第十一章
エンディミオン宮殿に帰ったルナに待っていたのは、エリディス王国第五王女アイリス、つまり本当の雇い主への顔会わせだった。
アイリス姫はまさに王族の娘だった。
緩くウェーブした明るい茶色の髪に、緑色の瞳と少しきつめな目元……ファンニがルナを紹介すると、一目見て退屈そうにあくびする。
「そう、ルナ……変な名前ね」
それだけだった。
そもそも彼女の『正体』は余程徹底的に調べないと分からないように細工してある。
そしてこの王宮は大きくなりすぎたために、訳の分からないものも簡単に出入り出来るようになっているのだ。
アイリス姫は自由に、と聞こえは良いが我が儘放題育った女の子らしく、何もかもいやがった。
家庭教師との音楽以外の勉強、刺繍などの習い事、王族故につきまとう慣例行事の数々、全てに文句を言い、周囲の誰にもきつい言葉を投げつける。
ルナは冷静に、黙っていれば可愛らしい姫を観察する。
彼女も『目標』の一人なのだ。
最も少し失望はしていた。
アイリス姫は『ただ』の小娘だ。第五王女の立場は弱く、それにより敵と見なすのはあまりにも小さな存在だ。
「つまらないっ……つまらないー、つまらないわっ! ねえ、ダンスをしましょうよ!」
アイリス姫はとにかくダンスパーティが好きで、勉強など気乗りしない予定を良く変更して、宮殿の一室に楽士たちを呼んだ。
侍女たちは彼女に臆し、諫めることも出来ず、ダンスに興じるアイリス姫に従うしかなかった。
ルナも特に目立ちたくないので、無為に諫めるような真似はしなかった。
自身の立場を危うくしてまで諫言してやることはない。
ただ、ルナより前に侍女職に就いたオドレイの疲れた顔が気になった。
ファンニにより強い調子で、アイリス姫にプロシア語の勉強をさせろ、と言い含められていたのだ。
プロシアはアイリス姫の母親、イルムヒルデ夫人の故国で、エリディス王国にとっては最大の、油断ならない同盟国だ。
恐らくアイリス姫は、プロシアの王族の誰かに嫁ぐことになっているのだろう。
あるいは、彼女は恋すら出来ぬ自分の運命を知っているのかも知れない。
だから一時の享楽に溺れたがる……未来に待ち受けるさだめを忘れるために。
プロシアの音楽を楽士が奏でた。
『淡雪と春』……恋の曲だ。
自然とルナは歌い出す。かつて習ったプロシアの恋歌を。
「え?」と目を丸くしたのはアイリス姫だった。
当然だろう、ただ傍にいたお付きの侍女が突然歌い出したのだから。
「申し訳ありません。知っている曲だったのでつい」とルナは素直に謝る。
「……この曲はプロシアのもので、歌詞があるのです」
「ふーん、そ」反応こそそっけないが、アイリス姫の目には興味があった。
「歌の内容を知りたいですか?」
「別に……」
「悲しい、恋の歌です。とても綺麗な歌詞ですよ」
「きれいな、こいの、うた……私も歌えるかな?」
ダンスを忘れ身を乗り出すアイリス姫に、ルナはゆったりと頷く。
「はい、プロシア語は難しくありません。すぐに歌えるようになります」
「……じゃあ、あんた……ええと、ルナだっけ? も手伝ってくれる?」
「私に出来ることならば、致します」
「じゃあ……」アイリス姫は微かに考えている。
「私にプロシア語を教えて……歌を歌えるように」
「はい」うっかりとルナはほんとうに、にっこりとしてしまった。
いくつか年上の先輩侍女、オドレイが安堵したかのよう息をついた。




