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第5話 美少年メイドが見つけた秘密の日記――そこには驚くべきことが記されていましたわ!

 アルトは慌てて、脱ぎかけのメイド服で体を隠した。

 だが、白い肩は露わのままで、レオンの目にはそれがかえって艶めかしく映ってしまう。


「な、なんでしょうか。レオン様」


 アルトは必死に裏声を作った。


「いや……」


 レオンは後ろ手に扉を閉めた。かちゃり、と小さな音がした。


「さっきは悪かったと思ってさ。詫びに来た」


「け、結構です。どうかお気になさらず。いま着替え中ですので、その、あの、外へ出ていってください」


「うーん……それにしてもかわいいね、君」


 ストレートに言われて、アルトの思考が止まった。

 レオンが一歩、距離を詰めてくる。


「さっきから思ってたんだ。こんなところで雑巾がけしてるような顔じゃないってね」


「お、お待ちください」


「何を待つんだ?」


「い、いろいろとです! とにかく待って!」


 アルトは目をくるくるさせながら後ずさる。だが、背中が壁に当たった。もう逃げ場がない。


「怯えることはないんだよ、子猫ちゃん」


「あわわわ……」


「こんなに綺麗な体をしているのに、隠さなくていいじゃないか」


 セクハラ発言をしながら、ニヤニヤして、迫るレオン。

 ここへきて、まさかの貞操の危機!

 しかも相手はイケメンの貴族の男子!

 アルトは、完全にパニックになってしまった。


「――レ、レオン様。やだ! やめてください!」


「ほら、恥ずかしがらないで。オレはもっと君のことを知りたいんだ」


 普段から、こういことをやり慣れているんだろう。

 レオンは強引に、アルトから体を隠していたメイド服を奪い取っってしまった。

 完全な下着姿になってしまうアルト。

 レオンはその肩を抱いた。


(や、やめろ! やめないんだったら、俺がいますぐ男ってこと大声でばらしてやる――!)


 と、アルトが口を開きかけたところで、それを塞ぐように、レオンが唇を重ねてきた。


(あっ! ……はぁ~)


 その途端、アルトの体から力が抜けた。ファーストキス、それも相手が男だというのに、それは絶妙に甘くて切ない味がした。


(なんだ、この感触……すごい……)


 レオンはキスが異常に上手かった。

 アルトはたちまち頭がぼうっとして、ふわふわした心地になって――それからは全部レオンのなすがままになった。

 体を触られ、抱きしめられても、まったく抵抗できないのだ。


「美しい、アルテ――君の大事なところを、もっとよく見せてくれ」


(もう、どうなってもいいや……)


 耳元でレオンにそう囁かれ、ついにそう思い始めてしまうアルト。

 しかし、そのタイミングで――


「何をしていらっしゃるの、お兄様!」


 突然、部屋に厳しく凛とした声が轟いた。

 食堂から消えた兄を探しに来た、イザベラだ。


「いつの間にかいなくなったと思ったら、案の定!」


 アルトは一発で我に返り、レオンを突き飛ばして、イザベラの後ろに隠れた。

 

