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夫よ!殺しに行くから待ってろよ!~VRゲーム内にて夫をキルしに行く話~  作者:


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30/30

第30話 兄貴の頼み(10) 閉店作業

 夕方。


この店は外から中を見るための窓が一切ない構造になっている。そのため、ふとカウンターの壁に掛けられた時計を確認して、初めてすっかり夕方の時間になっていたことに気がついた。


店の中に差し込む光がない分、時間の経過が分かりづらい。


~♪


静まり返った店内に、澄んだ鈴の音が鳴った。


また客か。


 正直なところ、慣れない接客業をこなしたせいで今日の分の気力はもう使い果たして疲れていた。だが、これも全ては後で手に入る極上タルト三種のためだ。


俺は軽く伸びをして、すぐに張り付いたような店員らしい営業スマイルの顔を作る。


「いらっしゃいませ――」


「おう、お疲れさん」


低い男の声が返ってきた。


初対面の店員に対するプレイヤーの物言いにしては、妙に馴れ馴れしい。


不審に思って顔を上げる。

そこに立っていたのは、黒髪短髪の落ち着いた雰囲気の男だった。年齢は三十前後だろうか。服装も、さっきまで見ていた初心者たちの装備とは明らかに違い、どこか洗練されて見える。


ゲーム内での見覚えは全くない。


だが。


「……兄貴か?」


男はわずかに口角を上げて不敵に笑った。


「正解」


さっきまで薄黄緑色の髪をした女主人の姿で店に立っていたやつとは、性別も体格もまったく違う。まとっている空気がまるで違っていた。


「上層部でのパッチ当てが完了してな。システムが完全に復旧した」


兄貴は短くそれだけ言った。


俺は呆れたように肩をすくめる。


「いきなり来てそれだけかよ。少しは労いの言葉とかないわけ?」


「これから営業終了処理をする。お前に貸し出していた連動用の水晶をこっちに出せ」


「ああ、これな」


俺はポケットから手のひらサイズの魔法水晶を取り出し、兄貴に渡す。

それを受け取った兄貴は、空中にシステム管理用の端末ウィンドウを開き、素早く指を走らせた。


カチリ、と小さな電子音。

店内の照明がわずかに落ちて暗くなる。


『本日のマリアージュの店の営業は、全て終了いたしました』


店内スピーカーから自動音声が流れ、同時に入口の重いドアがロックされる音がした。


「よし、確認に行くぞ」


兄貴に顎で促され、俺たちは店の奥にある休憩室へ向かう。

木製の扉を開けると、裏路地に面した小さな窓から、夕日の赤い光が細く差し込んでいた。


 茶色いソファの上に、ずっとぐったりと横たわったままだった女主人NPC。

先ほどまでは死人のように青白かった彼女の顔色は、パッチの適用によって今は自然な人間らしい血色に戻っている。


兄貴が手にした水晶を、彼女の身体の上へとかざした。


「本日分の一時営業ログ、監視記録、音声データを全て統合。店舗管理コアへ再同期を実行」


兄貴のシステムコマンドに応じて水晶が淡く青い光を放ち、その細い光のラインが女主人NPCの胸元へと吸い込まれていった。


 数秒の静かな沈黙。


そして。


彼女の指先がピクリと動いた。

ゆっくりと胸が上下して呼吸を刻み始め、閉じていたまぶたが微かに震える。

彼女は静かにその目を開けた。


「……あれ?」


 最初は焦点の合わなかった瞳が天井を映し、やがて室内に立つ俺たちの姿を明確に捉えた。


「私、少しの間だけ眠ってしまっていましたでしょうか?」


「本日のマリアージュの店の営業は、システム規定に基づきすでに終了している。体調ログに軽微なエラーが出ていたが、現在はすべて正常だ」


兄貴の言葉を聞いた女主人NPCは、一瞬だけ申し訳なさそうに目を伏せる。


「そうでしたか……ご迷惑をおかけしました」


 何事もなかったかのような自然な動きでソファの上に起き上がる。ぎこちなさは一切ない。完全復旧だ。


そして、彼女は俺の方をまっすぐに見つめた。


「本日は急な店番のご対応、誠にありがとうございました」


丁寧に、深々と頭を下げられる。

……え、待て。こいつ、俺が店番をしていた間の出来事を覚えているのか。


「いや、まぁ……俺はただの代理なんで」


「おかげさまで店舗評価の低下はありませんでした」


彼女は顔を上げ、柔らかく微笑む。

その細やかな表情の作り方は、さっきまで兄貴が中身として使っていた“女主人”のビジュアルと全く同じはずなのに、漂う気品がまるで本物の別人のように見えた。


兄貴が空中の端末をパチンと閉じる。


「業務終了だ。明日の開店準備は通常スケジュールに戻せ」


「承知いたしました。お疲れ様でした」


 女主人NPCは静かに一礼する。

兄貴は軽く頷くと、俺に鋭い視線を向けた。


「行くぞ」


店の入口へ向かうのかと思った、次の瞬間だった。

兄貴が何もない空中に、見たことのない漆黒のフレームで縁取られた小さなウィンドウを開く。一般プレイヤー用とは明らかに違う、管理者用のUIだ。


「――管理者権限、個別領域への強制転移」


視界が一瞬、凄まじい白に塗りつぶされた。

足元の床を踏みしめていた確かな感触が、嘘のようにフッと消え去る。


次の瞬間、耳に届いたのは完全な無音だった。

そこは何もない広大な空間だった。白でも黒でもない、どこまで行っても境界線の存在しない不思議な場所。


ただ自分たちの足元の床だけが淡く光を放っており、そこに俺と、いつの間にか現実の容姿そっくりに戻っている兄貴の二人がぽつんと立っている。


「……ここどこだよ。まだゲームの中か?」


「GM専用管理領域だ。プレイヤーも、システムAIのNPCすら設定上絶対に入れない隔離スペースだ」


兄貴は手元の端末を完全に非表示にしながら言う。


「全体ログの外だ。運営の人間が、他人に聞かれたくない内密な話をするためだけに使う場所だな」


なるほど。オンラインゲームの裏側ってやつか。

俺は緊張をほぐすように、軽く肩を回す。


「それにしちゃ、なんか随分と殺風景な場所だな」


「余計なグラフィックの装飾は処理の邪魔になるからいらん。ここはただの仕事場だからな」


空間を、耳が痛くなるほどの静寂が支配する。

兄貴は腕を組み、いつになく真剣な目で俺の様子をじっと見つめてきた。


「で、実際に一日、あの店で店番をやってみてどうだった?」


「いきなり本題かよ」


「無駄な雑談ならログアウトした後の現実でいくらでもできる。今は時間を無駄にしたくない」


 相変わらず身内には冷たいビジネスライクな態度だ。だが、今の兄貴が完全に本気の仕事モードに入っていることくらいはすぐに分かった。


俺は小さくため息を吐き出す。

ここから先は、ただの気楽な兄弟の時間じゃない。この世界の運営開発と、それを見極める専属テスターとしての、本気のヒアリングの時間だ。

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