潰すつもりだったこと。メイドのリズを脅して味方に引き入れたこと。下町の魔術師を訪ね、腹を下す薬を買ったこと。
御者のアルトを金で釣り、メイドの服を着せこの屋敷に送り込んだこと。
「――え?」
イザベラの動きが止まった。
「あの、エミリア様。いま、なんと……」
「ですから、アルト――いやアルテはわたくしが無理やりメイドに仕立てたのですわ。あの見た目ですが、れっきとした少年ですわ」
「…………」
イザベラは、しばらく口を開けたまま固まっていた。
それから、そっと自分の寝台のほうを見た。
そして、アルトの着替えを手伝おうとして、全力で断られた午後のことを思い出し、ゆっくりと顔を赤らめた。
「……そ、そうでしたか」
「その者に日記を盗ませ、料理に薬を混ぜさせ、そして――あの場で、あなたの一番大切なものを皆様の前で読み上げました」
エミリアの声が震えた。
「すべて、わたくしの企てです。すべて、わたくしの罪です。どうか、どんな罰でもお与えくださいませ」
しんと静まった部屋に、遠くの騒ぎだけが聞こえていた。
イザベラは、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かな声で言った。
「……正直に申し上げますとね」
「はい」
「あの瞬間、私、死んでしまいたいと思いましたわ」
エミリアの体が、びくりと跳ねた。
「一生誰にも言わないと決めていたことでした。書くのも今日で最後にすると、自分で書いたばかりでした。それを、よりによって、あなたのお声で」
「…………」
「数百人の前で、読み上げられて」
エミリアは、額を床にすりつけたまま動けなかった。
絨毯に、ぽたりと涙の染みが広がった。
「でも」
イザベラの声が、ふっと柔らかくなった。
「――もう、隠さなくていいのですわね。あなたへの想いを……」
「え……?」
衣擦れの音がした。
そして、絨毯に膝をつく気配。
イザベラが、エミリアの両手をそっと握った。
「どうかお顔をお上げになって」
顔を上げると、すぐ目の前にイザベラがいた。
目元が赤い。けれど、微笑んでいた。
「私たち、似た者同士ですわね」
「……え?」
「どちらも、道ならぬ恋に苦しんでおりましたのね」
エミリアの目が、まん丸になった。
「……そ、それは、その」
「もう隠さなくてよろしくてよ。エミリア様、あなたの兄であるジュリアス様に対する想い、私もしかと受け止めました」
「イザベラ様……」
「それに――私も、あなたに白状しなければならないことがございますの」
イザベラは、握った手にわずかに力を込めた。
「私がジュリアス様との婚約をお受けしたのは」
少しだけ、言いよどんだ。
「……あなたと、家族になりたかったからですわ」
「ええっ!」
「同じ屋敷に住めば、毎日お顔が見られる。朝も夜も。競わずに隣にいられる。……そう考えてしまったのです」
イザベラの頬が、みるみる赤くなっていく。
「ジュリアス様には、本当に申し訳ないことをいたしました。あの方はご立派な方ですのに、私の動機はこれ以上ないほど不純でしたわ」
「…………」
「ですから、婚約はいったん、白紙に戻していただこうと思います」
エミリアは、しばらくぽかんとしていた。
それから――
「ふふふ」
「……エミリア様?」
「ふふ。ふふふふふ……」
肩が震えはじめる。
イザベラも、つられて口元を押さえた。
「ふ、ふふ」
「わたくしたち、なんて」
「ええ。本当に」
「なんて、ばかなのでしょう!」
二人は、絨毯の上で手を握り合ったまま声を上げて笑った。
この一週間、片方はなんとか婚約を破棄させようと必死になり、片方は想いを墓まで持っていこうと必死になっていた。
笑いが収まったころ、エミリアは居住まいを正した。
「イザベラ様」
「はい」
「正直に申し上げます。わたくしの心には、いまも、お兄様がおりますの」
