越後の風に吹かれて、歩む道
「 五頭望み 信濃のほとり 川静か 」
旅の始まりは、どこまでも穏やかな水の景色だった。
五頭の山並みを遠くに仰ぎ見ながら、信濃川のほとりに佇んでみる。
水面は鏡のようにしんと静まり返り、流れていることさえ忘れてしまいそうだ。
日々の喧騒で波立っていた心の皺が、その静寂のなかにすうっと溶けていくのを感じる。
自然のなかに身を置くということは、自分自身のなかの「静けさ」を取り戻すことなのかもしれない。
「 雲背おい 越後の備え 守門岳 」
しかし、越後の自然はただ優しいだけではない。
ふと見上げれば、湧き立つ雲をどっしりと背負った守門岳が、威風堂々とそびえ立っている。
その姿はまるで、古くからこの地と人々を守り続けてきた寡黙な防人のようだ。
川の静けさと、山の雄々しさ。
この二つの顔があるからこそ、この土地には容易に人を寄せ付けない、されど深く包み込んでくれるような、独特の強さが宿っているのだろう。
「 親鸞の ゆく道高し 日本海 」
ふと、この険しくも美しい土地を歩んだ先人たちに思いを馳せる。
かつて流罪の身としてこの地に足を踏み入れ、それでもなお己の信じる道を歩み続けた親鸞聖人。
眼前に広がる荒涼とした日本海の波濤を見つめながら、聖人は何を思ったのだろうか。
その足取りは重くとも、見据える志の「高さ」は、水平線の彼方よりも遠く、気高かったに違いない。
言葉を紡ぐ、五七五を詠むということもまた、終わりのない旅のようなものだ。
毎日投稿という険しい坂道を前にして、時折足がすくみそうになることもある。
けれど、山が、川が、海が教えてくれる。
ただ、いま踏み出す一歩を、自分の道として高く掲げて歩めばいいのだと。
あやうくとも、拙くとも、私は今日もこの地で言葉を紡ぎ続けている。




