第26話 兄貴の頼み(6)停止中の女主人
兄貴に腕を引かれるまま、薄暗い通路の突き当たりにあった木製の扉を開ける。その先に広がっていたのは、こぢんまりとした休憩室のような空間だった。
壁際には、大人四人ほどが並んで座れそうな、少し使い込まれた茶色の革製ソファ。中央には背の低いシンプルな木製のローテーブル。
そのテーブルの上には、中身が半分ほど残ったティーカップが一つと、白い小皿に乗せられたクッキーが三枚、ぽつんと置き去りにされている。
カップの飲み物からは、もう湯気が立っていない。おまけに部屋の空気自体がどこかひんやりと冷たく淀んでいる。
主が席を外してからずいぶんと長い時間が経過しているのは、素人目にも一目で分かった。
それにしても、妙に生活感がある。いや、最新AIが管理している部屋とはいえ、ゲームのグラフィックとしてはあまりにも生活感がありすぎる。
「おい修平。お前、なんでさっきからそれを見て見ぬふりして無反応なんだよ」
真横から飛んできた兄貴の苛立った声で、俺はハッと我に返った。
言われるがまま、俺はこれまで意識的に外していた視線を、部屋の主役であるはずのソファの方向へと渋々向けた。そして、一秒と耐えられずにすぐさま視線を斜め上へと逸らす。
「……あえて見ないようにしてたんだよ」
「はぁ? なんでだよ」
「だって、あれ、どう見ても息をしてなさそうだし」
茶色のソファの上に、ぐったりと力なく横たわっている存在。
そこにいたのは、今俺の目の前で腕を組んでいる兄貴と、顔立ちも、薄黄緑色のウェーブがかった髪も、着ている衣装すらもまったく同じ姿をした、もう一人の大人の女性だった。
肌は血の気が引いたように青白く、瞼は固く閉じられたままで微動だにしない。胸元が上下に動いている気配もなく、まるで精巧に作られた蝋人形のようだ。
目の前の兄貴のアバターと、完全に同一の存在。まるで鏡の向こうの自分をそのままコピーして、そこにデッドコピーとして置いてきたかのように。
「おい兄貴。お前、とうとう一線を越えて人を……」
「そんな物騒なことしてねぇし!」
俺の不穏な邪推に、即座に兄貴からの激しいツッコミが飛んでくる。
「じゃあ、なんでこんなおぞましいことになってんだよ」
俺はソファに横たわる、動かないもう一人の女性アバターを顎で示しながら問い詰めた。
部屋を包み込む空気が、目に見えてずっしりと重くなっていく。さっきまで店内で繰り広げていた、ネカマだ何だと騒いでいたお気楽な軽口が、まるで遠い昔の嘘みたいだ。
これは、ゲームの仕様の一環なんて生易しいものじゃない。どう見てもただ事ではないトラブルが起きている。
兄貴は一瞬だけ、自分の足元に悔しそうな視線を落とした。そして、いつになく低く、ひび割れたような真剣な声でこう呟いた。
「……だから、一般のプレイヤーじゃなくて、身内のお前を呼んだんだよ」




