越後の夏を駆ける――シバタの魂と三大祭りの記憶
今年もまた、越後に熱い夏がやってくる。 歳を重ねるごとに、月日が流れる早さには驚かされるばかりだ。気がつけば、つい先日まちなかを熱気で包んでいた柏崎の「閻魔市」が幕を閉じ、いよいよ今月末には新潟の「蒲原まつり」が幕を開ける。 思えば、これらの祭りには若い頃から本当によく足を運んだものだ。 祭りの賑わいの中に身を置くと、ふと、この地に生きた先人たちの荒々しくも美しい生き様が、現代の熱狂と重なって脳裏に浮かび上がってくる。そんな一瞬の情景を、三つの句に留めてみた。「 鬼柴田 越の新発田は 荒祭 」 織田信長の筆頭家老であり、「かかれ柴田」と恐れられた猛将・柴田勝家。その異名である「鬼柴田」。 しかし、我が越後の地で「シバタ」と言えば、上杉景勝を相手に泥沼の抗戦を繰り広げ、最後まで義を貫いて滅んだ新発田重家の右に出る者はいない。 二人の「シバタ」が魅せた不屈の闘志と滅びの美学。その荒ぶる魂は、現代の「城下町新発田まつり」で激しくぶつかり合う台輪の熱気――まさに「荒祭」そのものとして、今もこの地に息づいている。「 泡盛を 傾け望む 閻魔市 」 熱気あふれる閻魔市の喧騒から少し離れ、一人グラスを傾ける。注ぐのは、南国の薫りをまとう泡盛だ。 北国の歴史ある閻魔の縁日と、遠く離れた沖縄の泡盛。その意外な色彩の対比が、グラスの向こうに揺れる露店の灯りと重なり、なんとも言えない緊迫感と旅情を醸し出す。 つい先日終わってしまったばかりのあの賑わいを思い返しながら、酒の味に微かな寂しさを滲ませるのもまた、大人の祭りの愉しみ方かもしれない。「 蒲原の 長嶺様の 雨祭り 」 そして、まもなく6月30日からは、新潟市中央区の蒲原神社――地元で親しみを込めて呼ばれる「長嶺様」の祭りが始まる。 梅雨の真っ只中に開催されるこの祭りは、昔から不思議なほどによく雨が降る。 雨に濡れる色とりどりの露店、傘を差しながら行き交う人々の熱気、水たまりに反射する提灯の光。あの独特な「雨祭り」の匂いを感じるたびに、今年も越後の本格的な夏が始まるのだと、胸がすくような心持ちになる。 即興で紡いだこれらの句は、かつて私が歩いた祭りの記憶であり、この土地への恋文でもある。 スランプなどと言い訳をしながらも、こうして言葉を紡げば、心はいつでもあの賑わいの中へ帰っていく。 歴史を駆け抜けた武将たちの魂と、今を生きる人々の熱気が交差する越後の夏。今年もその熱量に、静かに身を焦がしたい。




