第十三章
ルナは背後に視線を感じ、微かに苛立っていた。
この派手な宮殿で、彼女は身を隠し、目立たないように苦心してきたのだ。
なのに、あのトルヴァドール……ウィルに何故か絡まれる。
なるべく近づかないようにしているが、もし彼が権力者の子だとしたら、この先動きづらくなるかもしれない。
厄介なことだ。
ルナがアイリス姫の部屋に戻ると、ちょうど音楽の家庭教師サイモンの授業が終わり、彼が部屋から出てくるところだった。
サイモンは長い白髪を後ろに流している侍女たちが話題にする美形の男だ。ルナには関係ない。
だからルナはサイモンと目を合わさず、壁側に立ち彼へ道を開けた。
サイモンも特にルナに注目せず、廊下を通り過ぎていった
その後、アイリス姫の部屋に入ったルナは、マリアが何か言いたげな視線を向けている、と気づいた。
「ルナっ!」
アイリス姫が嬉しそうに彼女を呼ぶ。
「プロシア語、大分分かってきた……よく見てみれば意外に簡単だったわ。この国の言葉と発音と単語の呼び方が違うだけだもの」
「そうですか。お役に立てて良かったです」
「でね、マリアとも話したんだけど、プロシアの音楽ってプロシア語の歌詞がついていることが多いのよ。だから音楽の時間それを読んで、曲がどんな意味を持っているのか分かってきたわ」
嬉しくてたまらない、風なアイリス姫にルナは笑顔で首肯する。
「音楽の勉強にも役に立てるなんて光栄です」
「まあ、いいのよルナ。そんなに畏まらなくても……私たち同い年でしょ?」
確かにアイリス姫とルナは同年の生まれだ。
「ルナ、それでマリアに聞いたんだけど、あなたピアノも弾けるんですってね? 今度弾いてみてよ」
「私のつたない技術でよろしければ」
ぱあ、とアイリス姫の顔が明るくなる。
「わあ、楽しみだな。いつのパーティにしましょうか?」
ルナの内心に影が落ちた。
アイリス姫は我が儘で高飛車、他の侍女はそう噂をしていたが、ルナにはそう思えなかった。
彼女は同年代の侍女がいなくて、常に年上に舐められまいと無理をしていたのだろう。
何せルナの前だとこんなにも可愛らしい、十代の娘なのだ。
──でも、目標の一人。
ルナは密かに右手で拳を作る。そこに『針』が握られているかのように。
「アイリス様」
十九歳の先輩侍女、オドレイがショートカットの頭を下げた。
「イルムヒルデ様とのお食事の時間です」
「あー、そうだった……お母様は色々うるさいのよ、身だしなみとか……ルナ、髪お願い」
「畏まりました」とルナは鏡のある部屋へとアイリス姫と移動すると、ブラシを手にして彼女のたっぷりとした髪をとかす。
「あーあ、母様が私と食事をするときは、何か私にお小言がある時なの。憂鬱だわ」
「大丈夫です、アイリス様の最近の努力を、イルムヒルデ様もちゃんと見ていらっしゃってますよ」
「そうだと良いのだけど」
ここでルナは思い出した。アイリス姫に尋ねたい事柄があるのだ。
「一つよろしいでしょうか? アイリス様」
「うん? なあに?」
「エンディミオンの街で犬を飼うのに、許可がいるのでしょうか」
実はシームと会ってから、それについて調べた彼女だが、なかなか判然としなかったのだ。
「ああ、それ」とアイリス姫は簡単に答える。
「嘘よ。憲兵が良くつく嘘。犬が飼えないなら狩りが出来ないじゃない。何でも怪しい人を調べるために、憲兵は幾つもの嘘の規則を作るらしいわ。ルナ、犬を飼うの?」
「いいえ、私ではありません」
「ふーん、でもエンディミオン市でなら犬でも猫でも飼って良いわ。私が保証する」
「ありがとうございます」
ルナはアイリス姫の髪のセットを終えると、足取りも軽くエンディミオン市へと向かった。
今日、侍女の服が出来るのだ。




