第十章
チュイだ。彼に殴られた瞬間、ルナは小さく細い針を刺していたのだ。
「私はああいう輩が一番嫌いだ。力を見せびらかして恫喝する。本当の『力』など持っていないクセに、だ」
「ったく、監視していて正解だったぜ。早く針をしまえ……それと眼鏡をすぐにかけろ……お前の目は殺人者の目だ。少しでも目利きがいればすぐにお前の正体は露見する」
デイミアンに言われ、ルナは眼鏡をかけて微笑みを作る。
「それで良い。お前はあくまで無害な宮廷の侍女だ……目的を忘れるな。俺たちはエリディス王国の王族全てを抹殺するために来た」
「分かっている。機は窺うさ」
ルナはデイミアンを作り上げられた表情で見上げる。
「ルナっ」憲兵たちに絡まれていた男性と話していたマリアが振り返る。
「この人はパン職人さんなんだって。エンディミオン市に来たばかりらしいよ」
人徳からなのか、彼の犬は既にマリアに懐いている。
「ありがとうございました。オレはシームっていいます。ソロン国から来ました……その、エンディミオン宮殿がえらく景気が良いとのことで」
「そうですか、来て早々、大変でしたね……私はルナです」
「ルナさん? しかし参りましたよ。突然憲兵に呼び止められてコレです」
「この国のものとしてお詫び致します……ごめんなさい」
「いえいえマリアさん、ああいう輩は故国にもいました。オレがただ我慢すれば良かっただけです」
違う。ヘルトランドの目で、ルナは分かった。
あの男はこうして身なりの良い人物から金を巻き上げ、時として暴力も振るっているはずだ……ヘタすると命さえ……。
考えると、作り笑顔にひびが入りそうになる。
わんわん、と元気な犬の鳴き声が、怒りに灼熱するルナをはっとさせる。
「この犬の名はアイン。オレがガキだったころから一緒です」
「そうなんですか」余裕を取り戻し、ルナが微笑を再構築する。
「そんじゃ、俺は仕事があるんで、ここらで」
デイミアンはわざとらしく肩をすくめると、踵を返す。
「ああそうですか……お礼をしたかったのに」
残念そうにシームは言い、ルナとマリアに向かいなおす。
「お二人にはお礼をさせて頂きたいのですが」
「え? ほんと?」
嬉しそうなマリアに、ルナは嘆息する。
「はい、オレはこれでもソロンでは名を知れたパン職人だったんだ。お二人にオレのパンの旨さを知ってもらいたい。勿論、次に来るときは客として」
抜け目のない男だ。だがルナは好感に近い感情を持った。
「オレの店は表通りの近くにあるんだ」
ルナとマリアはシームに案内され、彼の店に行き、パンをごちそうになった。
シームは読心術でも使えるのか、砂糖をまぶしたブリオッシュを提供して、甘さに嬉しくてルナは夢中になった。
確かにシームのパンは香ばしくて柔らかくて絶品だった。
「シュークリームは今度だね」
マリアの言葉にも残念だとは思わなかった。




