第2話 選ばれたい
最初の一通は、ラグナの一件から八日後の夕方に届いた。
光の神殿、受付を兼ねた前庭の一室。若い神官が、差し出された封筒を受け取り、宛名を読み上げる。
「……『光の象徴、シルヴィーン殿下へ』」
差出人は、魔術機関の中堅魔術士だった。内容は簡潔で、丁寧だった。
自分の外套へ、歪みへの耐性を付与していただきたい。日時は殿下のご都合に合わせる。相応の謝礼を用意する。
神官は首を傾げた。神殿は、そんな業務をしていない。
「……何かの間違いでは」
そう言って封筒を脇へ置いた。
翌朝、三通が届いた。
昼までに七通。
夕刻には、机の上で束が崩れた。
束をまとめ直した神官は、もう宛名を読み上げなかった。
* * *
噂は、正確に始まった。
ラグナの歪みへ入った水と風の守護者が、帰還後、光の象徴から外套へ光の力を付与された。
水の守護者の外套には、光が既存の術路を乱すことなく馴染んだ。前例のない現象だった。
風の守護者の外套にも、光の加護が残っている。
ここまでは、事実だ。
三日目には、こうなっていた。
――光の象徴の加護を受ければ、歪みの中でも傷を負わない。
四日目には、こうなった。
――守護者の装備と、光が“融合”したらしい。二度と剥がれないそうだ。
五日目。
――あれは加護ではない。光の象徴にしか出来ない、特別な祝福だ。
そして、六日目。
――受けられるのは、選ばれた者だけらしい。
この一行が加わった瞬間、依頼は殺到した。
* * *
「……七十二件です」
サイラスが、書類の束を執務机へ置いた。音が、重い。
「本日の午前までで。まだ増えます」
シルヴィーンは、ペンを持ったまま顔を上げた。積まれた束を、ひととおり眺める。
「多いわね」
「多い、では済みません。……内訳を申し上げます。魔術機関から二十九件。神殿の各分神殿から十八件。王家から四件。個人名義のものが十件。それから――」
そこで、一度言葉を切った。
「他国の使者から、十一件」
「他国?」
「アポロニア、ヴェルディア、ルシタニア。それぞれの神殿と、王家からです」
シルヴィーンは、少しだけ首を傾げた。
「早いわね」
「感心なさっている場合ですか」
サイラスは、束の一番上の書状を抜き出す。
「すべてに、同じ一文が入っています。――『光の象徴ご本人による付与を希望』」
「無理よ」
即答だった。
「……無理、とは」
抜き出した書状が、手の中で行き場を失っている。
「水の守護者の外套と同じことは、できないわ」
シルヴィーンは、書状の束へ視線を落としたまま続ける。
「あれは、術路が拒まなかったから入っただけ。他の装備では閉じる。風の守護者のもので、試したの」
「……試された、のですか」
「ええ。閉じたわ」
あっさりと言い切って、シルヴィーンはペンを置いた。
「だから、同じものは約束できない。でも――」
シルヴィーンは顔を上げる。
「外側から重ねる防護付与でよければ、受けるわ」
サイラスは、しばらく言葉を探した。
「……それは、精霊の加護ではありません」
「ええ。外側へ防護を重ねるだけよ」
「高位神官でも施せます。効果も、手順も変わりません」
「そうね」
「ならば、お断りできます」
「なぜ?」
問い返す声には、本当に理由が分からないという響きしかなかった。
サイラスは、束へ手を置いた。
「七十二件です。まだ増えます」
「一件あたり、そう時間はかからないわ。一日十件なら、一週間程度で終わる」
「その一週間で、依頼は二百件になります」
「なら、増えた分もやるわ」
「一日十件で、二十日。その二十日、歪みは待ちません」
サイラスは額に手を当て、深く息を吐いた。
「シルヴィーン様」
「なに?」
「あなたは、なぜ人が加護を欲しがるのか、お分かりですか」
シルヴィーンは、当然のように答えた。
「歪みへ入るからでしょう」
「違います。彼らが欲しがっているのは、防護ではありません」
サイラスの声が、静かに落ちる。
「――あなたに、選ばれたいからです」
シルヴィーンの手が、止まった。
仮面の奥の青が、一度だけ瞬く。
「……選ばれたい?」
本気で、分かっていない顔だった。
* * *
その日の午後。魔術機関ハイランディア支部、応接室。
セヴァンが、束ねられた書状の写しを一枚ずつ捲っている。口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「これは、これは」
向かいの席で、レヴィンは書類へ目を落としたまま、動かない。
「機関だけで二十九件。うち十四件は、あなた宛です」
「……なぜだ」
「『水の守護者に取り次いでいただきたい』だそうですよ」
捲られかけた紙が、戻される。
「私は関係ない」
「関係、大ありでしょう」
セヴァンが、書状の束を軽く掲げる。
「発端は、あなたの外套です」
返事はない。
セヴァンは、書状を机へ置いた。
「ちなみに光の神殿は今週末、対応方針を決める会議を開くそうです。そして、加護を受けたあなたも、出席を求められています」
「……そうか」
「光の守護者も、出席されるとか」
レヴィンが、わずかに顔を上げた。
「あの方がこのような会議に出るところなど、見たことがありませんが」
セヴァンの目が、細くなる。
「面白くなりますよ」
レヴィンは、答えない。ただ、椅子の背へ掛けた外套へ、一度だけ視線を向けた。
深い青緑の奥で、白銀が静かに沈んでいる。
「光の守護者は、何をしに来る」
「さあ」
セヴァンは、書状を揃えた。
「私も、それが知りたいですねぇ」




