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馬車の中は、静かだった。


外の喧騒が遠ざかり、車輪の音だけが一定のリズムで響いている。


ノエルは、窓の外をぼんやりと見ていた。


まだ少しだけ、胸の奥が熱い。


――泣いた後の、あの感覚が残っている。


 


「どうだった?」


 


向かいに座るアルシオンが、気軽な調子で口を開いた。


 


ノエルは一瞬だけ間を置いてから、視線を戻す。


 


「……事前に言っていただけたら、嬉しかったです」


 


少しだけ、頬を膨らませる。


 


アルシオンは、くすりと笑った。


 


「言ったらサプライズにならないでしょ」


 


肩をすくめる。


 


「ねぇ、それより」


 


少しだけ、身を乗り出す。


 


「途中、どこ行ってたの?」


 


「え”!?」


 


思わず変な声が出る。


 


アルシオンは楽しそうに目を細めた。


 


「アルヴェル、元気だった?」


 


「……なんで知ってるんですか?」


 


警戒が、じわりと滲む。


 


アルシオンは、さらりと言った。


 


「俺、王子だよ?」


 


一拍。


 


「君のことなら、なんでも知ってる」


 


にこりと笑う。


 


「怖い」


 


即答だった。


 


アルシオンは肩を揺らして笑う。


 


「アルヴェルさ」


 


ふと、声の調子が変わる。


 


「君と婚約破棄してから、仕事人間が悪化したんだよ」


 


ノエルの瞳が、わずかに揺れる。


 


「……そうなんですか」


 


小さく、呟く。


 


アルシオンは、その反応を見逃さない。


 


「あ、そうだ」


 


ぱっと明るく言う。


 


「僕と婚約する?」


 


あまりにも軽い。


 


「そしてさ」


 


にやりと笑う。


 


「アルヴェルのあの仏頂面、ぶっ壊そうよ」


 


「そんなこと言ってたら、アルヴェル様に嫌われますよ」


 


呆れたように返す。


 


アルシオンは、さらっと言った。


 


「嫌われてるから大丈夫だよ」


 


「……え?」


 


一瞬、言葉が止まる。


 


「それに」


 


ノエルは少しだけ眉を寄せる。


 


「アルヴェル様、普通に笑ったりしますよ?」


 


アルシオンは、ふっと笑った。


 


「それは」


 


一拍。


 


「君だからだよ」


 


静かに、言い切る。


 


ノエルの呼吸が、わずかに止まる。


 


言葉が、返せない。


 


そのまま――沈黙。


 


馬車の揺れだけが、続く。


 


やがて。


 


ゆっくりと速度が落ちる。


 


「着きました」


 


御者の声。


 


扉が開く。


 


見慣れた店の前だった。


 


ノエルは静かに立ち上がる。


 


「送っていただき、ありがとうございました」


 


軽く頭を下げる。


 


アルシオンは、窓越しにこちらを見たまま。


 


「じゃあさ」


 


ひらひらと手を振る。


 


「婚約の話、考えといてね」


 


「嫌ですよ」


 


即答。


 


間髪入れず。


 


アルシオンは、楽しそうに笑った。


 


「だろうね」


 


それだけ言って。


 


馬車は、静かに動き出した。


 


去っていく音。


 


ノエルは、その背を見送る。


 


ほんの一瞬だけ。


 


胸の奥が、わずかにざわついた。


 


――その理由には、まだ気づかないまま。


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