第五章 恋の色
白いうさぎを追いかけていた。
草原を駆ける小さな背中は、
風と遊んでいるようだった。
少女も走る。
風が頬を撫でる。
髪が揺れる。
うさぎは丘を越えた。
少女も丘を越える。
そして。
その向こうに誰かがいた。
青年だった。
草の上に座り、
空を見上げている。
風が吹く。
青年が振り返り、
少女と目が合う。
なぜだろう。
初めて会ったはずなのに、
どこか懐かしい気がした。
青年は微笑んだ。
やさしい笑顔だった。
それだけで、
胸の奥が少し温かくなる。
「こんにちは」
少女は小さく言った。
「こんにちは」
青年も答えた。
それだけの会話だった。
それなのに。
なぜだろう。
風が少し違って感じた。
空が少し近くなった気がした。
白いうさぎは二人の間を通り抜ける。
青年は笑った。
「案内してくれたのかな」
少女も思わず笑う。
「かもしれない」
その日から、
二人は一緒に歩くようになった。
名前は聞かなかった。
どこから来たのかも、
知らなかった。
けれど不思議と困らなかった。
一緒にいることが自然だった。
花を見つける。
「見て」
少女が言う。
青年がしゃがみ込む。
「…きれいだね」
それだけなのに嬉しかった。
空を見上げる。
雲が流れている。
「あの雲、鳥みたい」
青年が言う。
少女は目を細める。
「本当だ」
今まで気付かなかった。
雲はただの雲じゃなかった。
風も。
草も。
空も。
世界にはこんなにもたくさんの見方があった。
少女は知っていく。
青年が見ている世界を。
そして。
その世界が好きになっていく。
ある日。
二人は夕暮れの丘に座っていた。
夕焼けが空を染めている。
茜色。
金色。
柔らかな橙色。
少女は知っていた。
夕焼けは美しい。
けれど、
今日は少し違った。
「今日の夕焼け」
青年が言う。
「昨日より金色が多いね」
少女は見上げる。
そして気付く。
本当だった。
昨日も夕焼けを見た。
けれど見えていなかった色がある。
少女は笑う。
「本当だ」
夕焼けは変わらない。
世界も変わらない。
それなのに。
隣に誰かがいるだけで、
見える色が増える。
不思議だった。
少女は夕焼けを見る。
そして青年を見た。
青年は夕焼けを見ている。
その横顔を見ていると。
胸の奥がふわりと温かくなった。
花を見た時とも違う。
空を見た時とも違う。
夕焼けとも。
星とも、
違う。
けれど。
全部に少し似ている。
少女は胸に手を当てる。
心が小さく跳ねていた。
とくん。
とくん。
やさしい音だった。
その時。
青年が少女を見て、
「どうしたの?」
と言った。
少女は少しだけ考えた。
そして首を振る。
「ううん」
言葉にできなかった。
けれど。
一つだけわかることがあった。
少女はこの時間が好きだった。
風が吹く。
草が揺れる。
夕焼けが輝く。
白いうさぎが草原を駆けていく。
その全部が愛おしかった。
そして。
その景色の中に。
青年がいることが嬉しかった。
少女は笑う。
小さくではな心から。
自然に。
まるで春の日差しが花を咲かせるように。
少女は笑った。
今までで一番、
幸せそうに。
青年は少し驚いた顔をした。
そして嬉しそうに笑った。
少女もまた笑う。
二人の笑い声は風に乗り、
草原の向こうまで運ばれていく。
胸元で小さな音が鳴った。
からり。
少女は見下ろした。
砂は、
深い紅色に染まっている。
ゆっくり。
ゆっくりと、
落ちていく。
けれど、
砂はまだ少しだけ残っていた。
たった数粒だけ。
静かに残っている。
少女はその意味を知らない。
夕焼けが綺麗だった。
風が心地良かった。
隣に誰かがいた。
今は、
それだけで十分だった。
少女は空を見上げる。
そして思う。
この世界は、
本当に綺麗だと。
知らなかっただけで…
こんなにも。




