表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/20

4

 優しい時間は、あっという間に過ぎる。それからの日々は、ただただ眩しかった。あさひは会いに行けば無邪気に笑み、頭を撫でてくれた。

「むく」

「なに、あさひ」

 むくの名前を口にして、嬉しそうにあさひは笑う。くすくすと口元に手を当てて、まるで稚い童女のように、彼女はわらう。

「むく、むく」

「うん。なに? あさひ」

 彼女は、むくの名前を何度も呼んで、その頭を撫でた。まるで我が子をいたわるように、ふれる優しい女の手。その穢れなき無邪気さが、むくの心のささくれだった部分にふれる度に、胸の奥が引きつるように痛んだ。

 もみくちゃにされた髪の毛を直していると、山をかき分けて、剛鬼が現れた。

「あ、むくちゃん! やっと見つけた。また、ここに来てたのね。はるちゃんが、探してたわよ」

「春人様……うるさいし、時々いじわるする」

「大丈夫、何かしたら、アンタんとこのおばさんに、また木に吊るしてもらうから」

「……」

「かまってほしいのよ。年の近いお友達ははじめてだから」

 春人は相変わらず威張ったり、泣いたりと、表情豊かにくるくる回ってにぎやかだったが、最後には憎まれ口をたたきながらも、必ず、むくの側にいてくれた。

「剛鬼様は、いかないの?」


「アタシは……あさひに会いにきたのよ。ごめんね、夕ごはんまでには戻るから」

 微笑む剛鬼は変わらず、むくの唇に匙を運んでいた。そして家に帰れば、いつも老婆が温かいご飯とともに出迎えてくれる。

「むく……あんた、また泥だらけにされて……あの小僧っこ。今度は簀巻きにするかい?」

 変わらない日常。色づいた日々。村にいたときには考えられぬ今。まるで夢の中にいるようだと、むくはまどろみの継ぎはぎを探す。夢ならば、醒めろ。少女は願う。しかし願いは叶わぬまま。やがて終わりはやってくる。終わりの始まりは、あさひが消えたことだった。

 とある早朝。門戸を叩く音に急かされ、家の扉を開くと、息を切らした剛鬼が飛び込んできた。必死な形相の剛鬼と目があって、むくは小さく息を飲んだ。

「…………の」

「剛鬼、様?」

「あさひが……あさひがっ、いなくなったの」

 顔を手で覆い、悲鳴のような声をあげる。彼は珍しく混乱していた。

「どうしよう。一体どこに。どうしましょう……もし、他の奴らに見つかったらっ」

「剛鬼様」

 手を伸ばすと、剛鬼がすがりついてその手を握る。彼の手を握り返し、むくは外を指さした。

「一緒に探してくれるの? ああ……ありがとう、ありがとう……むくちゃん」

 しかし、その日。二人がどんなに探しても、彼女の姿はなく、やがて日も暮れる頃。諦めと疲労が場を覆う。探索を打ち切り戻った深山の屋敷――その日の夕餉に『あさひ』が出た。

「俺が、見つけてきたんです」

 疲労困憊の二人を、出迎えたのは春人だった。彼は満面の笑みで、兄とむくを迎える。そして、彼は期待に目を輝かせて、兄を見上げた。

「一番いい部位は、明日の会合でふるまわれるらしいです。でも、少しだけ。はじめて俺が人間を捕まえたお祝いにだって、父様が……! ……? 食べないんですか? 兄様」

 褒めてくれと、その目が言う。犬のように尻尾を振って、彼は兄に褒めてと笑いかける。それは、年の離れた可愛い弟。彼ははにかんで、兄に言う。

「俺、人間の肉ってはじめて食べたけど、美味しいですね。兄様」

 だから、剛鬼は彼を褒めるため、その頭に手を置いた。できるだけ優しく、震える手のひらに力がこもらないように、平穏を保ち、弟の頭を撫でようと努めた。

「……兄様?」

 しかし、感情は抑えられない。頭を撫でる手に、少しずつ力が籠る。髪がもみくちゃになり、爪が頭皮を抉る。春人が痛みに悲鳴をあげようとしたとき。剛鬼の手が、不自然に止まった。

「――っ」

 彼の指先が、春人の頭部――削り取られた角の残滓(ざんし)に触れていた。

「…………兄様?」

「……ふ、ふふ。ごめんなさい……気分が、すぐれなくて。今日は、失礼するわ」

 口元を押さえて、彼は踵を返す。しかし、その手を、春人が強く引きとどめた。少年は、すがりついて兄を見上げる。

「どうしてっ? 食べて……くれないんですか?」

「ごめんね」

 なだめるように頭に触れる手を払って、春人は兄を睨み付けた。

「兄様は、ずるいです」

 唇を戦慄かせ、少年はその目に涙を滲ませ、兄をなじる。

「兄様は、ずるい! 俺は、ずっとっ! ずっと我慢しているのに……っ! 俺は、鬼だったらって、ずっと願って」

「お願い! 黙って‼」

 剛鬼の怒声が場に響いた。硬直する春人。落ちた沈黙。その先で、剛鬼は静かに言葉を繋いだ。

「……はるちゃん、大好きよ」

 ふふと笑って、彼は目を細めて笑う。その表情とは裏腹に、彼の拳は握りすぎて血が滲んでいた。

「本当に、本当よ……はるちゃんが生まれた朝のこと、今でも覚えてる。あの日の思い、忘れられないのよ。あなたが生まれてくれて、嬉しかった。アタシ、あんなに幸福だったことないのよ」

 彼は、年の離れた弟に顔を寄せる。

「だから」

 彼が浮かべた、弱々しい笑み。

「だから、全部あげる」

 それが、剛鬼の最後の笑みとなった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