依頼者と夜半
_あれから一週間
今から俺のボッチ処世術でも紹介してみようか。
まず、登校すれば真っ先に椅子に座り文庫本を開く。挿絵のあるページになると勢いよく飛ばして、読んでいるときに思わず出てしまう笑い声は押し殺す。一人なのに笑っていたら気味悪がられるからな。
授業中は基本的には窓の外の風景を眺めたり、机に広げた別教科の問題集を済ませたり。
昼休みになると教室から抜けて、体育館の裏手で弁当を食べる。食べ終わった弁当の箱はそのまま教室に持ち帰るとぼっち飯だと判断されそうなので、駐輪場に駐めている自転車のカゴに入れておく。
そうした一連の作業を済ませ、授業も終学活も耐え凌いでようやく放課後になる。
とはいえ、最近はそういうわけでもない。変化として一番大きいのはやはり巫女部の存在だろう。そのため最近は週学活が終わるとすぐに加地先生によって、緊急災害用施設(略してプレハブ)に強制的に連れて行かれる毎日を過ごしている。
そんな俺を部室で待っているのは、神巫という毒舌厨二病少女。
俺がついた頃にはいつも必ず彼女が既にいて、何やら難しげな古書を読んでいるのだが、彼女は終学活を教室でちゃんと受けているのだろうか。
ぼっちにはそれぞれのボッチ処世術というものがあるが、彼女のそれについては全く予想できないほど不明であるなぁ不思議だなぁ、と訝しげに考え込んでいる俺を神巫は今日も見つける。
「あ、来たのか。カエル。」
カエルじゃねぇっつってんだろ。とはいえ、挨拶をしてくれるだけマシである。俺は部室の隅に置いてあった椅子を引いて座った。
神巫は教室の中央に机と椅子を一つずつ出して座っているので、俺はその周囲から一定距離離れた場所で身を据えているのだ。
「今日のラノベは〜と、」
「ねぇ。」
本の閉じる音が聞こえた。彼女の古書だろう。何か話でもあるのだろうか。
「あんたはさ、」
「うん。」
俺は頷いてみせた。加地先生に言われたように、たとえこいつが俺のことを馬鹿にしていても、俺は彼女と仲良くなれるように努力することを望んでいる誰かがいるから。
すると、彼女の口から信じられない言葉が投げかけられた。
「なんであんたはここにいるの?」
「え?」
一抹の電撃が教室に走った。そのまま彼女が言葉で追撃するのを察知して、俺は整理できていない心情を無理矢理言葉にして、口封じを企んだ。
「ちょ、うん?巫女部に入らされたのだから俺がここにいるのは普通では?」
「私はあなたを巫女部の部員とは認めていないわ。第一、部員になるには大事な儀礼が必要だし。」
儀礼。あれだろうか、成人になる印として歯を抜くとかそんな感じで何かするのだろうか。俺を嫌っている毒舌厨二病少女のことだ。恐ろしいことをされるかもしれない、と身を震わせた時だった。
「あ、あのぅ。」
扉が小さな音と共に開かれた。扉の奥に潜んでいるのは何やら大人しそうな女の子だった。
「大丈夫よ。入ってらっしゃい。」
神巫は落ち着いた声音で手招きと共にその少女を迎え入れた。紺色のセーラー服に緑色のリボン。緑は確か、一年生だっけ。およそ後輩らしきその少女は俺の方を見てから、神巫にこう言った。
「この人も依頼者ですか?」
依頼者。その言葉について過去に一度聞いたことがある。
初めて神巫と出会った時、彼女は俺を依頼者か何かと勘違いした。そして今回もまた別の少女に勘違いされている。共通点はこのプレハブの中という点。どういうことだ?
「依頼者って何のことだ?」
俺の問いに、神巫はポカンと口を開いてこちらを見つめ、おとなしげな少女もまた俺を見つめていた。
「「何でここにいるの?」」
俺も知りたいよ。
と、いうことで、部外者らしい俺は視線を手元の文庫本に落として、隠れるように縮こまった。すると満足したのか、神巫は椅子をもう一脚用意した後、ちょいちょいと手招きをしておとなしげな少女をそこに座らせた。
後輩には優しいんだな、と感心しているとその後輩が口を開いた。
「あ、あのぅ。1年5組の西澤興って言います。今日は依頼があってきました。」
「ええ。西澤さんは何の依頼かしら?」
「えっと」
「…」
彼女達は距離をグッと縮めて会話をしていた。俺に会話を聞かれたくないようだ。少し寂しい思いもあるが、あの毒舌冷酷な神巫が他人と話しているのを見ていると、案外、ボッチというわけでもないのだろうかとおもったりもする。俺が微笑んでいると、突然叱責が飛んできた。
「盗み聞きしてるの?さっさとどっかに消えなさいよっカエル!」
「カエル…?」
不思議に思う西澤興とやらの少女にひそひそ声で、さらに入れ知恵を企む神巫を尻目に、俺はいそいそと教室から姿を消した。ラノベは持っていっておこうか。
ちなみに彼女達は一体どんな関係なのだろう。そして彼女たちの言う依頼とは一体何なのだろう。
プレハブから土に至るまでの数段の石段を下りながら俺は物思いに耽る。
こうやって一人で放課後の学校を歩いていると何か不思議な感じがする。いつも定時帰りの俺だ。こんな事態は剣道部に在籍していた以来のことのように思う。
「雄介は元気にしているだろうか。」
少し休もうかな、と思ってふと元来た道を振り返ると、そこには見たこともない光景が広がっていた。一色に支配された光の世界。
元来た道はまるで天上世界かのように白く、清かった。
そんな桃源郷に驚いてバランスが崩れる。平衡感覚を失ったこの脳は地面に尻を打ち付けさせていた。
「いってぇ。」
「何事だ。」
誰だ。こちらへ走り寄る足音。そして女性の声。ああ、加地先生か。
「君はなぜ何もないところで転んでいるんだ。ほら、早く立つんだ。」
「は、はい。」
「一体これは何だね。」
「天上世界ですかね…?」
「馬鹿言うな。私達はまだ死んでおらん。」
手で瞳への光量を抑えながら何とかプレハブ内に入った俺達は、重い教室の引き戸を力を込めて開こうとした。
誰かが押さえているのかと思うほどに開かない扉は数分の格闘の末、突然ぷつりと死んだかのように一気に開かれた。
その間も光は煌めいていて、中でぱちぱちと何かの破裂音が聞こえていたのだが、気がついた時には部屋に立ち込める灯りは泡沫の夢かのように綺麗に消え失せていて、俺はそのまま床に倒れていた。
「げ。大事なところだったのにあんたのせいで…!」
「え、えっと…」
意識が朦朧としている中、そんなやりとりが聞こえたような気がした。
「何で戻ってくるのよ…消えなさいって言ったのに。」
「玲。」
「…っ加地先生。」
見上げると加地先生はニヒリな笑みを見せていた。格好つけるように教室の戸にもたれている。
てか、玲っていうのは誰のことだっけ?
