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勇者と寄り添う聖女の背中を見て、俺は恋人を辞めた。手紙一通で消えた俺を、聖女様が血眼になって追っているなんて冗談だろ?  作者: novelnovel


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サイドストーリー:王国の落日、見落とされた真の英雄

王城の深奥に位置する円卓の間。かつては国家の輝かしい未来と魔王討伐の吉報が語り合われていたその場所は、今や重苦しい沈黙と、吐き気を催すような絶望の匂いで満たされていた。

重厚なマホガニーの円卓を囲むのは、王国の行く末を担う重鎮たちである。だが、彼らの顔色は一様に土気色に染まり、目の下には深い隈が刻まれている。上座に座るべき国王陛下は、連日の心労と絶望的な報告の連続により倒れられ、現在は病床に伏せっていた。

国王の名代としてこの場を取り仕切っている私、王国宰相アルバートは、手元にある羊皮紙の束を握りしめ、重い口を開いた。


「……以上が、東部戦線からの最新の報告である。我が王国の誇る第一騎士団は、魔王軍の先鋒部隊によって完全に壊滅。防衛線はさらに三十ロメイル後退し、魔王軍の脅威はついに王都の絶対防衛圏内にまで迫りつつある」


私の言葉が終わると同時に、円卓を囲む貴族や将軍たちから、悲鳴にも似た呻き声が漏れた。


「馬鹿な……第一騎士団が敗れただと!? 彼らには、勇者ガレス殿が同行していたはずではないか!」


軍務大臣が血走った目で私を睨みつけながら立ち上がった。


「勇者殿はどうされたのだ! 彼の伝説の武具と圧倒的な魔力があれば、魔王軍の先鋒など一蹴できるはずだろう! なぜ防衛線が後退しているのだ!」

「……勇者殿は、ご無事だ。第一騎士団が殿を務めて全滅する間、彼は後方へ撤退された」


私が事実を淡々と告げると、会議室は一瞬の静寂の後、爆発するような怒号に包まれた。


「逃げたと言うのか! あの勇者が!」

「民衆の希望たる存在が、兵士を見捨てて後退だと!? 一体どういうことだ!」


私は苛立ちを抑えきれず、テーブルを強く叩いて彼らを黙らせた。


「静粛に! 勇者殿を責めるのは筋違いというものだ。今の彼に、かつてのような無謀な突撃を期待すること自体が間違っている。なぜなら……彼の背後にはもう、無尽蔵の治癒の奇跡をもたらす『本物の聖女』はいないのだからな」


その言葉に、全員が押し黙り、苦々しい表情で視線を伏せた。

一ヶ月前、教会は「聖女エララは魔王軍の呪いにより命を落とした」と公式に発表した。そして、彼女の遺志を継ぐ者として、教会の奥から新たな修道女を「第二の聖女」として立てたのだ。

だが、この円卓に座る者で、その教会の三文芝居を信じている者など一人もいなかった。我々は王国の独自の諜報網により、真実を把握している。

本物の聖女エララは死んでなどいない。彼女は自らの意志で教会と勇者を捨て、辺境の村に身を隠したのだ。それも、勇者パーティを先に離脱した一人の戦士を追って。

教会が用意した「第二の聖女」には、擦り傷を治す程度の微弱な魔力しかない。当然ながら、瀕死の重傷を一瞬で回復させるような、エララが持っていた規格外の奇跡など起こせるはずもなかった。


「……ガレス殿の現状は、悲惨の一言に尽きる」


私は手元の報告書に目を落としながら、暗澹たる思いで語り続けた。


「彼は、自分が怪我をすればもう二度と元には戻らないという恐怖に苛まれている。かつては己の防御など一切考えず、聖女の治癒力を前提とした力任せの戦法で敵を粉砕していた。だが、今は違う。魔物の一撃を受けることを極端に恐れ、常に盾兵の後ろに隠れ、遠距離からの魔法攻撃に終始している。その魔法も、反撃を恐れるあまり威力が激減しているそうだ。……夜になれば恐怖を紛らわすために安酒に溺れ、少しでも彼を批判する兵士がいれば、暴力で口を封じているという」

