26.絶品! 中華料理店 “大河” ①
三角関数って、将来何の役に立つのかしら?
黒板の式を書き写しながら、ぼんやりと思う。
教壇では、鉛筆のような体型の男が黒板につらつらと計算式を書いている。彼の授業は退屈だと評判だ。一学期最後の授業だというのに、既にクラスの半分以上が眠りの世界に誘われている。
……紅一君、また居眠りしてる。
私の斜め前の席。頬杖をついて斜め下を向いている男子生徒に眼をやる。何かを考え込んでいるようにも見えるが、先程から鉛筆がピクリとも動いていない。
いいわね、平和そうで……。この間、あんな目にあったっていうのに……。
Dランドの一件以来、私は、紅一君たちと心の距離を置いている。だって、ついていけないんだもん。あれなら怪人たちの方がよっぽどマトモよ。
でも……。蒼二君の優しい笑顔を思い浮かべる。
あれから彼とはRINEのやりとりをしている。彼がメッセージをくれるのだ。学校で何があったとか、そういう他愛もない話だけど。
蒼二君、本当に私と友達になるつもりなのかしら。
“友達になろう”、そう言ってくれた時のことを思い出すと、自然と口元が緩んでしまう。いけない。一人でニヤニヤしてたら変な人だ。
むっ、視線!
体を動かさずに、目だけを横に動かす。
……相川さんだ。相川さんが私を見ている。これで何度目だろう? 実は、彼女、最近私のことをやたらと睨んでくるのよね。
正直とても鬱陶しい。
怪人の私は、普通の人間より五感が優れており、人の視線にも敏感だ。自分を見ている者がいればすぐに気がつく。毎日毎日無言で睨んでくる相川さんに、そろそろ神経がやられそうだ。私はこう見えて繊細なのだ。
放課後の事件があってから、しばらくの間、彼女は学校を休んでいた。しかし、今ではちゃんと学校に通っている。
一応、例の件については相川さんたちに謝っておいた。これからはクラスの行事にもできるだけ参加するとか、態度を改めるとか、適当な言葉を並べて。
相川さんも“わかった”と言ったので、解決したと思っていたのだけど……。
一体何なのかしら? こちらを睨んでくるだけで、特に何をしてくるでもなし。視線に気付いて相川さんの方を見ると、さっと目を逸らされるし。
でも、彼女、私に何かを言いたそうにしているのよね。それは何となくわかる。
もしかして、私の能力がばれた? いや、そんなはずは……。でも、彼女、勘が良さそうだし……。うーむ……。
一応、相川さんの行動については、チェックしておいたほうがいいかもしれない。いっそのこと、声をかけてみようかな。心配事はなるべくなくしておきたいし……。
そんなことを考えながら、シャーペンを指の上でクルクルと回す。
あっ、紅一君の頭が手からずり落ちた!
彼は、ビクッと一瞬体をこわばらせたが、何事もなかったかのように立て直し、また頬杖をついた状態で寝始めた。どうやら一切授業を聞く気はないようだ。
……それにしても退屈ね。脳みそが溶けちゃいそう。
怪人は普通の人間ほど睡眠時間を必要としない。短時間で長く起きておくことができる。だから、授業中に眠くなることもない。つまり、寝れなくて暇なのだ。
紅一君がうらやましくなってくる。
あまりにも退屈だったので、教科書の三角形に眼と触覚をつけ足し、スーツを着たカマキリの絵を描いて暇を潰す。
ちゃんと、眉間の皺もつけてっと……。
うん、いい出来! もう画伯なんて呼ばせない。
――こうして今学期最後の授業は終わっていった。
◆◇◆◇◆
「ねぇ、龍司の友達ってどんな人?」
「はぁ? 俺のダチ?」
「今日行くところ、龍司の友達の家なんでしょ。ねぇねぇ、どんな人なの?」
隣で歩いている龍司に尋ねる。
今日は待ちに待ったラーメンの日! 今、龍司の友達の家がやっているという中華料理屋さんに向かっているところね。
「そうだな。奴とは中学からの知り合いなんだが……」
ふむふむ。
「一言で言えばバカだな、バカ」
はぁ、バカ……。
「後先考えずに突っ走るわ、誰彼構わず喧嘩を売るわ。態度もでけぇし、いつも女のケツばっか追っかけてるしな。取り柄と言えば、喧嘩が強ぇことぐれぇだな」
「……なんだかいいところがないように聞こえるけど?」
「まぁな」
龍司が楽しそうに笑う。
……なぜそこで笑うのかしら? よくわからない。
「じゃあ、なんで友達やってるの?」
「さぁ、何でだろうな?」
はぁ? 真面目に答えてよ。
「気が合うからじゃねぇか? 深く考えたことはねぇな」
「ふーん、そうなの?」
気が合うねぇ。似たもの同士ってこと?
