了
八年後。
「むくちゃん。春の元服、はじまったよ」
視界の端から、少年が駆け寄ってくる。彼は、屋根の上に腰かけるむくの傍らまでたどり着くと、不思議そうに首をかしげた。
「何で、こんな遠くにいるの? 近くに行かないの?」
「私ははるちゃんの周りをうろついているだけの、ただの顔無しだから。こういう大事な行事の時には、そばにいることは許されないのよ」
剛鬼の死後。彼の生きていた事実さえ無かったことになってから。色々なことがあった。
隣には、愛嬌ある少年が座っている。あの後で知り合い、友人になった、化け狐の稲荷だ。お茶目で明るい少年は、むくと春鬼に沢山の笑顔を与えてくれた。稲荷には、心から感謝している。あのままの二人だけでは、きっと。笑い続けることはできなかった。彼が、笑顔を運んでくれた。
「……それに、この距離でいいの」
春鬼は立派になった。
あの日、兄の死を嘆いた子供はもういない。泣き虫だった少年。彼の涙を見たのは、あの日が最後になった。少年は自らが望んだ鬼という檻にとらわれた。彼が本当に欲しかったものは、深山という地位ではないだろう。だが、もうそれから逃れることを許されない。彼は檻の中で、勤めを果たそうともがいては、傷つき絶望する。そして、その都度思い知るのだ。兄が、永遠に失われたという事実を。
むくは、小さく見える、春鬼の姿を目で追った。
瞬く星が零れ落ちるように。少しずつ、少年の心から、純粋さが、真摯さが失われる。彼はもう、深山となることに、何の希望もないのだ。そして、その目が曇る度に、むくはいつか訪れるであろう『時』を、思い知る。
「……この距離でないと、私はきっと……はるちゃんを……」
いつか必ず。人間であることが露見する。
そのとき。自分はどうするのか。大人しく、妖たちに食われるか。人の世に逃げおおせるか。そのときは。
「……て、くれたらいいのに」
咄嗟に頭に浮かんだ言葉は唇から零れ落ち、むくははっとした。今、自分が言った言葉の不穏さに息を呑んだ。しかし、その言葉が思いのほか胸に落ちて、なじんだのも事実だった。
ああ、そうか。己の胸に、あふれたものに手を添えて、彼女はゆっくりと目を閉じた。
はるちゃんが、食べてくれたらいいのに。
だけど、はるちゃんは、あれきりお肉が食べられないから。まずは、好き嫌いを治すところから。むくは、小さく微笑んだ。




