30-26.ルルシアを助けに来た老人、その後(19) 大ナマズと写真
「焼き菓子がお好きなのですか?」
ん? 俺は焼き菓子を食った記憶がろくに無い。
いや、語弊があるか。食った記憶はある。
だが、俺だけ食えなかった記憶の方が強く残っている。
そうだ。干しエビばかり食べていた。
俺はひどい扱いで、干しエビ与えておけば良いみたいな扱いだった気がしてきた。
「俺は干しエビばっかりだ」
「干しエビ?」
「俺の好物だった」
ガスパールには、どうも、嫌いなもののように聞こえたが、”好物だった”と言っている。
複雑な事情があるのかもしれないと思う。
※おっさん、悪いこと、嫌な気持ちはよく覚えています。
たぶん、このあたりでしょう。”7-5.家に帰るまでが家出です”
「干しエビは、ここ(トート森)では、あまり出回りません」
老人は、そのあたりの事情はよく知っていた。
「そうだろうな。ここは水がきれいすぎる。あれは、もっと水の汚い沼地のやつだ」
ルルシアには水が汚いところという話は不思議に思えた。
魚を捕まえても、きれいな水を頻繁に入れ替えないと、すぐに死んでしまう。
「水が汚いところに居るの?」
「ああ、生き物は、少し汚いところに多く居るものだ。
もっと下流に行けば、このあたりとは比較にならないくらい、生き物が多い」
ここは森の中でも、かなり上流部。あまり魚は多くない。
……………………
食物連鎖の底辺の生き物は、流れが速いと流されてしまうので、上流部には少ない。
もっと水が停滞している場所でないと、水中でのピラミッドの底辺が存在できない。
人の手が入っていなければ、下流の方が生き物が豊富に居る。
海に行けば、もっと旨いものが食えそうだが、俺の知っている範囲に海は無い。
おそらく、このあたりはかなり内陸部なのだろう。
ここの塩は岩塩だ。これは形を見ればわかる。
大きい粒を見ると、結晶を大きく育てたとは思えない形状をしている。
挽いたものを買うことが多いが、塊も使いやすい。まず、何と言っても濡れても被害が少ない。
ただ、予想外の割れ方をして、ぼちょっと大量に入ってしまったりするのだが。
俺の知る限り、塩が採掘できる場所は無い。いったい、どこで掘ってるのだろうか?
塩はかなり高い。遠くから運んできているのかもしれない。
貴重なものだ。
俺の住んでいた国は、陸上で岩塩が取れず、海水から塩を作る必要があるという点で、けっこう人間が住みにくい土地だった。
陸地に塩が無い。植物には良いだろうが、動物には厳しい。
世界的に見て、海水から塩を得る国は少ない。その上、海塩を得るのにも向かない土地だ。
俺の国は鉱物資源が少ない土地だったが、塩まで無いという、かなり鉱物資源の乏しい国だ。
元々海水から塩を得るのは相当難しい。水に溶けた電解質を水と分離するのは難しい。
塩水から真水を得るのも難しく、塩水から塩を得るのも難しい。
その上、俺の国は雨が多く、塩田での効率的な塩の採取が難しい国だった。
塩水が蒸発すれば塩が残るので、海水から真水を得るよりは、塩を得る方が楽ではある。
雨の少ない土地であれば、塩田で塩を生産できる。自然に蒸発するのを待つ。
ところが雨の多い俺の国では、蒸発する速度より、雨で薄まる速度が速い。つまり、
なので、多くのエネルギーを消費し、海水を煮詰めて塩を作るという、世界的にも珍しい、非常に非効率な方法で塩を作っていた。
元は塩の入手がとても難しい国だったのだ。
だが、俺の国の技術の礎がそこにあると思う。
俺の国は古くから高度な技術を持っていた。その一端が、この塩の入手の難しさにあると思う。
塩を作る技術が無ければ、そこに住むことができないという、生きていくのに必ず技術が必要になる国なのだ。
海辺であれば、不完全な藻塩の利用くらいは簡単にできる。
藻を焼いた灰から塩を得ることもできるが、純度が低い。
海辺を離れるためには、製塩技術が必要になるのだ。
製塩土器が古い時代の地層からも出てくる。
塩を得るのは難しいことだった。
そして、その時代は長く続いた。
十分な塩が、安価に生産できるようになったのは、俺が生まれた後のこと。
昭和の後半だ。世界大戦とかやってた時代、塩が足りなくて困っていたのだ。
核兵器とかある時代に、塩が十分に作れなくて困っていた。
十分な量の食塩を生産できるようになったのは俺が生まれた後だから、比較的最近のことと言って良いだろう。
今でも、輸入に頼ってはいるが、食用の大部分は国産で賄えるようになった。
ところが、現代日本に住む一般人の多くは、塩は海水から得るのが当たり前だと思っているし、昔から簡単に安価に手に入るものだと思っている。おそらく、数十年前まで、ろくに自給できなかったことなど知らないだろう。