イザベラの目が、少しだけ伏せられた。
「ですから、あなたのお気持ちに、すぐお応えすることはできません」
「……存じております」
「ですけれど」
エミリアは、握られた手を、今度は自分から握り返した。
「まずは、お友達から始めませんこと?」
イザベラが顔を上げた。
「一緒にお茶を飲んで。お好きな本のお話を聞かせていただいて。学院での成績を競うのはもう止めにいたしましょう」
イザベラの目に、みるみる涙が溜まっていった。
そして、深く深く頷いた。
「……ええ。ええ、喜んで。エミリア様」
「とはいっても――」
エミリアは深いため息をついた。
二人の関係はそれでいい。だが、この騒動に巻き込んでしまい、お腹を壊してしまった招待客たちに対する罪は消えない。
「わざわざお祝いに来て下さった皆様には、とんでもない迷惑をかけてしまいましたわ。あの薬は毒ではないのですが――今後いったいどう責任を取ればいいのか……」
「もう起きてしまったことは仕方ありませんわ」
イザベラはエミリアの肩にそっと手を置いた。
「お父様たちにお願いして、なんとか穏便に済ませましょう。ご列席の方々も、今日のことは公にはしたくないはずですしね」
「そうそう! そうだよ!」
そこで、どこからともなく、明るく相槌を打つ声がした。
エミリアとイザベラが顔を上げると、いつの間にか部屋の中にアルトがいた。
アルトはまだメイドの格好をしているが、声は元の少年のそれに戻っている。
「あいつら、いっつも威張ってて、贅沢ばっかして、少し痛い目見た方がいいんだよ」
うそぶくアルトに、エミリアは思わず気色ばんで立ち上がった。
「アルトさん! イザベラ様の日記の内容についてわたくしに嘘をつきましたのね。それに、すべての食事に薬をかけたのもあなた――!」
「へへへ、ばれたか。で、日記に関しては謝るよ。エミリア様にも、イザベラ様にも――本当にごめんなさい!」
アルトはペコリと頭を下げた。
「でもさ、薬についてはしょうがなかったんだ。だって誰がどの皿の料理食べるかなんて、俺に分かるわけないからね」
アルトの弁明を聞いて、エミリアはがっくり肩を落とした。
「確かにそうですわ。それに元はと言えば、わたくしの邪な企みがすべての元凶。ここでアルトさんを責めるのは卑怯というものですわね」
「へえ、エミリア様もだいぶ成長したじゃん」
アルトは軽く口笛を吹いた。
「――さてと、俺はこれからどうしよっかな。どうせこのお屋敷は首になるだろうし」
「……普通ならそうなるでしょうが」
と、アルトに言い放ったのは、イザベラだった。
「けれど、今回はそれでは済まないかもしれません。なぜなら――」
「は?」
ぽかんとするアルト。
「アルテきゅ~ん!!」
突如、部屋に乱入してそう叫んだのは、イザベラの兄レオンだった。
赤髪は乱れ、上着ははだけ、酔いが残っているのかまだお腹が痛いのか、顔は真っ赤である。
「いたいた! 探したよ、アルテきゅん」
「レ、レオン様!?」
アルトがびっくりして飛び上がった。
「腹が。腹が、もう俺はだめだ」
レオンはふらふらと近づいてくると、アルトの両肩をがっしと掴んだ。
「頼む~。看病してくれ。そばにいてくれ。俺はもうアルテきゅんしか頼れない」
「ちょ、ちょっと待って!」
「水を飲ませてくれ。背中をさすってくれ。手を握っていてくれ」
「いや、だから待って待って待って!」
イザベラが、冷たい目線を兄に向けながら、エミリアに言った。
「このように、兄はアルテのことをすっかり気に入ってしまって、しばらくそばから離さないでしょう。――アルテ、あなたも災難ですが、なにかひどいことをされそうになったら私に言いなさい。兄の手綱は私が握っていますから」
「そ、そんな――!! うわっ、酒臭い」