「イザベラ様~」


 地獄に仏。

 アルトの目には、いつの間にか涙がたまっていた。


「ちぇ、もう少しだったのに」


 残念そうにポリポリ頭を掻くレオン。

 そんなレオンを、怒りのこもった目で見るイザベラだった。


「まったくお兄様ときたら! 立場を利用して、新入りのメイドにこんな無体なことをするなんて」


「わかったわかった。悪かったよ」


「今度こんなことをしたら、本当にお父様に言いつけますよ」


「……それだけは勘弁してくれ」


 レオンは、実にあっさりと両手を上げた。

 あれだけ軽薄に構えていた男が、妹の一喝と、父伯爵の威光には勝てないらしい。


「ならば金輪際こんなことはしないことです。さあ、アルテに謝りなさい」


「すまんすまん!」


 レオンはバツが悪そうに、アルトに軽く手を合わせた。


「悪かったな、アルテ。もうこんなことはしないから、どうかメイドは続けてくれよ。君にはそばにいて世話をしてほしいんだ。じゃあ、俺は飯を食い直してくるから」


 そう言い残し、レオンは部屋から出ていった。

 扉が閉まったあと、イザベラがアルトに向き直った。


「……兄が、本当にごめんなさい」


 イザベラが深く頭を下げた。

 伯爵令嬢が、雇われたばかりの新米メイドに本気で謝っている。


「い、いえ! そんな、どうかお顔をお上げください」


 アルトは驚いて止めた。


「兄は昔からああなの。元は悪い人ではないのだけれど、女性のこととなると性質が悪くなる。そういうところは、わが兄ながら許せないわ」


 たとえ身内でも、悪いものは悪いときっぱり断罪する。

 竹を割ったようなイザベラの性格を垣間見て、アルトは感心した。どう考えても、エミリアが言うような、たちの悪い女豹には見えない。


「それにしても、ここで着替えてもまた誰かちょっかいをかけてくるかもしれないわ。確かに、アルテは我が家のメイドの中では容姿が飛び抜けていますから」


「……ありがとうございます」


「食堂に戻ったらまた兄と鉢合わせするかもしれないし――そうね。今日は給仕の仕事はやめて、私の部屋にいらっしゃい。そこで着替えるといいわ」


「お、お嬢様のお部屋でですか!?」


「ほら、とりあえずこれを羽織りなさい」


 イザベラは、着替え室に掛けてあった使用人用のガウンをアルトに渡した。

 アルトがそれを肩からかけると、小柄な体はすっぽり隠れた。


「さあ、新しいメイド服を持って部屋に行きましょう。――それと、着替えたら、しばらくの間私の侍女についてくださる? そのほうが、兄も手を出せませんもの」


「は、はい!」

 

(お嬢様の部屋! しかも侍女! 秘密を探るには、これ以上ないポジションだ)


 でも、レオンの魔の手から自分を庇ってくれたイザベラの秘密を探るのは、少々気がとがめる。

 かと言って、エミリアからお金をもらっている以上、手ぶらで帰るわけにもいかない……。


 良心と任務の板挟みになるアルトであった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 イザベラの私室は、アルトの想像とはずいぶん違っていた。

 天蓋付きの寝台も、猫足の鏡台も確かに豪華ではある。

 だが、壁の一面は本棚で埋まっていて、しかも並んでいるのは詩集や恋物語ではなかった。

 歴史。法典。近隣諸国の地理。剣術の指南書まで混じっている。


(……お嬢様って、こういうの読むもんなのかな?)


「さあ、鏡の前に」


 アルトはイザベラに促され、大きな鏡の前に立った。


「メイド服を着替えるのを手伝ってあげます。ガウンを取って」


 イザベラがそう言って、こちらに手を伸ばしてくる。

 アルトは慌てて三歩下がった。


「お、お待ちください! お嬢様の手を煩わすなどと、とんでもございません――ですわ!」


 声が完全に裏返ってしまった。


(危ねええ! 下着姿を見られたら男だとバレるじゃねえか!)


 イザベラは少しきょとんとして、それから笑った。


「あら、変な子。分かったわ。じゃあ、ご自分でゆっくり着替えなさい」


「は、はい。お心遣い感謝いたします」


「では、いったん食堂に戻りますね。グレタには私から伝えておきます」


 イザベラはそう言い残し、部屋から出て行った。

 足音が遠ざかっていく。

 アルトは大きく息を吐き、その場にずるずるとしゃがみ込んだ。


「……心臓に悪すぎるだろ」


 着替えは三分で終わった。問題はそのあとである。

 主のいない令嬢の部屋に、たった一人。


(――いよいよ、チャンス到来)


 アルトは覚悟を決めた。

 自分がここにいるのは、あのブラコンお嬢様に金を積まれたからだ。そのために床を磨き、洗濯物を干し、スープをかぶり、貞操の危機まで味わった。

 イザベラ嬢には悪いが、やっぱり手ぶらで帰るわけにはいかない。

 

