魅了魔法と誤解を解きたいだけなのに 2
気づくと、マグノリアは馬車の中に乗せられていて、降りようとして扉に手をかけたときには馬車が動き出してしまった。
(どうして、こんなことにっ……!)
密かにメイドとして潜入し、こっそりと魅了魔法を解くつもりだったのに、初手から観察対象であるアドルファス本人に遭遇してしまうなんて先行きが不安だ。
「ロータスとは仲がいいの? あいつ、君を泣かせたら絶対に許さないって忠告しにきたんだよね」
「好きな食べ物はなに? 昼食で出すよう、料理長に言っておくよ」
「もしかして、王都に住み始めたのは最近なのかな? よければ、王都を案内させてくれるかい?」
おまけに、アドルファスから矢継ぎ早に話しかけられているため、一つ一つの質問に対して無難な答えを考えなければならず、早くも疲労困憊だった。
こんなに関わることなんて、まったく想定していない。
潜入中も度々話しかけられてしまったら目立ってしまい、密かに動くことなんてできなさそうだ。
「――ああ、言い忘れていたけれど、私に惚れないでね? 私には、心に決めた人がいるから、君の気持には答えられないよ。実は、宵の魔女に魅了魔法をかけられてから、彼女に心底惚れているんだ」
「はいぃぃ……」
不意に告げられた一言に、心臓がドクリと大きく脈を打ち鳴らす。
飛び上がりそうになったが、踏ん張って耐えた。
「噂には聞いていたのですが、本当なのですか?」
(嘘よ! おねがい、嘘だと言って!)
心の中では盛大に狼狽えているが、師匠に叩きこまれた〝宵の魔女〟となるための演技力を総動員して平静を装う。
少しでも気を抜いてしまったら、ガクガクと震えながら絶叫してしまいそうだ。
「本当だよ。気づけば彼女のことばかり考えてしまってね。こんなにも誰かに想いを寄せるなんて、生れて初めてだから正直戸惑っているんだ」
そう言い、悩ましげに眉根を下げるアドルファスの姿には、見ていると落ち着かなくなってしまいそうなほどの艶やかさがあったため、そっと視線を外した。
思っていたよりも強い魅了魔法がかけられているようで、泣きたい。
「おや、もう着いてしまったか」
窓の外を見るアドルファスに釣られて視線を動かすと、ちょうど屋敷の手前の門が開く。
その先には、主を出迎える使用人たちの姿があった。
主と同じ馬車に乗ってきたことを、どのように思われるのだろう。
そんな不安はあるものの、ようやくアドルファスから解放されることに胸をなでおろす。
アドルファスが目の前に手を差し伸べてきたので、自分の手を重ねる。
平民はエスコートを知らないのでは、と思ったときには、もう馬車の外に出てしまっていた。
安堵して気が緩んでいたうえに、幼少期に身につけた礼儀作法の習慣がまだ体の中に残っているせいで、条件反射でその手を取ってしまったのだ。
「今日からうちで働く、マグノリアだ。帰宅途中で会ったから、そのまま連れてきたよ」
「まあっ! なんてことを!」
使用人たちの列の先頭にいる、中年くらいの女性が鋭く声を上げた。
サファイアのような深い青色の髪と瞳を持つ、優しそうな雰囲気がある美しい女性だ。
黒色のワンピースに白色のエプロンといったメイドらしいお仕着せを着ているから、使用人なのだろう。
女性はこちらまでツカツカと歩み寄ってくると、アドルファスからマグノリアを引き離して、心配そうに顔を覗き込んできた。
「あなた、大丈夫? アドルファス殿下に嫌なことはされていない?」
「サーシャ、マグノリアに誤解されるようなことを言わないでくれるかい? メイド長の君がそのようなことを言えば、マグノリアがすっかり誤解してしまうじゃないか」
どうやら、サーシャと呼ばれた女性はこれから自分の上司となる人物らしい。
アドルファスの言葉に、サーシャはフンと鼻を鳴らした。
「だって、殿下は色んな女性を弄んできたという前科がありますもの。それで、湯あみの準備はできておりますが、先に朝食を召し上がりますか?」
「ありがとう、食事はとってきたから、湯あみを頼む。――じゃあね、マグノリア。今日からよろしく」
アドルファスはサーシャの言葉やそっけない態度を別段気にしていないようで、マグノリアに片目を瞑る。
なんともキザな仕草だ、と思いながらも礼をとった。
(それにしても、どうしてこんな時間に屋敷に帰っていたんだろう? まさか、朝帰り……?)
浮名を流していると噂されているくらいだから、あり得そうだ。
騎士団に出勤する前まで遊んでいるなんてだらしない、と思わず眉を顰める。
「魔獣討伐では昼夜問わず気を抜けなくてあまり眠れなかったから、午前中は仮眠をとる。午後から書類の確認をする準備をしてくれ」
「かしこまりました。三日間の遠征、お疲れ様です。急な魔獣の集団暴走が起きるなんて大変でしたね」
先ほどから一転して、サーシャが労いの言葉をかけた。
(ひぇっ、誤解してごめんなさい……っ!)
先入観で彼を軽蔑してしまったことに後ろめたさを感じて、心の中でアドルファスに平謝りする。
今日の仕事で屋敷の掃除をすることになるなら、屋敷全体が光を纏うほどピカピカにしよう、と心に誓った。