「ああ。それにな」
龍司がニヤリと笑う。
「あいつはバカでどうしようもねぇ野郎だが、やる時はやる男だ。いざという時、あいつほど頼りになる奴はいねぇ」
ふーん……。信頼してるんだ。
それにしても、龍司の友達って……。
「なんだか龍司と似てるわね」
私の言葉に、龍司がピタリと足を止める。
彼は、何ともいえない表情でこちらを見た。
「……お前、それ。褒めてんのか? けなしてんのか?」
あら? 気になる?
「さぁ? どっちかしら?」
ふふふ。わざとらしく含み笑いをする私。
「……」
「痛っ! ちょっとぉ、何するのよ!」
頭を小突くことないでしょ。乱暴なんだから!
「馬鹿言ってねぇで、さっさと行くぞ」
そう言って、一人で先に歩いて行ってしまう。
もう! 待ちなさいよ。
私は、慌てて彼の後に続いた。
◆◇◆◇◆
中華料理店“大河”は、いかにも町の中華料理屋さんっていう店構えだった。赤い看板に、出入り口には黄色ののれん。でかでかと書かれた“大河”の文字。
中に入ると、こぢんまりした店内に赤色の机と椅子が並んでおり、壁には手書きのお品書きが隙間なく貼ってある。中途半端な時間のせいか、まだ誰もいない。
くんくん。中華料理屋さんの匂いがする。これは炒め物の匂いね。
「いらっしゃいま……あら、龍ちゃんじゃない」
小柄で丸っとした中年の女性が笑顔で私たちを迎える。彼女は龍司を見て、顔をほころばせた。
龍ちゃんだって、ププッ……と言いたいところだけど、絶対に怒られるので黙っておく。
「おう、こんにちは、おばちゃん」
龍司も笑顔で返す。
「せっかく来てくれたところ悪いけど、英吉、今日は出かけてるわよ」
「ああ、いいんだ。今日はあいつに会いに来たわけじゃねぇからな」
「あら、じゃあ客としてきたの?」
「そういうこと。こいつにここの飯を食わせてやりたくてな」
龍司が私の頭に手を置く。
「あらあら」
おばさんが、私を食い入るように見てくる。
な、なに?
彼女は、私と龍司を交互に見て、楽しそうに笑った。
「お人形さんみたいに可愛い子じゃない。龍ちゃんも隅に置けないわね」
龍司が苦笑する。
「違うって、こいつはそんなんじゃねぇ。こいつは……そうだな、俺の妹分みたいなもんだ」
「ちょっと! 誰が妹分よ、誰が」
龍司の手を払いのけながら、文句を言う。
ジョーカーにいたのは、私の方が先なのよ。私は龍司の先輩なんだから!
