:海と川が織りなす、越後「なにもない」の贅沢な答え
「新潟には何もない」などと、したり顔で宣う御仁がたまにいる。
自問自答する、それは実にもったいない片目の見方、いや、見落としというものだ。
たとえば、春の陽光を浴びてホテル日航のあたりから新潟ふるさと村へと信濃川を下る遊覧船に揺られてみる。いつも歩く散歩道を水の目線から見上げるだけで、見慣れた景色は一瞬にして新しい表情を見せる。
( 陣取りや 花火の川に 熊ん蜂 )
( 新潟や 春の陽浴びて 河下り )
川の流れと競うように進む渡し船の風情、そして初夏を告げるブタナが両岸を可憐な黄色に染め上げる様。そこには、ただぼんやりと佇むだけで満たされる、贅沢な時間が流れている。
( 駆け比べ 川の流れと 渡し船 )
( 両岸を 黄色に染めし 春の菊 )
新潟の魅力とは、こうした「自然の豊かさ」と「人の営み」が、実にあざとくなく、穏やかに調和している点にある。
目を上げれば、遠く残雪を頂く山々が連なり、そこから湧き出る清水は豊かな田畑を潤す。その清らかな水と一級の米が出会えば、言わずもがな、極上の「酒」と「食」が生まれる。芳醇な地酒を傾けながら、日本海の荒波が育んだ新鮮な魚介に舌鼓を打つ。これ以上の知的で官能的な愉しみが他にあるだろうか。
さらに足を延ばせば、かつて北前船が行き交った歴史の面影を遺す古刹が静かに佇み、海の向こうには神秘的な佐渡島が横たわる。その一方で、近代の新潟は多くの著名な漫画家を輩出した「マンガ王国」としての顔も持ち、駅周辺は新しく生まれ変わって長岡市に負けない賑わいを見せている。万代の両岸を彩る、かつての陳腐さを脱した可憐で穏やかなライトアップは、まさに今の新潟の洗練を象徴しているかのようだ。
海があり、川があり、山があり、美味い酒と文化がある。
そして、それらを包み込む透明な空気。
( 童 阿知 草花おやつ 山登り )
「何もない」のではなく、あまりに日常に溶け込みすぎていて、誰も威張らないだけなのだ。越後のコマーシャルを密かに続ける私としては、そろそろお役所から「観光大使心得、付録」の任命状が届いても良い頃合いではないかと、密かに首を長くしている。
もし新潟の本当の歩き方を知りたいのなら、いつでも私に聞いてほしいものだ。私の散歩道には、その答えがいくらでも転がっているのだから。




