その夜だけは、夢を見なかった
夕食は、いつもより賑やかだった。ノエルが台所に立つだけで空気が変わる。使用人たちもどこか浮き足立っていて、笑い声が絶えなかった。
「ほら見てて。半年ぶりでもちゃんとできるから」
そう言って、ノエルは包丁を握る。――だが、わずかに震えた。ほんの一瞬。気づかない者もいるだろう。けれど、ルークの視線はそこから外れなかった。
「……あはは、ちょっと鈍ってるかも」
何事もなかったみたいに手を動かす。その背中が、少しだけ小さく見えた。
食卓でも、ノエルは明るかった。笑って、話して、いつも通りに振る舞う。だが、スプーンを持つ手、呼吸の間、ほんのわずかな遅れ――全部、見えていた。
「……美味しい?」
「ああ」
アルヴェルが短く返す。それ以上は言わない。だが、喜んでいるのは分かった。
一拍。
アルヴェルがゆっくりと箸を置く。
視線が、ノエルに向く。
「……礼を言う。父を――救ってくれた」
低く、短い言葉。
それだけだった。だが、その一言は重かった。
その視線は、一瞬だけどこか遠くを見ていた。
食卓の空気が、わずかに静まる。
ノエルは一瞬だけ目を瞬かせ――すぐに、くすりと笑った。
「そうね。“価値のある人間”ですから、ちゃんと役に立ててよかったわ」
ほんの一瞬だけ、その笑みが揺れた。
軽く肩をすくめる。
「まあ、その代わりに半年間眠ってましたけど」
空気が、わずかに揺れる。
軽いはずの言葉。けれど、その奥にあるものを――誰もが感じ取っていた。
アルヴェルは何も言わない。ただ一度だけ、静かに頷いた。
それが、すべてだった。
⸻
夜。廊下の灯りが、静かに落ちていく。ノエルの部屋の前で足を止める。
「ルーク、もう下がっていいよ」
「……かしこまりました」
一度そう返す。――だが、扉を開けた。
「え?」
振り返るノエルをよそに、ルークはそのまま中へ入り、ベッドへ向かう。
「ちょ、ルーク?」
どさりと横になる。
「もう一歩も歩けない。ここで寝る」
「え!? 大丈夫!? 具合悪いの!?」
慌てて近づいてくる。
「自分の部屋行った方が――」
「お隣、どうぞ」
平然と。
ノエルが固まる。
「……でも、疲れてるなら私ソファで――」
「だめ」
即答。間を置かず腕を伸ばす。ぐい、と引き寄せた。
「きゃっ――」
そのままベッドに引きずり込む。距離が一気に近くなる。
「……ルーク」
戸惑いの声。
いつもは自分から潜り込む側なのに――こんなふうに、ルークから引き寄せられるのは初めてだった。
沈黙。すぐ隣で呼吸が重なる。
「……半年」
ぽつりと落とす。
「ほとんど眠れなかった。目、覚まさなかったらどうしようかって……ずっと考えてた」
ノエルの表情が変わる。
「……ごめんね」
ルークは視線を向けないまま続ける。
「もう怪我しないように、閉じ込めておきたい」
「なにそれ」
くす、と笑う。少しだけ柔らかくなる空気。
やがて、ノエルの呼吸がゆっくりと落ちていく。規則的に、静かに――眠った。
ルークは横を向き、その顔を見る。
「……無理してたな」
小さく呟き、手をかざす。淡い金色の光が、静かに滲む。光魔法。目には見えないほど優しく、削れたものを少しだけ繋ぐ。
やがて光は消えた。
ルークはそっと体を寄せる。逃がさないように、壊さないように。
ほんの一瞬、躊躇うように指先が止まる。
それでも――触れるように、額へ唇を落とす。
「……よかった」
その声は、誰にも聞かれないほど小さかった。
そのまま目を閉じる。
その夜だけは、夢を見なかった。




