83話 授かりもの
* * * *
ヴェネツィア旅行から帰ってきて2カ月。私は体調を崩していた。
ここ最近微熱が続いていて気持ちが悪い。胃薬と風邪薬を飲んでいるせいか、常に眠たくて注意力が落ちた。
「金銭を扱う仕事でそれはマズいだろう。しっかり休んできちんと治しなさい」
家族全員からそう言われる。強制的に仕事は休まされた。
「季節の変わり目だし、ただの風邪だと思うんだけどなぁ」
みんな大袈裟だ。そう思いながら私はベッドでゴロゴロ転がる。転がりすぎたのか気分が悪くなった。
これ以上悪化すると嫌だったので、動くのを止める。なのに気分はよくならない。
これ、本当に風邪だろうか。
なんとなくそんな思いが脳裏をよぎった。
それに私、先月生理あっただろうか。今月もそろそろ来ていい頃だけれど……。
思い立ってトイレに行って妊娠検査薬を使ってみる。くっきりと2本の線が出ていた。
「お、お、お、お義母様!」
慌てて私はお義母様を呼ぶ。「やった!」と思うと同時に「本当かな?」と心配も湧いてきて、助けを求めて人生の先輩を探した。
ひょこっと奥の部屋からお義母様が顔を出す。
「どうしたのアウローラさん。大声を出すだなんて珍しい」
「あの、これ、どうしたらいいのかわからなくて」
上手く言葉が選べなくて、私は検査薬の結果表示部を見せた。お義母様がそれを凝視して目を開く。次の瞬間には笑っていた。
「ああ、そう。それで。おめでたいわね。それじゃあ、本当に妊娠しているのか検査に行かないとね。一緒に病院に行きましょう。車を回すように言ってくるから、あなたは着替えていらっしゃい」
てきぱきとお義母様は指示を出してくれる。私はこくこくとうなずいた。さすがに何人も産んでいる人は落ち着きが違う。持つべきは先輩だ。
お義母様に付き添ってもらって掛かりつけの病院で検査してもらう。
結果はおめでとう。
そこまで聞いて私の力が抜けた。ようやく実感が湧いてきてお腹を撫でる。嬉しくて泣きそうになった。
私達夫婦は子供が欲しかった。けれど、なかなか授からないものだから、最近少し悩みにもなっていた。でも、こうして自然に授かれた。それが嬉しい。治療なんてしなくても大丈夫というのもわかったから。
ベリザリオだって喜んでくれるだろう。妊娠が喜ばれるのがわかっているのだから、その点でも私は幸せだ。
夕方になってベリザリオが帰ってきた。すぐだとお付きの人達と仕事の話をしているから近寄らない。そういう人達がみんな捌けて彼が1人になったら、いつものように私は出迎えた。
「体調はもう良いの?」
「うん、あのね」
心配そうにしている彼に寄って、耳元でそっと告げる。そう、報告は、誰をおいてもまずお父さんにじゃないと。
「本当に?」
ベリザリオが信じられないといった顔になった。私は彼の手をとって私のお腹に持っていく。笑顔で笑いかけた。
「嘘なんて言わないよ。10週だって」
「……や――」
小さく彼の口が動く。かと思ったら、思いっきり抱きしめられた。キスも数え切れないくらい降ってくる。
「よくやったアウローラ! 最高だ!!」
「ありがとう。でも苦しいよ」
「あわわわ。すまない。興奮してしまって、つい」
ベリザリオが慌てて私を放す。どうしたものかと迷うような動きをしていた2本の腕は、最終的に優しく私を抱いた。
「なんだか実感がわかないな」
「私も全然気付いてなかったし、仕方ないよね」
「アウローラでもそれじゃあな。しかしそうかぁ。私も父親になれるのか」
しみじみつぶやく彼は動かない。少しの間そうしていて、急に「よし!」と言って離れた。
「やる気が出た。その子のためにも、多少なり今より良い世にしないとな。笑って暮らせる日は多い方がいい」
笑顔でそんなことを言いながら屋敷の奥へ消えていく。私も奥に向かった。他の家族達にも報告するために。
それからすぐにつわりが重くなって、入院するハメになった。妊娠が大変だと痛感したのはこの時だ。
