第三十章
「英雄裁判を覚えているな?」
ヘルトランドと相対したルナは、自分でも驚くほど冷静だった。
頭で来り返したシュミレーションでは、常に彼女は怒りに我を忘れたのだが、実戦ではひどく額が冷えるだけだ。
──所詮、私はただの人殺し、そう言うことだ。
彼女はヘルトランドの左腕を夜目の利く目で注視し、毒針の効果を見極めた。
「くそっ!」ヘルトランドは針を抜いて喚く。
「毒使いめ! 解毒は出来るんだろうな?」
「その必要はない」
ルナは再び前に傾き、走り出す。
ずざざざ、靴ではなく革の紐で覆ってる足からは音がしない。ただ風が唸るだけだ。
ヘルトランドの左に入り、ジャンプして攻撃する。
今度は彼の剣が間に合った、が、ルナはその剣を持つ手の甲に短い針を刺す。
「うおっ!」
敵が悲鳴を上げた。
筋肉毒の効果が現れてきたのか。
はあはあはあ、とヘルトランドの荒い息遣いが聞こえる。実際、彼は口を大きく開いて、大量の空気を吸って、吐いていた。
好機を感じ、ルナの隠れた口元が笑みの形になる。
『毒』の恐ろしいところは、そう相手が気づけばまだ回っていなくとも、敵が心理的に動揺し追いつめられるところだ。
もはやヘルトランドは本来の力は出せないだろう。
「英雄裁判を覚えているな?」
三度目の問いに、ヘルトランドは激し剣を滅茶苦茶に振る。
「うるせえ! あれは仕方のなかったことだ。あそこに出た時点であの男の死刑は確実だった! 俺の証言など関係ない!」
「だが、お前は嘘をついたっ!」
ルナが一直線にヘルトランドの懐に飛びこみ、彼が反射的に薙いだ剣を体勢を低くして避けると、今度は身を起こして右手の長い針を敵の首筋、動脈に刺した。
「がはっ」急所に毒針を突き入れられたヘルトランドは、その一撃で一言も漏らさず死んだ。
ルナは素早く彼の身体から離れ、どさりと大きな男が倒れるのを見届ける。
「シームとアインにも詫びるがいい」
と彼女はぽつりと言い残し、ざざざとその場から急いで離れた。
エンディミオン宮殿に入り込んだルナたち三人の刺客が、最初の目標を討ち果たしたのだ。
その凄惨な光景を見つめていたのは、冷酷で冷厳な月だけだった。