あそうか。神巫の下の名前か。神巫 玲
「いやね。どうしたもこうしたもない。ここでさっき何があった?笹ケ谷が言っていたが、依頼となにか関係しているのか?」
「…」
「なんとか言わんか。」
「あんまり他人に言いたくない。」
秘密主義なのかな。神巫の冷め切った瞳はひどく悲しげだった。
「笹ケ谷も私も他人ではない。それにこいつはお前の部の部員だろう。」
「いいえ部員じゃないわ。儀礼を通過していないからただの他人よ。いやカエルよ。」
「カエル?いや、儀礼?」
同じところで引っ掛かったか。さすがの加地先生といえど、知らないものは知らないのだ。やはり人間は不完全なのだなと実感する。
それにしても、だ。先ほどから神巫に隠れてこちらを見ている西澤という女の子は一体何なのだろうか。加地先生の言葉が正しいのであれば、神巫に友達なんかいるはずがないのに。
「と、とにかく。今日はもうおしまい。もう帰るから。」
神巫は机に引っ掛けていた学生鞄をヒョイっと持ち上げて肩にかけると、後輩の女の子の手を引っ張ってそのまま教室から去ってしまった。その速さ、風の如し。
「お、おい。」
嵐の後の静けさと形容しても違和感ないほどに、神巫の去ったこの教室は止まっていた。時計が刻む音がうざったるく聞こえた。
「ま、まあなんだ笹ケ谷。あまり気を悪くするな。お前は入部届も出しているし、正式にこの部の一員なのだから。」
「形式的にはそうであっても、現場では全然違うってこともなんぼでもありますもんね。やっぱり慣れるべきでしょうか。」
「ああ、そうだ。しかし神巫は儀礼と言ったな。あれはどういう意味なのだろうか。」
指を口元に近づけて考え込む加地先生の姿は少し神々しかった。教室の窓を遮るように垂れるカーテンを一枚超えて届いている茜色の陽光がちょうど彼女の頬を照らしていたからだ。
無論、俺はコンクリートの柱による影のせいで表情すら十分に見えていないだろう。
「そもそもの話になるかもしれないんですけど、巫女部のことについて、そしてさっきの光について、知っていること全部教えてくれませんか?」
俺がそう言うと、加地先生は天井を一瞬見上げ、何かを思いついたのか、笑顔で手招きをしてきた。
「ちょっときたまえ。あと10分で完全下校だし。」
「明日話すって意味ですか?」
「違う。今から学校外で話すのだよ。」
加地先生は颯爽とコートをはためかせて、前をずんずんと進んだ。俺は床に下ろしていた鞄を持ち上げて後を追った。しばらくして、教員用の駐車スペースに停められている一台の自家用車が目に留まった。
「もしかして、これ先生のですか?」
「ん。のりたまへ。」
「…はい。」
助手席に失礼した。硬質な革のシートが、疲れ切ったこの足腰を優しく迎えてくれた。バックミラーは丁寧に磨かれており、澱みはない。隣で息をする先生の息遣いが聞こえた。
「ちょっと行きたい場所がある。そこへ少し寄ってから君の自宅まで車で迎えるよ。親御さんに連絡は大丈夫か?」
「あ、大丈夫です。お気遣いどうも。」
「分かった。」
と思えばエンジンがかかる。液晶やら何やらが明るく光だす。その光景は、瞬きのたびに増える星空のように、そして澱んだ目をしている俺でさえも見惚れてしまうほどに、本当に美しい光景だった。
「車は初めてか?」
「助手席に乗るのが初めてで。」
「そうか。じゃあ今日は楽しいドライブになるだろう。」
そうしてついに車が動き始めた。加地先生の鼻歌と共に、真っ暗な街を順繰りに通っていく。いつも自転車で通う通学路、たまに訪れる池、そして大きな鉄柱の下。二人を乗せた車は街の隅々を走った。
「なぁ笹ケ谷。」
「何ですか先生。」
いつもより低い声音で、加地先生はそっとつぶやいた。
「笹ケ谷はこの土地に伝わる『七人の雲』という物語を知っているか?」
七人の雲。
「それが、神巫と関係しているのですか?」
「まあ…そういうことになるな。」
掠れた声で答える加地先生。その変化に俺は一抹の違和感を感じながら。
「…教えてください。」
一番星が輝き始めた夜のセカイ。ひょんなところで遠い遠い昔話が始まった。