寝ても覚めても世界は回るし気持ちは悪いし。栄養を摂るために食べないとと思っても、臭いを嗅いだ時点で身体は摂取を拒否する。食べても食べてなくても戻してばかりで、ベッドから起き上がれない日々が続く。
いつか終わるから頑張れと言われても、それはいつだと泣いてキレたくらいいっぱいいっぱいだった。
入院中ベリザリオは可能な限り顔を見にきてくれたし、私の両親もフィレンツェから様子を見にきてくれたりしたのだけれど。気持ち悪さの方が勝ってしまって、ろくに相手できなくてごめんなさい。
妊娠5カ月目に入ってつわりが落ち着くまでは本当に地獄だった。
入院した時から仕事は休職。したのだけれど、つわりさえ乗り越えてしまえば普通に元気になった。暇つぶしと運動を兼ねて家事に励む。
妊娠特有の症状も一応あった。旺盛になり過ぎてしまった食欲との戦いというものなのだけれど。こちらも強敵で戦績は負けっ放し。
さすがに見かねたのか、
「少し抑えないと、産み終わった後で後悔するんじゃないか? それに、体重が増えすぎるのも良くないんだろう?」
ベリザリオにまで注意された。
そんなの私だってわかっている。人間図星を指摘されるとイラつくものだ。それに、妊娠中はホルモンバランスが崩れているようで、感情の振れ幅が大きい。
目がすわっていたのだと思う。もちろん不機嫌なオーラも漏れまくり。
「すみません。私が口を出すことじゃありませんでした」
ベリザリオは没収した食べ物をおずおずと返してきた。周囲ではお義父様とフェルモが呆れながら笑っている。
「アウローラは日に日に強くなっていくねぇ」
「兄様、最近すすんで尻に敷かれに行ってるよね」
「尻に敷いてくれる女性と結ばれた私は幸せ者だよ」
とかなんとか交わされるやり取り。とりあえず、我が家は平和のようです。
そんな妊娠もついに9カ月。出産が見えてきた。
そんなある日。
今ならまだ動けるから気晴らしに行こうかと、ベリザリオが行楽旅行を企画してくれた。ディアーナとエルメーテも誘って。
行き先は電車で1時間くらいのオルヴィエートという所にある別荘。電車でも構わないのに、私が辛くないようにと車での移動にしてくれた。本当に気の利く人だと思う。
だったのに、直前に急ぎの仕事が大量に舞い込んだらしくて、休日にもかかわらず、言い出しっぺのベリザリオが早朝から教皇庁に書類整理に行っているのは何事か。昨夜も遅くまで粘って、それでも終わらなくて仕方なかったみたいだけど。
「若奥様。エルメーテ様とディアーナ様がお迎えにあがられましたよ」
「うん。ありがとう。今行く」
呼ばれて私は玄関に向かった。
ベリザリオが動けないから、車の手配はエルメーテに投げたみたい。それで、私をゆっくりな時間に迎えにきてくれている。これであとは教皇庁でベリザリオを拾って、行楽に出発だ。
「今日はどんなことが待っているのか楽しみだね」
歩きながら私はお腹の子に話しかける。ベリザリオはサプライズが大好きだから、今日も何か仕込みをしていそうな気がして。
あなたのお父さんって素敵でしょう?
外ではとっても偉い人なのに、家では下の立場になって、私達が居心地良くいれるように気を配ってくれるんだから。
そんなお父さんのもとに産まれてこれるんだから、あなたは幸せだね。
と。
玄関口にディアーナとエルメーテの笑顔が見えた。さぁ、行こう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
本作は、本編『堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる』のアウトストーリーになります。
具体的には、
3章.アルカナを冠する者達 14話『在りし日の1ページ 後編』〜
4章.輝星堕ちし時 2話『子供の名』
の間の話を収録したものになります。
よろしければ本編の方もどうぞ。