自給できていないのに、バカみたいに安価に売られていたのだ。
理由は生きるために必須のものだから、貧乏人でも買えるように安くバラまいていた。
必要だから、価格が上がらないように制御していたのだ。
その反動が、”塩の天動説”だったのだろう。
※塩の天動説。このおっさんが居た世界で起きた架空の出来事です。
<<https://syosetu.com/usernovelmanage/top/ncode/1628222/>>
世界全体で見れば、塩は鉱物として採掘するのが普通で、海水から塩を作る国は少ない。
塩湖から採ることも多い。
鉱物として採掘される岩塩も、塩湖から採れる塩も、どちらも、通常、ほぼ純粋な塩化ナトリウムだ。
日本で売られている食塩も、ほぼ100%塩化ナトリウム。
それに対し、海水を煮詰めて作る方法では、塩化ナトリウム以外もけっこう残る。
天然物が好きな人は、天然の海塩が健康に良いと言う。
だが、本物の天然の塩は岩塩で、かなり純度の高い塩化ナトリウムだ。
海水から作った塩とどちらが自然か。
ただ、陸地で塩が取れないというのは悪いばかりでもない。
俺の国、日本では塩不足で昔から困っているというのに、世界では塩害で苦しむ土地も多い。
一般的に、植物は塩に弱い。
元々、水に乏しい土地に水を撒くと、塩が表面に上がってきてしまうことがある。
地中の塩分が水に溶けて地表に集まってしまうのだ。
農地にしようと開拓して、水を撒くと塩害で植物の育たない土地に変わる。
日本では、それが無いので、どこにでもすぐ植物が茂ってしまう。
世界では砂漠化が進んでいるのに、日本は除草して回らないとすぐに草だらけになってしまう。
ここでも、塩害の話は聞いたことが無い。大規模且つ人工的な田畑の拡大や、エンジンを使った地下水の汲み上げをしていないから、塩害が目立っていないだけかもしれないが。
どちらにしろ、はっきりと塩の存在に気付くような場所は無かったと思う。
塩はどこに有るのだろうか?
……………………
「まあ、エビが獲れるところは、泥が凄くて大変なんだけどな」
「ルルシアも、もう少し大きくなったら沼地の方に行ってみると良い」
「うん。美味しいものがあるなら」
塩はどこで生産しているのか訊いてみる。
「そういや、塩は、どこで生産してるんだ?」
「塩ですか? 塩といったら、ほとんどはロムベスタ産です」
ガスパールは、あっさり答えた。
”ロムベスタ”……知らない名前が出てきた。深入りは避けよう。
まあ、とにかく、どこかから湧いて出てくるわけではないのだ。
ちゃんと産地が存在する。それがわかっただけで満足だ。
産地が無いのに物資が供給される世界だと嫌だなと思ったのだ。
……………………
「干しエビは?」
「ああ、干しエビはつまみ、食事のメインにはならないから」
どうも変だと思ったら、ルルには、干しエビのイメージが正確に伝わっていなかった。
干しエビは好きだが、基本、スープの出汁用で、メインディッシュにはならない。
食べ応えがあって旨いものならアレだ。
「そうだな。森で美味いのはイノシシ」
「味は良いですが、なかなか出回りません」
それは俺も良く知っている。
意外にも、イノシシは、森で一番恐ろしい動物でもある。
肉食獣でも無いくせに、凄い一撃を持っていて、鉈で切り付けられたかのようにスパッと切り裂かれてしまう。
俺はイノシシにやられたことがあるような気がする。
一方で、良い獲物というイメージもある。
獲ろうとすると、たまに大怪我するけど、リスクに見合う価値があったのだろう。
だが、イノシシより上があるのだ。
「そうだな。イノシシより簡単に獲れて、加工も簡単で、食うところ多くて美味いと揃ってるのが、大ナマズ」
加工の手間とか考えると、結局あれが一番良い獲物だ。
俺的に1番は大ナマズだ。
「大ナマズ?」
……いや、正式名称は知らない。俺が大ナマズと呼んでいる魚だ。
「こんなでっかいナマズが居るんだよ」
と、手で大きさを表現する。
「ナマズ?」
ルルは、ナマズ自体知らないようだ。
ナマズは昨日流れた川にも居るのだが、滅多に獲れないからルルは知らないかもしれない。
まあ、知ってたところで、ここのと大ナマズは見た目がだいぶ違うから、参考にならないかもしれない。
ここのナマズは、ほぼ黒。そんなに凶悪な見た目でも無い。
「ガスパールも知らないのか?」
「湿地があるので、大きな魚が獲れるのだとは思いますが、私はダルガノードに籠っていた時期が長いですから」
※ガスパールも食べていますが、調理された状態なので、元の形を知りません
ガスパールも知らないのか。
