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「三千世界と仏顔 ― 六十路で見つけた五七五」
今年の三月から、見よう見まねで俳句を詠むようになった。
小説の合間に、ふと浮かんできた言葉を五七五の器に投げ込んでみる。
それが案外、今の自分を映し出す鏡のようで面白い。
まずは、自分の立ち位置を。
「凡夫ゆく 三千世界 蓮の葉か」
泥にまみれて右往左往するこの身も、実は大きな慈悲の掌の上にあるのかもしれない。そう思うと、少しだけ足取りが軽くなる。
そして、ふと鏡を覗いた時の実感。
「六十路来て 何やら近し 仏顔」
角が取れたのか、あるいは単なる老化か。
「おやおや、自分も仏様に近づいてきたか」と苦笑いする余裕が、この歳になってようやく持てた気がする。
最後は、少しばかりの遊び心を。
「天の川 行つてみたいな 与太彦と」
重苦しい理屈は抜きにして、星の海を旅するような夢を見ていたい。
そんな「凡夫」のままの自分を、そのまま世に放ってみたいと思う。
俄小説家として言葉を紡ぐ日々ですが、俳句の短さには、また別の「救い」があるように感じます。
三月から始めたばかりの、見よう見まねの三句。
「凡夫」が「仏顔」で「天の川」を仰ぐ。
そんな私の現在地を、笑って眺めていただければ幸いです。




