隠居の窓辺から――信濃川に吹く風と、五七五の調べ
――信濃川に吹く風と、五七五の調べ
定年を迎え、本業を「隠居」としてからというもの、私の日課はのんびりと近所を散歩することと、趣味である「俄小説家」として机に向かうことだ。
生まれ育ったこの新潟の街は、いつ見ても飽きることがない。
特に信濃川のまわりを歩いていると、何気ない日常のひとコマが、ふと五七五の心地よいリズムになって心のなかに浮かんでくる。俳句を詠み始めてまだほんの三ヶ月の素人だが、こうして言葉を紡ぐ時間が、今の私にとって何よりの贅沢なのだ。
少し前、春のうららかな陽気のなかの散歩道。
ぽかぽかと暖かく、ついウトウトと心地よい眠気に誘われていたときの一句。
「椋鳥や 春の眠りに 水落とす」
あの賑やかな鳥たちも、江戸の一茶の時代から人間のすぐそばで悪戯っぽく生きていたのだろうと思うと、なんだか可笑しみが湧いてくる。
川沿いを進むと、今度はこの街ならではの、どこか切なくも力強い人生の門出に出会った。
「若人の 春の旅立ち 分水路」
この大河が人々の暮らしを守るために分かたれるように、若者たちもまた、それぞれの未来へと雄大に漕ぎ出していく。その姿を、信濃川の強い風が見守っていた。
「海風に 押されて帰る 信濃川」
海へと注ぐはずの水が、強い海風に押し戻されて上流へと帰っていくように見える。自然のダイナミックな営みに圧倒されながらも、ふと足元を見れば、春の花々が優しく行く道を照らしてくれていた。
「花々に 応援されて 向う岸」
一歩一歩、自分の目指す「向う岸」へ進む元気をもらいながら、気がつけば空はあかね色に染まり始めている。夕暮れの堤防沿い、手で払いながら進むあの賑やかな虫の群れさえも、この光のなかではどこか愛おしい。
「これ刺すな 虫の大群 夕陽差す」
目の前を覆う羽虫たちに苦笑いしつつ、ふと見上げた新潟の夕陽は、息をのむほどに美しかった。まぶしい黄金色の光が、信濃川の水面を、そして隠居の私のささやかな日常を、あたたかく包み込んでいく。
俄小説家の原稿用紙はなかなか進まない日もあるけれど、この風と夕陽がある限り、私の五七五の旅はまだまだ続きそうである。
―― あっちゅ寝太郎




