ビー玉
どこで間違ったんだろうとか、何のせいなんだろうとか、時々そんな風に考えてしまう。
たった一つの出来事が人生を完全に変えてしまうだとか、誰かとの出会いが私の中身を丸ごと入れ替えてしまうだとか、そんなのは有り得ないことだと流石に分かっている。人生はグラフみたいに単線じゃないし、道みたいどこまでも先に続いていたりはしない。実際には旅行先の大きな駅ぐらい中はぐちゃぐちゃで、道は落とし穴と落下物と向かい風ばかりだ。そう分かっている。今の私は残念ながら誰のせいでもなく、過去の私の組み合わせに過ぎないのだと。
それなのに思ってしまう。私は一体どこでちゃんとした自分を失ってしまったのだろうかと。そんなドラマみたいな契機なんてないのに。受験の失敗も、この街への引っ越しも、彼が私の元を去ったことも、そのどれも原因の一つに過ぎなくて、それで……
「あの」
ぶっきらぼうとも、遠慮気味ともつかない声が聞こえて振り返る。右肩の向こう、そこにはさっきまで見えていた男の子の顔はもう無くて、青いジャージに包まれた脚が2本見えるばかりだ。筋肉質なのか、少しゆとりのあるジャージの裾からすらっとした足首が覗いている。
「あの!」
「あ、はい!」
さっきより少し強い声に、思わず勢いよく返事をしてしまう。そのままジャージ横の白いラインを上へと辿っていくと、由紀を見下ろす男の子と目が合った。陰った顔、少し疲れたような頬、淡い色の唇が動く。
「あの、俺もう行きますけど、大丈夫ですか?」
「え?」
男の子はおしりを両手でパンパンと叩きながら、窺うようにもう一度由紀を見る。
「えっていうか……ここ一応道路なんで寝たりしたら危ないですよ」
呆れたようにそう言って、彼は背伸びした。気持ちよさそうなその顔は、顔つきに合っているように映る。
「それじゃ、気を付けてくださいね」
遠くの空に目をやったまま、彼はそう言うと、足元に置いていたリュックに手を伸ばした。やたら重そうな黒色のそれを彼は勢いを付けて背負うと道の脇にあった空き地へ歩き出す。そのままそこに留めていたスポーツバイクに乗り、彼は坂の上へと漕ぎ出す。
急な坂をぐいぐい上っていくその背中はあっという間に空の方へ進んで、右の家の向こうに消えた。
彼の見えなくなったアスファルトの上をしばらく眺めて、そして諦めたように由紀は顔を前に戻した。さっきよりも空はずっと明るくて、川の向こうの道路には車が行きかい始めていた。東はもうほとんどえんじ色で、後は空の主役を待つばかりのようだった。
好きだ。風は澄んでいて、肌に心地よい冷たさで、空は鮮やかなのに淡いグラデーション。目も心もまるっきり掴まれて動けない。だからきっと私は少し無理をしてでもこの景色を見に来てしまうのだ。
彼は、彼は違ったのだろうか。ふと水滴のように落ちた小さな疑問がじわっと広がる。ジャージを着て、ここで本を広げていた彼は、この景色は別に求めていなかったのだろうか。ただ時間を潰したかったのだろうか。それとも私が彼の時間を邪魔したのだろうか。また堂々巡りが始まって、目の前の景色を汚す。忌々しい自分の内面に腹が立った。
その時、小さく光が射した。はっと目を右手の方へ向ける。燃えるような太平洋から溢れ出すように陽光が広がっていた。その光は向こうの街を少しだけ染め、きらきらと輝かす。ビー玉みたいな光の粒が揺らめいて、それが体を弛緩させていく、声にすらならないまま、顔が少しだけ濡れ、喉が痛む。ああ本当に私、どうしたんだろうか。
きらめく光のどれかにその答えがあるかのように、由紀の目はただひたすらに遠くだけを見つめる。
彼も今この眩しさの中にいるんだろうか、そんなことを少しだけ思った。




