第7話 想定外の初ダメージ
古ぼけた木製の扉を押し開け、眩い外の世界へと勢いよく二歩ほど踏み出した、その瞬間だった。
視界が開ける間もなく、目の前に立ち塞がった無機質なレンガ造りの壁に、顔面から思いきり激突してしまった。
「……っう!」
鼻の頭を強打した瞬間、視界の端で「-1」という小さな数字が、まるで火花のようにパッと跳ねて消えた。
それと同時に、鼻先から頬にかけて、ほんのわずかに「チリッ」とした小さな刺激が走る。
静電気をさらに弱くしたような、指先に少し触れる程度の微かな感触。
現実の打撲のようなズキズキとした痛みではないけれど、確かに今、肌をなぞるような不思議な刺激が走ったのだ。
びっくりして、思わず鼻を押さえながら視界の右上に意識を向ける。そこには緑色のHPバーと、その横に小さな白い数字が表示されていた。
【 HP 49 / 50 】
「本当に、1だけ減ってる……」
体力満タンだったはずの数値が、たった数歩で「49」に。
まさかゲーム開始早々、数メートルも歩かないうちにダメージを受けるなんて。しかもモンスターでも罠でもなく、ただの壁への激突でだ。
これくらいの刺激なら女性や子供でも怖がらずにプレイできるだろうけれど、あまりに情けない初ダメージに、驚きを通り越して少しムッとしてしまう。
少し不機嫌になりながらも、今出てきた扉を振り返った。きっと今、自分はかなり怖い顔をしているだろう。
だが、そこにはさっきまであったはずの扉が無かった。あるのは、自分がぶつかった壁と同じ、冷たそうなレンガが積まれた建物の壁面だけだ。
「……扉、消えてるし」
どうやら完全に、この不親切なゲームの世界に放り出されたらしい。
見上げれば、高い建物に挟まれて空が細く切り取られている。どこか埃っぽい匂いが漂う、薄暗くて狭い路地裏だ。
こんな場所にいつまでも居座る趣味はない。ゆうちゃんと合流するためにも、まずは待ち合わせができそうな場所を探さないといけない。
そういえば、メニュー画面の開き方が分からない。あの精霊、肝心なことを何も教えてくれなかった。
誰か他の冒険者に聞くなんて、絶対に無理だ。家族以外の人と喋るなんて、考えただけでも喉の奥がキュッとなる。
ましてや、こんな不気味な路地裏にいる人間に声をかける勇気なんて1ミリもない。
大体のゲームなら、メニュー画面なんて感覚的に開けるはずだ。
まずは意識を集中させてみる。声に出すのは恥ずかしいし、なにより戦闘中なんかにいちいち叫ぶ仕様だとしたら、あまりに不便すぎる。
目の前の空間にウィンドウが出る様子を強くイメージしてみるが、特に反応はない。
今度は、自分の脳内にあるスイッチを押し込むような感覚で、もう一度強く念じてみた。メニューを表示してくれ、と。
「あっ」
その瞬間、パッと視界に光が散り、薄い青色の半透明ウィンドウが表示された。
どうやら、特定の言葉を口にするのではなく、「システムを呼び出そうとする明確な意思」に反応する仕組みらしい。これなら人前で独り言を言わなくて済むし、咄嗟の時でも使いやすそうだ。
表示された項目にはアイテム、装備、ステータス、メッセージなどが並んでいる。指先で操作していき、目的のメッセージ画面を開く。そこには「ゲーム内フレンド宛送信」と「リアルフレンド宛送信」という二つの項目があった。
「あー、良かった……」
思わず安心の吐息が漏れる。
メニュー画面の出し方と、メッセージの送り方。とりあえず、この二つは解決した。
ふと、ステータス画面が気になった。
もしかしたら、そこに自分のキャラの顔が表示されているかもしれない。ランダム生成で決まってしまった、まだ見ぬ自分の姿。
けれど、指がその項目に触れそうになった瞬間、思いとどまった。
ゆうちゃんに感想を聞くまで、見るのはやめておこう。
どんな姿になっていても、一番最初に見てもらいたい。そう決めて、自分は先へ進むことにした。
狭い通路を、今度は壁にぶつからないよう慎重に進んでいく。やがて出口が見えてくると、その先には眩いばかりの光が溢れていた。
噴水だ。路地裏から開けた場所へと出ると、目の前にはかなり大きな噴水があった。
周囲にはNPCや、様々な装備に身を包んだ冒険者たちが大勢行き交っている。それぞれが好きな方向へ歩き、中にはメニュー画面を操作している人もいれば、噴水の前でぼーっと立っている人もいる。
どうやら、ここが待ち合わせ場所として使われているらしい。
「よし、ここで待ち合わせしよう」
噴水の前まで歩いていき、再び意識を集中させてメニュー画面を呼び出す。そして「リアルフレンド宛送信」を選択した、その時だった。
「えっ?」
ログイン中の一覧の中に、見慣れた二文字を見つけた。
『妹』
「あいつもやってるのか……」
よりによって、ゲームに妹までログインしているとは。一瞬、メッセージを送って呼ぼうかとも思ったが、今はそれどころじゃない。
ゆうちゃんとの合流が最優先だ。あいつのことは、とりあえず放置しておこう。
自分はゆうちゃんにだけ「噴水前にて待つ」とメッセージを送信した。それからメニュー画面をいじりながら、そわそわとした気持ちで時間を潰す。
返事が来るか、それとも本人が直接現れるか。
それを待ちながら、自分は噴水の側でじっと立ち続けた。




