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応急処置でした

馬車の中は、静かだった。


夜の闇が窓の外を流れていく。

車輪の音だけが、規則的に響いていた。


向かいに座るアルシオンが、ふっと笑う。


「君さ」


軽い声。


「ちゃんと奴隷君に外泊許可、取ったの?」


ノエルの眉が、ぴくりと動く。


「その言い方、やめていただけますか」


視線を向ける。


「ルーク、という名前があります」


間。


アルシオンは、面白そうに目を細めた。


「で、取ったの?」


「……取ってません」


即答だった。


「だろうね」


くすっと笑う。


「アルヴェルに聞いたよ。あの子、すごい過保護なんでしょ?」


楽しそうに続ける。


「帰ったら、激怒すると思うなー」


ノエルは、少しだけ視線を逸らした。


「……まさか、ここまでかかるとは思っていなかったんです」


ぽつりと零す。


「当日戻る予定だったので」


「へぇ」


アルシオンが、わざとらしく頷く。


それから、少しだけ身を乗り出した。


「じゃあさ」


一拍。


「男と四日間、密室にいたなんて」


にやりと笑う。


「想像もしてなかったわけだ」


「……その言い方」


ノエルの声が、低くなる。


アルシオンは気にしない。


「僕は楽しかったけどね」


さらりと言う。


「可愛い君の寝顔、独り占めできたし」


 


一瞬。


 


空気が、張る。


 


ノエルの目が、すっと細くなる。


「……最低ですね」


「褒め言葉かな?」


「違います」


即答。


間。


アルシオンが、ふっと笑う。


「僕ね」


何気ない調子で。


「君のこと、結構好きみたいだ」


 


沈黙。


 


ノエルは、ため息をついた。


「私は嫌いです」


 


間髪入れず。


 


アルシオンが、肩を揺らして笑う。


「ひどいなぁ」


「事実です」


「僕、王子だよ?」


ノエルは、ちらりと見る。


「第三王子でしょ?」


一拍。


アルシオンが、声を出して笑った。


「いいね、その感じ」


「やっぱり君、面白い」


 


やがて。


馬車が、ゆっくりと止まる。


「着きました」


御者の声。


見慣れた店の前。


ノエルは静かに立ち上がる。


「送っていただき、ありがとうございました」


形式通りに頭を下げる。


そのまま、扉へ手をかけた――その瞬間。


「ノエル」


呼ばれる。


振り返った、その一瞬。


 


――ぐいっ。


 


腕を引かれた。


「っ」


体が、引き寄せられる。


近い。


息が触れそうな距離。


逃げる前に。


 


首元に、柔らかな感触が落ちた。


 


一瞬。


 


ほんの一瞬なのに。


 


心臓が、強く跳ねる。


 


(……なに、これ)


 


離れたあとも。


 


そこだけ、熱が残った。


 


アルシオンは、何事もなかったように距離を戻した。


「応急処置」


軽く言う。


「回復魔法、使えるんだよ」


一拍。


「光魔法ほどじゃないけどね」


ノエルの指先が、そっと首元に触れる。


さっきの場所。


まだ、消えない。


 


ほんのわずかに。


 


呼吸が乱れていた。


 


「……突然すぎます」


静かに言う。


アルシオンは、くすっと笑った。


「そんな顔もするんだ」


ノエルの視線が、鋭くなる。


それ以上は言わない。


そのまま、馬車を降りる。


足早に、店へ向かう。


 


後ろでは。


アルシオンが、窓越しにその背を見ていた。


ひらひらと、手を振る。


そして。


ぽつりと。


「……思ったより」


小さく笑う。


「君のこと、大好きみたいだ」


その声は。


夜の中に、静かに溶けていった。

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