 とりあえず机の引き出しを開けてみる。一段目には様々な筆記用具。二段目には手紙の束。どれも社交の挨拶で当たり障りがない。

 クローゼットや鏡台を見て回ってみるが、特に何もない。

 どれも高価そうなモノばかりだけれど、ごく普通の年頃の女の子の部屋だ。


(残るはベッド周りだけか――)


 さすがにやましさを感じながらも、アルトは細かくチェックを始めた。後で部屋を調べたことがバレないように、慎重に慎重に……。

 

(あ! なにかある)


 そしてついに、ベッドフレームとマットレスの間に、革表紙の薄い本を見つけた。

 手を突っ込んで引っ張り出してみる。留め金がついているが、鍵はかかっていない。表紙には何も書かれていない。

 だが、開くまでもなく分かる。これは日記だ。

 イザベラが寝る前に付けていたのだろうか。アルトは、しばらくそれを手のひらの上で眺めていた。

 

(人の日記を勝手に読んじゃうのは、さすがにちょっとなあ――)


 アルトはしばらく迷った。

 しかし、結局――


(……仕事だし。エミリア様の命令だし)


 意を決して留め金を外した。

 最初の数ページは、退屈なものだった。その日の天気。読んだ本。父との会話。几帳面な、驚くほど整った字が並んでいる。

 だが――ある一ページで指が止まった。

 目を大きく見開くアルト。

 眉を寄せ何度も何度も読み返した。

 そして、次のページも、その次のページも――


「これって……」


 顔を上げた。

 日記を開いたまま、しばらく動けなかった。

 気づけば良心の呵責は消え、つい、元の少年の声でつぶやいていた。


「……こりゃあ、とんでもないもんを見つけちまったな」


 でも、この日記に書かれてること、ありのままにエミリアにチクるってのも少々面白くない。

 元々いたずら好きのアルトは、ある計画を思いつき、大声で笑いたくなるのを必死に堪えた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇    


 それから二日後の夜。

 ブランティーヌ家のシャトー、エミリアの私室。


「それで!? どうでしたの!?」


 夜着の上にガウンを羽織ったエミリアが、窓枠に腰掛けるアルトに迫った。目はギラギラとし、赤く充血している。

 どう見ても、報告ではなく獲物を待っている顔だ。


「まあ、落ち着いてよ、エミリア様。俺もすぐにでも報告したかったんだけど、なかなか屋敷から抜け出すことができなくてさ。今日の夜になってやっと時間ができたんだ」


 アルトはもったいぶって腕を組んだ。

 バスティアン邸を出てから、休みもせず暗い道を早足で歩いてここまで来たのだ。一息つくくらいの権利はあるだろう。

 だが、エミリアはそんな気遣いをする余裕もない。


「アルトさん、この状況で落ち着いていられるとお思いですか! もう婚約発表まで時間がないのは分かっていますわよね」


「へいへい」


「それで、何か見つけたんですの? イザベラとバスティアン家の秘密を――」


「まあね、見つけましたよ、イザベラ様の日記を」


「――!」


 エミリアが息を呑んだ。


「悪いと思いつつ、読んじゃいました。全部」


「な、何が書いてありましたの!!」


 アルトは一拍置いて答えた。

 本当のことを、今は言わない。

 自分でも驚くほど滑らかに、口から嘘が出た。


「エミリア様の読み通りでしたよ」


「え!?」


「婚約はバスティアン家の罠。イザベラ嬢自らジュリアス様の婚約者としてこの家に入り込み、内側からブランティーヌ家をめちゃくちゃにしてやるつもりだって書いてありました。あの伯爵家は、それほどエミリア様たちを憎んでいるんです」


 沈黙が落ちた。

 次の瞬間、エミリアが絶叫した。


「やっぱり――やっぱりですわァァァ!!」


「し! エミリア様、声! 声が大きいですよ」


「あの女狐! わたくしの目に狂いはなかったですわ! ああ、お兄様! なんとお労しい! あなたはいま、まさに毒蛇を懐に抱こうとしていらっしゃるのですよ!」


 拳を握りしめ、天井を仰いで叫んでいる。


(……うわ、あっさり信じちゃった、この人)


