守られていたのは、私たちでした。
空から、二つの影が落ちてくる。ゆっくりと。まるで糸が切れた人形のように。地面に触れる直前、わずかに減速し――ドサリ、と音を立てて着地した。衝撃で土が舞う。しばらく、動かない。
静寂。風が、遅れて吹いた。
「……っ、は……」
先に動いたのはノエルだった。仰向けのまま、空を見上げる。視界がぼやける。呼吸が、うまくできない。体の感覚が、ところどころ消えている。
「……最悪」
小さく呟く。
隣で、ルークも荒く息を吐いていた。
「……生きてるか」「ぎりぎり」
間。二人とも、しばらく動かない。
やがて、ノエルがふっと笑った。
「……報酬、たくさんもらわなきゃ」
かすれた声。それでも、いつもの調子。
ルークが目を閉じたまま答える。
「そうだな」
短く。それだけ。それが、何よりも“いつも通り”だった。
少しの沈黙のあと、ノエルがぼそりと続ける。
「……ゴーレム維持する力も、全部使ったから。あの怪我人ども、来たら最悪ね。こんな姿、見られたくなかった」
遠くから、足音が近づいてくる。騎士たち。誰もが息を呑んでいた。あの空の光景を見たあとで、地面に転がっているのがこの二人だと、信じられない。
レオニードは、ゆっくりと歩み寄る。視線を外さない。ボロボロだった。血に濡れ、服は裂け、呼吸も安定していない。それでも、二人は笑っている。
「……お前たちだけで」
言葉が、続かない。何を言えばいいのか、わからない。ただ一つ、確かなことだけが胸に残る。
守られた。自分たちは。
その後ろで、小さな影が一歩前に出た。白い衣のルミエラが、じっと見ている。
「……あれが」
小さく、呟く。
「……お姉様」
迷いのない呼び方。知っている名前。だが――
「お父様とお母様から聞いていた話と、全然違う……」
その声は震えていた。
使えない、意味のない存在だと聞いていた。なのに、目の前にいるのは、息も絶え絶えで、血だらけで、それでも笑って、みんなを守ってくれた人。
ノエルは、その声に気づいていた。だが、目を閉じたまま、何も言わない。
代わりに、ルークが小さく息を吐いた。
「……あとで、ちゃんと名乗れよ」
ぼそりと。
ノエルが、わずかに笑う。
「……無理。こんな血だらけの顔、見せたくないもの」
その言葉を、ルミエラは聞いていた。ぎゅっと手を握る。胸の奥が締め付けられる。
一歩、踏み出す。
近づこうとする。
「――ルミエラ様」
低い声が、それを止めた。レオニードだった。
「今は、近づくべきではありません」
ルミエラの足が止まる。それでも目は逸らさない。涙が、頬を伝う。
初めて会ったはずなのに。遠くにいたはずなのに。どうしてか、わかってしまう。この人が、ずっと自分を守っていた人だと。
「……お姉様」
その呼びかけと同時に――
どくん。
一瞬だけ、呼吸が止まる。
心臓ではない。
もっと奥で、“何か”が脈打った。
ノエルの指先が、わずかに震える。
だが、その違和感を確かめるより先に。
意識が、ふっと途切れた。
力が抜け、体が沈む。
「――おい」
ルークが即座に腕を伸ばし、崩れ落ちる体を受け止める。
「……限界かよ」
舌打ち混じりに呟き、そのままそっと地面へ横たえ、手をかざす。
「――光よ」
淡い光が広がる。柔らかく、優しい光。裂けた皮膚を塞ぎ、流れ続けていた血を止めていく。だが、完全には戻らない。ルークは、それを理解していた。
「……やりすぎだ、馬鹿」
小さく吐き捨てる。それでも、その手は止めない。少しでも、この先に繋げるために。
やがて光が静かに消えた。ルークは一度だけノエルの顔を見る。血に汚れている。それでも、ほんのわずかに安らいだ表情。
「……ったく」
小さく息を吐き、迷いなく抱き上げる。軽い。あまりにも。それが、逆に胸に刺さる。
立ち上がる。振り返らない。そのまま歩き出す。
誰も、声をかけられなかった。道を、開ける。ただ、それだけしかできない。
そのとき、一歩前に出た影があった。アルファード・アルディオン。第二王子にして第一騎士団長。彼は、まっすぐに二人の背を見据える。
一瞬の沈黙。そして――ゆっくりと膝をついた。
その場の空気が凍りつく。誰も、動けない。
「……感謝する」
静かな声だった。だが、その一言は何よりも重かった。
続いて、騎士たちも次々と膝をつく。それは命令ではない。ただ、自然に。そうせずにはいられなかった。
その光景を、ルミエラは立ったまま見ていた。何も言えない。言葉が出てこない。ただ、遠ざかっていく背中を見つめる。
呼びたい。引き止めたい。聞きたいことが、たくさんある。なのに、足が動かない。声が出ない。ただ――見送ることしか、できなかった。
やがて、その背中が森の奥へ消える。完全に見えなくなる。
静寂。風が、吹いた。
ルミエラは小さく息を吸う。
「……お姉様」
もう一度だけ。誰にも届かない声で、そう呟いた。