抱きつこうとするレオンをかわし、たまらず部屋から逃げ出そうとするアルト。
「待ってくれ、アルテきゅん!!」
「い、いやだァァァァ――!! 無理ですぅーーー!!」
なぜか、メイドの女の声に戻って叫ぶアルト。
「わたし、そういうの本当に無理ですーーー!!」
「なぜだ! 俺のどこが不満なんだ! こんな気持ちになったのは初めてなのに――」
アルトが本当は男なのを知ってか知らずか、部屋を飛び出し必死に後を追うレオン。
「ふ、ふふふ」
「ふふふふふ」
残されたイザベラとエミリアは、顔を見合わせて、今度こそ堪えきれず、大笑いをしたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
すっかり仲良くなった二人が、廊下に出ると、ちょうどジュリアスが戻って来た。
この惨状のなかで、相変わらずこの男だけはいまだに髪一筋の乱れもない。エミリアの愛するお兄様のまま、まったくの無傷だった。
だが、その後ろに従うリズは、げっそりやつれ、いきなり十歳老け込んで見えた。
「エミリア、体調はどうだい?」
「お兄様!」
心配顔のジュリアスに、エミリアが涙を拭いながら言った。
「もうなんでもございませんわ。すっかりよくなりました」
「そうか、それなら一安心だ。下にいる皆さんもやっと落ち着きをとりもどし、ほとんど帰られたよ。しかし、晩餐会は台無しになってしまった。――イザベラさん、いろいろと嫌な思いをさせてしまったね。妹が君の大切な日記を読み上げてしまったことといい、本当にすまなかった」
「ジュリアス様――」
イザベラは、背の高いジュリアスを見上げて言った。
真剣なまなざしだ。
「その日記のことなのですが――」
「いいんだよ、それ以上何も言わなくて」
ジュリアスは、この上なくやさしい口調で言った。
「相手がどんな人であっても、人を好きになる気持ちは尊いものだ。イザベラさんには、その純粋な思いをもっと大切にしてほしい。今、焦って無理に僕と婚約する必要なんてないんだ」
その言葉を聞いて、イザベラの瞳に大きな涙の粒が浮かぶ。
「ありがとうございます、本当に――なんとお礼を申し上げていいか――」
二人の心温まる、感動のシーンを黙って見つめているエミリア。
しかし、熱い視線は、やっぱり兄ジュリアスに注がれているのだった。
(ああ、やっぱりお兄様はなんて素晴らしい人なんでしょう。何回でも、何万回でも惚れ直してしまいますわ――!!)
そして、そんなエミリアとは対照的に、ひどく落ち込み、肩を落とすリズ。
(……旦那様に、なんと申し開きをすればよいのでしょう)
エミリアから絶対に目を離すな――そう命じられていたのに、このありさまだ。
自分が紹介した魔術師の薬のせいで、晩餐会はめちゃくちゃ。数百人の招待客は廊下を全力疾走。そして両家の婚約は白紙。監視役のメイドとして、これ以上ない失態である。
(お暇を出されても、文句は言えません……)
リズは深くうなだれた。
しかし――
「相手がどんな人であっても、人を好きになる気持ちは尊いものだ――」
ふと、先ほどのジュリアスの言葉が耳の奥によみがえった。
リズは、そっと顔を上げた。
イザベラに優しく微笑みかけている、その横顔。
……婚約は、白紙。
つまりジュリアス様は、いまもまだ、どなたのものでもない。
ということは、もしかして、私にも、ほんのわずかな――
(――な、何を考えているのですか、私は!)
リズは慌てて首を振った。
身の程をわきまえなさい、リズ。あなたはただのメイド。おそばでお仕えできるだけで十分だと、エミリア様にもそう申し上げたではありませんか。
けれど。
いつも無表情なその口元が、ほんのわずかに、ゆるんでいた。
(……本当に、先が思いやられます)
それがエミリアのことなのか、自分自身のことなのか。
リズにもよく分からなかった。