「なんという有様だ……」


財務大臣が頭を抱えた。


「それでは、ただの怯えた魔法使いではないか。民衆はまだ『勇者と聖女がいるから大丈夫だ』と信じているが、この惨状が知れ渡れば、一瞬で暴動が起きるぞ」

「だからこそ、我々はこの防衛線を死守しなければならないのだ。だが、前線の士気は底を突いている。本物の聖女の癒やしがない戦場で、兵士たちは次々と命を散らしているのだからな」


会議室に、絶望という名の分厚い雲が立ち込めていた。

私たちは、魔王討伐という人類の命運を、勇者ガレスという一人の男の圧倒的な暴力と、聖女エララという無尽蔵の回復力に完全に依存していた。その二つの歯車が噛み合っている間は、我々は無敵だと錯覚していたのだ。

だが、その歯車を繋ぎ止め、スムーズに回転させていた「潤滑油」の存在を、私たちは完全に軽視し、そして見落としていた。


「……皆様に、お見せしたいものがある」


私はそう言うと、控えていた書記官に顎でしゃくり、円卓の上に分厚い羊皮紙の束を配らせた。


「これは?」

「王室直属の記録係が、かつての勇者パーティの戦闘記録と、日常の行動記録を改めて詳細に分析し直したレポートだ。……我々が、どれほどの愚行を犯していたのかを証明する、忌まわしい記録でもある」


貴族たちが怪訝な顔でレポートに目を通し始める。やがて、その顔色が驚愕と信じられないという色に染まっていくのを、私は静かに見つめていた。


「な、なんだこれは……。魔物との戦闘における、勇者ガレスの被弾率の推移……。ある時期を境に、劇的に上昇しているではないか」

「こちらは野営時の記録か。聖女エララの魔力回復効率が、特定の条件が外れた途端に半減している……?」


彼らが口々に疑問を漏らす中、私は重い声で真実を告げた。


「お気づきになられたか。その『ある時期』であり『特定の条件』とは……戦士カエルが、パーティを離脱したことだ」


戦士カエル。

勇者パーティにおいて、特別な魔法も使えず、神の加護も持たない、ただの実直なだけの戦士。王国の評価では、彼は「勇者と聖女の威光に便乗しているだけの、運の良い凡人」に過ぎなかった。誰も彼に期待していなかったし、ガレスが彼を冷遇していることにも見て見ぬ振りをしていた。

だが、事実は全く異なっていたのだ。


「記録係の分析によれば、戦士カエルは戦闘中、常にパーティの死角を補い、魔物のヘイトを一身に集める立ち回りをしていた。ガレス殿が防御を捨てて大魔法を放てたのは、カエルが泥に塗れながら敵の攻撃の軌道を逸らし、彼を守っていたからだ。エララ殿が安全な後方から治癒魔法に専念できたのも、カエルが彼女への射線を命懸けで塞いでいたからに他ならない」


私はレポートの別の一節を指差した。


「戦闘だけではない。野営の際、彼は誰よりも早く起き、見張りを務め、食料を調達し、武具の手入れを一人でこなしていた。ガレス殿の傲慢な振る舞いや暴言を黙って受け止め、パーティ内の不和が表面化しないように、彼が全ての毒を飲み込んでいたのだ。そして何より……聖女エララ殿の精神的な支柱であったのは、勇者ではなく、彼だった」


会議室は、水を打ったように静まり返っていた。


「エララ殿の治癒魔法は、彼女の精神状態に大きく依存していた。彼女が『聖女の務め』という重圧に押し潰されず、奇跡の力を維持できていたのは、カエルという幼馴染が傍にいて、彼女の心を支え続けていたからなのだ」


私は深く息を吸い込み、最も恐ろしい結論を口にした。


「我々は、勇者が剣であり、聖女が盾であると思い込んでいた。だが違う。勇者と聖女は、単なる強大な力を持った『兵器』に過ぎなかったのだ。その兵器を正しく運用し、一つのパーティとして機能させていた真の要……それこそが、ただの凡人だと見下していた、戦士カエルだったのだ」