見た目を説明するのは難しい。ここにカメラがあれば楽なんだが
「カメラがあればな……」
「カメラ?」 ガスパールが反応した。
「いや、ここには無いだろうから……」
と思ったが、一瞬で考え直した。
ガスパールは、俺が知らないものを知っているかもしれない。
「写真。見たままのものが絵として撮れる機械知らないか?」
「はあ。そのような物があるという話は、聞いたことがありません」
無いのか……でも、よく考えたら、有っても、ナマズ撮るのに使えるような金額じゃ無いだろう。
仕方が無いので、口で説明する。
「口がこんなにでっかくて、こんなでっかいカエルも一飲み」
ところが、ガスパールが口をはさむ。
「先ほどのカメラというのは、いったい、どんなものでしょう?」
俺はナマズの説明をするためにカメラの話をしたのに、ガスパールがそっちに興味を持ってしまった。
「ここに無いなら話しても、意味無いと思うけど」
「どんなもの?」 ルルまで興味があるようだ。
口で説明して伝わるかわからないが話をしてみる。
「俺の世界だと、カメラという機械で、目で見たものを簡単に絵にできるんだけど」
「うん」
「その絵の方を写真と言って、目で見たそのままの絵が撮れる」
「見たそのまま残せるの?」
「目で見ているのと同じ風景が2次元で残せる。この世界の人が見たらびっくりするだろう」
「2次元?」
「ああ、平面、絵のことだ。目で見たままの景色がペラペラの紙に再現される」
「神の技で作られる道具ですか」
神の技、ガスパールはそう考えたようだ。
俺の世界にそんなものは無い。
いや、あるかもしれないが、カメラは量産品だ。
神の技で作られる量産品は無いと思う。
「いや、完全に人間が作った道具で、
俺の世界では、誰でも使ったことがあるような身近なものだ」
本当はフィルムを使うのは古い時代のもので、俺の時代にはデジタル化していて、俺が持っていたカメラにはフィルムは使用しない。
でも、そんな話をしても混乱するだけなので、フィルムのカメラの話をしているのだ。
俺の世界には魔法が無い。ここには点火の魔法がある。
それが無い世界だ。だから、この世界より道具に頼る機会が多い。
それで、科学が発達したのだと思う。
でも、この世界でも作れるはずだ。金属製品も出回っている。
「糸を作って、その糸から布を作って、布から服を作るように、技術の積み重ねで物を作る」
「それでは、その写真というものも?」
「作り方がわかれば、作れるはずだけど……俺はそこまで詳しくは知らない。でも、人間の力で作ることができる」
化学に詳しければ、この世界でも画質とか性能を無視すれば、実験的に露光と現像の再現くらいはできるのかもしれない。
それなり質の高い感光材を製造するには、相当な時間がかかるだろう。
何しろ、明るいところでは感光してしまう。
俺は感光材にハロゲン化銀を使ってるという程度の知識しかない。俺の知識で再現は不可能だ。
カメラ側は、ピンホールカメラは作れると思う。
まともに作ろうと思うと、レンズを組み合わせて焦点をフィルム面に合わせる必要があるが、パンフォーカスという、焦点調整不要のやりかたがある。
光の通る穴を、どんどん小さくしていくと、ピントの合う範囲が広がっていく。
小さな穴にすると、ピントが完全には合っていないけれど、それなり合うようになる。
2、3mより先には、だいたいピントが合っているように写る。スマホでも安いモデルはAF無しだ。
小さな穴を通り抜ける光は、それなり、その1点から見える景色と近いものになる。
ところが、針の先くらいの小さな穴を通り抜けてくる光なので、ものすごく暗い。
なので、露光時間を長くする必要がある。フィルムの感度次第だが、露光中はじっとしてないとブレるので、もしかしたら、風景しか撮れないかもしれない。
たくさんの光を入れて、像を結ぶようにするためには、レンズで光を集めなければならない。
レンズは簡単には作れない。
なので、最初に作るカメラはピンホールカメラが良い。
だが、カメラは作れても、フィルム側は無理だ。
たぶん、化学とフィルム、両方に詳しい人でも、この世界で再現するのは困難だろう。
材料まで自前で調達しないといけない。
でも、そんなものが作れるという情報があれば、カメラが発明されるまでの時間が短縮されたりするのだろうか?
「何歳の誕生日とかの記念の写真を残したり。生まれた頃の写真とかも残してる人が多かったと思う」
「凄い!」
ルルは感動した。この神様の世界には、見たものが残せる。
そんな夢のような機械があるという。
ただし、このときルルは、老人が想定しているものとちょっと違うものをイメージしていた。




