悪辣な(?)宵の魔女 2
マグノリアの突っ込みは、しんと静かな小屋の中の空気に溶ける。
ハッとして、再び扉の外に耳を澄ませると、アドルファスと部下たちが建物から遠ざかっていく足音が聞こえた。
少しだけ扉を開け、隙間から外を確認すると、彼らが中心街へと向かっていく後姿が見える。
ようやく帰ってくれたことにホッと息を吐く。
しかし、完全に安堵することはできなかった。
アドルファスが話していた内容が、やはり気がかりだ。
「な、なんで? どうして、私がやったことになっているの?」
もしかすると、無意識に魔法をかけてしまったのだろうか。
とはいえ、アドルファスとは月に一度くらいの頻度で言葉を一言二言交わすくらい。
そのときに口にした言葉が誤って呪文となり、魔法を成立してしまうことはないはず。
それなら、寝惚けていた時にうっかり魔法をかけてしまったのだろうか。
もしくは、くしゃみをした瞬間に魔法が誤作動でかかってしまったのか……。
あり得ないと思う一方で、もしもそうだとしたらと思うと、肝が冷える。
本当に王弟に魅了魔法をかけていたら、故意でなかったとしても処刑不可避だ。
王族への傷害および魔法による精神操作は死罪に値する。
全身からさっと血の気が引いた。
寒さからなのか、恐怖からなのか、歯がカチカチと鳴り始める。
「わ、わーっ! どっ、どどどっ、どうしよう……っ!」
その場で体を小さくして蹲り、頭を抱えて半泣きになる。
巷では悪辣と囁かれる宵の魔女は、本当は悪辣に見せかけているだけの、ちょっぴり小心者な魔女なのであった。
「どうしよう! このままじゃ、処刑されちゃう!」
叫んでいると、階段からトトトと足音を立てて、一匹の雌の黒猫が降りてきた。
この黒猫はマグノリアの使い魔で、名前はジュニパー。マグノリアとは十年来の付き合いだ。
『もうっ、いったいどうしたの?』
ジュニパーはマグノリアの体に自分の体を擦り寄せてくれる。
ふわりとした彼女の被毛が触れると、少しだけ心が落ち着いた。
「王弟殿下がきてぇ……。いつもみたいに、なかなか帰ってくれなくてぇ……」
『そういえば、さっきまであのイケメン騎士がいたわね。さすがは騎士団長と言うべきか、浮名を流している噂がある割には定期的にこんな街の端いる偏屈な魔女のことまで気にかけてくれるなんて、立派な人よねぇ』
ジュニパーは、鈴の音を転がすような美しい声で話しかけてくる。
「ねぇ、ジュニパー。さっきのアドルファス殿下の話を聞いた?」
『ええ、マグノリアに魅了魔法をかけられた、なんて言っていたわね』
「私は絶対に、そんなことしていないと言いたいのだけど……、なにかの手違いで、うっかり魅了魔法をかけてしまったのかもしれないから、心配なのよ」
『いっそのこと、そのままあのイケメン騎士と結婚するのはどう? 紳士的だし、大切に守ってくれそうだわ』
「な、なんてことを! アドルファス殿下はこの国の王弟だよ? そんな尊い御方に魅了魔法をかけたまま放っておけば、問答無用で処刑されてしまうよ!」
この国では魔女は王族に保護されている存在だが、だからといって王族への攻撃が許されるわけではない。
誤解を解くには、どうすればいいのだろう。
必死で頭を捻っていると、閃きが舞い降りてきた。
「……そうよ、私が魅了魔法を解けばいいのだわ! メイドになって、王弟殿下の屋敷で働けば、王弟殿下にかけられた魅了魔法を解析して解けるはず!」
アドルファスが今は王宮から離れて王都にある屋敷に住んでいることは知っている。
以前、彼が一方的な雑談で教えてくれたのだ。
『たしかに、近くにいれば魔法を分析して解くことができるかもしれないけれど……どうやってメイドになるつもり? 王族の屋敷の使用人は、そう簡単になれるものじゃあないでしょう?』
「うん。……だから、お兄様に頼んでみようと思うの」
『ああ、あなたの従兄に、貴族家の当主がいたんだったわね』
「こんなことを頼むのは申し訳ないけれど、もしものことがあればお兄様にも迷惑がかかるから……頼み込んでくる」
そっと目を伏せ、唇を噛む。
本当は従兄に会うことに少し抵抗があるが、事態は一刻を争うのだから、二の足を踏んでいる暇はない。
「グリフィン侯爵家のタウン・ハウスに行ってくるね」
落ち着いたチョコレート色のハンドバックに店内に置いている回復薬を数種類入れると、いそいそと二階へ行き、宵の魔女の制服である黒色の胸元が開いたワンピースを脱いで開いたクローゼットの扉にかける。
そして、クローゼットから取り出した白色のブラウスと若草色のスカートに着替えた。
続いて、鏡台の前にある小瓶の中身を手に取って顔に塗り、化粧を落とす。
鏡に映るのは、やや釣り目がちな目が特徴的な、気品のある美しい女性だ。
ぱちんと指を鳴らすと、近くにある姿見に映るマグノリアの髪の色が、名前の通りマグノリアの花のような薄紅色へと変わる。
瞳の色は紫色になった。
「ジュニパー、留守番よろしくね。行ってきます!」
そう言い、マグノリアは自宅兼店を出た。




