第27話 兄貴の頼み(7)助っ人決定
兄貴の口から淡々と語られた説明によると、状況は俺の最悪の予想とは少しだけ違っていた。
ソファに横たわっているこの女性アバターは、現実の人間ではない。この店を切り盛りしているはずの、純粋なシステム側のNPCだった。
今日の正式サービス開始のわずか三時間前、運営側で見つかった突発的な仕様バグの影響によって、現在彼女の機能は完全に停止しているらしい。
兄貴の話では、彼女の他にも街の近隣に住む五歳から八十歳までのNPC、およそ五十人に同様のシステム不具合が確認されているという。
とはいえ、他のNPCたちの症状はごく軽いものだった。現実の風邪にかかったような挙動の乱れや怠さがプログラム上で再現されている程度で、会話もできるし意識もしっかりある。街の経済や住民の生活に大きな支障は出ていない。
だが。
「こいつ、この店主だけは完全に別格なんだよ」
兄貴が苦虫を噛み潰したような低い声で吐き捨てる。
彼女だけは、完全にシステムがシャットダウンしたかのような完全停止状態。システムからの応答は一切なく、管理者権限による強制的な再起動すら受け付けない。ログを追っても全て正常に処理されており、停止している理由が全くの不明なのだという。
しかもタチが悪いことに、このマリアージュの店は今日から華々しくオープンする予定の看板店舗だった。サービス開始直後からいきなり理由もなしに休業なんて不祥事は、会社として絶対に避けたい。かといって、まだ一般プレイヤーに原因究明の依頼という形で丸投げできる段階でもない。
兄貴は手元の仮想端末を素早く操作し、彼女のゲーム内における詳細な設定資料を空中へ表示させた。
両親は既に他界。
姉が一人いるが、一年前に結婚して二つ隣の街へと移住。現在妊娠四ヶ月。
同居家族はなし。
不測の事態の際に、身内に店を一時的に任せられるような予備の交友関係設定もなし。
「設定がリアルすぎんだろ……」
細部まで細かく書き込まれたテキスト群を眺めながら、俺は思わず唖然と呟いた。
ただのゲームの背景データ、賑やかしのためのシステムパーツとは到底思えない。まるで、この世界に本当に彼女だけの人生が、積み重ねてきた時間が存在しているみたいだ。
兄貴は小さく舌打ちをして、表示を消した。
「開発の上層部からは、夕方までには原因を特定して直すって言われてる。だからそれまでの間、運営の人間が代理で店番をして、その時のプレイヤーの反応や体験をレポートにまとめて提出しろってさ」
「は?」
「俺はこれから全体のバグ修正の立ち会いでクソ忙しい。だから、お前が代わりにやれ」
一切の迷いのない即答だった。
「引き受けてくれたら、報酬はルティカのタルトな」
……卑怯だぞ、兄貴。
「三種類、別の味な」
気がつけば、俺は自分から条件を上乗せして交渉していた。
面倒なことに巻き込まれるのは御免だから秒で断るつもりだったのに、あっさりと食べ物の誘惑に釣られてしまった。
実は、俺はかなりの甘党だ。そしてルティカのタルトは大好物だった。
だけどあの店、とにかく男一人じゃ死ぬほど入りづらいんだよな。
外観はパステルカラーのメルヘン全開。内装も漂う甘い匂いも可愛らしすぎて、時間帯を問わず常に女性客で溢れかえっている。普通の男が一人であの列に並んでテイクアウトするには、なかなかの社会的覚悟が必要になる。それを兄貴の奢りで、しかも並ばずに手に入れられるのは正直デカい。
俺の反応を見た兄貴が、こちらの弱みを完全に握った顔でニヤリと不敵に笑った。
「交渉決まりだな。よし、今日の夕方までお前が臨時の『マリアージュの店員』だ」
俺はもう一度、茶色のソファに横たわる動かないNPCへと視線を向けた。
穏やかに眠っているだけのような、綺麗な顔。けれど、システムログは完全に沈黙。エラーコードも吐き出さず、内部的には異常なし。
それなのに、ピクリとも動かない。
これって、本当にただのバグなのか?
ゲームの仕様としてはどこか不自然な、奇妙な違和感を胸の奥に薄暗く抱えながら。
俺は本日限定の頼もしい助っ人として、この謎めいた装飾屋の店番を引き受けることになった。