 アルトは少しだけ心が痛んだ。

 でも、この人のおかげで、自分は無理やり男の娘にされて、あの家に送り込まれメイドとしてこき使われる羽目になったのだ。

 これくらいのお返しをしても、神様はお許し下さるだろう。それに、日記の内容が公になれば、婚約が破棄されることは間違いない。

 つまり、いずれにせよ、エミリアの目的は達成されるわけだ。


「それで! その日記は!?」


 エミリアがばっと振り返った。


「持ってきてくださったのでしょうね!?」


「いやいや、そんな大事なものいくらなんでも持ち出せないです。もし日記がなくなったことにイザベラ様が気づいたら、こっちのことが全部バレちゃいますよ」


「……そ、それもそうですわね」


 エミリアが素直に引き下がったので、アルトは内心ほっとした。

 逆上した彼女に、イザベラの部屋に取って返して、日記をどうしても持ってこいと言われたら、どうしようかと思ったのだ。


「でもね、エミリア様。だからこそ、いい手を思いついたんですよ」


「ええ? それは、何? なんですの?」


 アルトは、にやりと笑った。

 

「婚約披露の晩餐会の夜、メイドの俺が、その日記をイザベラ様の部屋から密かに持ち出します。侍女としてすっかり信用されているから、きっと上手くいきますよ」


「それで――?」


「日記はエミリア様に渡しますから、晩餐会で、そのまんまそれを読み上げてやるんです。そうすれば、ジュリアス様とイザベラ様の婚約がぶち壊れること間違いない。でしょう?」


 エミリアの目が、キラリと輝いた。

 

「それは――名案ですわね」


 エミリアの顔に、ゆっくりと悪魔の笑みが広がる。

 もはや、そこには天使の令嬢の面影すらなかった。


「……アルトさん」


「なんだよ」


「そんなことを思いつくなんて、あなた悪魔ですわ」


「いや、それを実行するのはエミリア様だから……」


「いいんですの。お兄様のためなら、悪魔にでもなんでもなってやります」


 エミリアは、アルトから離れ、部屋の中をくるくると歩き回りはじめた。


「……両家のご列席の前であの女の本性が暴かれれば、婚約など一瞬で破談。お父様もさすがにお怒りになるでしょう。そしてお兄様は救われ、わたくしは英雄。なんて美しい結末なのかしら!」


 うっとりと両手を合わせたエミリアが、ふと足を止めた。


「――ですが」


「ん?」


「念には念を、と申します」


 そう言って鏡台の引き出しを開けると、小さな瓶をひとつ取り出した。

 中身は、濁った液体だった。

 魔術師モアナから買った、例のお腹がピーゴロする薬だ。

 アルトは、瓶とそれを掲げるエミリアの顔とを交互に見た。


「……何だよ、それ」


「お薬ですわ」


「薬?」


「ええ。とっても素敵なお薬」


 エミリアは実にいい笑顔で、その瓶をアルトの手のひらに押しつけた。

 例のゴロゴロ水だ。


「アルトさん、晩餐会の当日。イザベラに出すお料理のお皿にこれを混ぜるのです」


「え!」


 アルトはぎょっとした。


「いや待て。まさかそれって毒とか……」


「まさか! わたくしがそんな恐ろしいことをするはずがないでしょう」


 心外ですわ、という顔だった。


「命も取りません。傷もつけません。後腐れも一切ありませんの」


「……で、何が起きるんだよ」


 エミリアはほんの少しだけ頬を赤らめて、小さな声で言った。


「…………おなかを、下しますの」


 アルトは、手のひらの上の瓶をじっと見つめた。

 それから、目をらんらんと光らせるエミリアを見据え、大きくため息をついた。


(天使の令嬢が、聞いてあきれるぜ……)


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