「そんな……馬鹿な……」


軍務大臣が、手の中の羊皮紙を震わせて呟いた。


「我々は、パーティの最も重要な心臓部分を……ゴミのように扱い、自ら追い出してしまったというのか……?」

「その通りだ」


私は自嘲気味に笑った。


「我々だけではない。教会も、そしてガレス殿自身も、彼の価値に全く気づいていなかった。失ってから初めて、彼がどれほど巨大な穴を埋めていたのかに気づいたのだ。だが、もう手遅れだ。カエルが去ったことで、エララの精神は崩壊し、彼女もまた姿を消した。残されたのは、回復手段を持たず、恐怖に震えるただの傲慢な魔法使いだけだ。……これが、我々が見落としていた真実なのだよ」


沈黙が、重く部屋にのしかかる。

後悔という言葉では到底足りない、国を滅ぼすほどの致命的な失態。我々は目に見える華やかな力だけを崇拝し、泥に塗れて下支えをする人間の献身をせせら笑っていた。その報いが、今まさに王国を滅ぼそうとしているのだ。


「……宰相閣下」


一人の老貴族が、震える声で尋ねてきた。


「その、戦士カエルと聖女エララは……現在、辺境のオーエン村に身を潜めているのですよね? ならば、王国の全権をもって彼らを呼び戻すことはできないのでしょうか。彼らに土下座してでも、もう一度王国のために戦ってもらうようにお願いすれば……」


その言葉に、私は首を横に振った。


「不可能だ。……諜報員の報告によれば、ガレス殿が彼らを連れ戻そうと辺境に赴いた際、戦士カエルはガレス殿と一騎打ちに及び、彼を完全に圧倒して退けたそうだ」

「なっ……!? あの戦士が、勇者に勝ったと!?」

「信じ難いことだが、事実だ。カエルの実力は、我々の評価など遥かに凌駕していた。愛する者を守るための覚悟を決めた彼は、もはや手負いの勇者など赤子扱いできるほどの領域に達している。……そんな彼らに、王国の権力が通用すると思うか?」


私は円卓の貴族たちを見回した。


「もし我々が兵を差し向けて彼らを強引に連れ戻そうとすれば、カエルは王国の敵として我々に牙を剥くだろう。そして、聖女エララも彼と共にある。本物の勇者以上の力を持つ戦士と、無尽蔵の回復力を持つ聖女。……彼らを敵に回せば、魔王軍が到達する前に、この王国は彼らの手によって灰にされるぞ」


絶望の宣告に、もはや誰一人として声を上げる者はいなかった。

彼らは自分たちの愚かさを呪い、ただ静かに頭を抱えることしかできなかった。


「彼らには、もう干渉するな」


私は静かに、だが断固とした口調で命じた。


「彼らは彼らの幸せを見つけたのだ。国のために自分たちの人生を犠牲にする義務など、彼らにはもうない。彼らを裏切り、絶望の淵に追いやった我々に、彼らに助けを求める資格など最初から存在しないのだ」


会議は、具体的な解決策を何一つ生み出さないまま散会となった。

誰もが、この国に未来がないことを悟っていた。足音を立てて迫り来る魔王軍を前に、ただ滅びの時を待つしかないのだと。


私は一人残された円卓の席で、静かに目を閉じた。

脳裏に浮かぶのは、北の辺境の地で、穏やかに笑い合う二人の姿だった。

彼らは今頃、雪解けの風を感じながら、二人だけの静かな世界で幸せな時間を過ごしているのだろう。王国の崩壊も、教会の嘘も、彼らにはもう届かない。


「……どうか、お幸せに。我々の罪を、どうか許さないでくれ」


私は誰にも聞こえない声でそう呟くと、再び重い報告書の束に目を落とした。

窓の外では、王都の空を覆うように、魔王軍の接近を告げる不吉な黒雲がゆっくりと広がり始めていた。かつて光り輝いていた王国の落日は、もはや誰の目にも明らかなものとなっていた。そして、その滅びの運命を止めることのできる真の英雄は、二度とこの国を振り返ることはないのだ。

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