色々と言ってやりたいところだけど、おばさんがこちらを見ている。
仕方がない。私はニッコリと笑って挨拶をする。
「初めまして。生富綾と言います。龍司とは同じバイト先で働いている先輩、後輩の関係です。ちなみに龍司が後輩です」
「はぁ? なんだそりゃ。面倒見てるのは俺の方だろ?」
龍司が不満そうに言う。ふーんだ。
「入りたての時、色々教えてあげたでしょ」
「教えてあげただぁ? よく言うぜ」
「何よ。何か文句あんの?」
私たちのやりとりを見て、おばさんがクスクス笑う。
「元気な子。龍ちゃんにお似合いね。付き合ってどれくらいなの?」
「……おばちゃん、俺の話ちゃんと聞いてたか?」
「あら、恥ずかしがらないで、教えてよ」
おばさんはニコニコしている。
「……ダメね。全然聞いてない」
「そのようだな……」
思い込みというのは厄介なのだ。おばさんの頭には、龍司と私が付き合っているとインプットされてしまったに違いない。
「そんなことより、おばちゃん。その辺の席、座っていいか?」
「あら、ごめんなさい。私としたことが、お客さんを立たせたままにしておくなんて。好きなところに座ってちょうだい。今、お茶持ってくるから」
「ああ、わかった」
私たちは、窓際の席に腰掛け、早速メニューをチェックする。
わーい、何頼もうかしら。今日は龍司のおごりなのよね。
「ねぇ、龍司のオススメは何?」
「麻婆豆腐と海老チリだな。ここのは絶品なんだぜ? あと担々麺もうめぇな」
麻婆豆腐と海老チリに担々麺……。龍司ってホント辛い物が好きね。
「どれくらい辛いの?」
龍司と違って、私はそれほど辛いのは得意じゃない。
「海老チリはそうでもねぇけど、麻婆豆腐と担々麺は結構辛いな。こっちの黒胡麻の方だったら大丈夫じゃねぇか。お前でも食べれるだろ」
へー、麻婆豆腐も担々麺も、黒胡麻とそうでないのがあるのね。美味しそう!
「ねぇ、二人で分けない? 私、色々食べてみたい」
「おう、いいぜ。じゃあ、適当に頼むか」
龍司のアドバイスに従いながら、注文する。たくさん頼んじゃったけど、大丈夫かしら?
料理を待ちながら、龍司と話をする。この間のDランドの話だ。
実は、誰かに聞いて欲しくてウズウズしてたのよね。
龍司には、友達とDランドに行ったとだけ説明する。デートとか言ったら、絶対なにか言われそうだもん。実際は、スターレンジャーのこと探りに行っただけだし。
「それでね、一緒にいた女の子が暴漢をやっつけちゃったの! どう思う?」
「どう思うって、お前……。それ本当の話か?」
龍司が疑いの目を私に向けてくる。
「本当なんだって。すごかったんだから! こう片手で男の人を持ち上げてね……」
大げさに手振り身振りを交えながら話す。
興奮する私を見て、龍司はあきれた顔をした。
むっ。なによ、その顔。
「おいおい、いくらなんでも話盛りすぎだろ……」
「何でよ」
「だってよぉ、片手で人を持ち上げるなんて男でも難しいぜ?」
「龍司だってできるでしょ?」
「高校生の女と俺を比べる気か、お前は」
確かに龍司は190㎝と背も高いし、筋肉質で体格もいい。そもそも怪人の時点で、その力は普通の人間と比較にならない。
「お前、夢でも見たんじゃねぇの?」
「失礼ね。そんなことありません」
「じゃあ、とんでもねぇ怪力ってことだな、お前の友達は」
「そうなるわね……」
桃ちゃんが怪力……。
あれ? スターレンジャーの強さは、あのスーツのおかげじゃなかったっけ?
でも、桃ちゃんは片手で軽々と男を持ち上げてたよね。とすると、彼女は変身しなくても強いってことになる。
どういうことかしら? 彼女は普通の人間じゃないってこと? でも私たち怪人みたいに手術を受けているわけではないわよね。……舞の記憶ではどうだったかしら?
あれこれ考えを巡らせていると、店の扉が勢いよく開き、金髪の男が入ってきた。
「ただいま」
「おかえり、英吉。龍ちゃん、来てるわよ」
ん、この人はもしかして……。
次回は木曜日に更新。
龍司って、どこで服買っているのかしら?
次回、『絶品! 中華料理店“大河”②』