騎士団を救出しましたが、本命はこの先でした。
魔素の森の手前で、二人は馬を降りた。空気が変わる。重い。肌にまとわりつくような、濁った気配。ルークが手綱を木に結ぶ。ノエルは一歩、森へ足を踏み入れた。踏み入れた瞬間、地面がわずかに軋む。
歩き出す。すぐに、異様さは現れた。
血。乾いたもの、まだ湿り気を残すもの。至る所に飛び散り、染み込み、道を汚している。
ノエルは一瞬だけそれを見て――視線を外した。
「修行が嫌で、魔素が出てる洞窟に逃げ込んでて良かったわね。意外とへっちゃらだわ」
「気分は良くないけどな」
ルークが肩をすくめる。だが、足は止まらない。さらに奥へ。
空が、開けた。
そこに“それ”はいた。巨大な樹。だが、ただの木ではない。うねる幹。脈打つように膨らむ表皮。無数の蔦が蠢き、捕らえた人間をぐるぐるに巻き上げている。吊るされたままの人影が、微かに動く。吸われているのだ。魔力を。生命を。
その下。地面が裂けるように、異形が這い出る。歪んだ四肢、濁った瞳。理性の欠片もない、魔素に侵された魔物たち。
ノエルが、軽く首を傾げた。
「どっちいく?」
「どっちでも」
即答。
「じゃあ、私上行く」
「じゃあ俺、下」
視線が合い、パン、と軽く手を打ち合わせる。
次の瞬間、ノエルが地面に手をついた。
「――起きなさい」
低く呟くと、地が鳴る。ゴゴ、と音を立てて大地が隆起し、三体の巨躯のゴーレムが同時に立ち上がった。一体は跳躍して蔦に絡め取られた人間へ。もう一体は迫る蔦を無造作に掴み――引きちぎる。そして最後の一体が、ノエルをその肩へと乗せた。
高みから見下ろす。
「遅いわね」
冷静な声。襲いかかる蔦。だが、ゴーレムの腕が振るわれるたび、空間ごと叩き潰す。バン。バン。圧倒的な質量。
一方、ルークはすでに動いていた。一歩、踏み出す。
「――光よ」
瞬間、白。視界が焼き付く。放たれた光は一直線に魔物を貫き――次の瞬間には、すべてが崩れていた。音すら遅れてやってくる。残っているのは、静寂だけ。
ルークは軽く息を吐いた。
「ねぇ、もう終わったけど」
振り返る。ノエルはまだ上にいた。
「こっちは一人一人助けてるの。魔力操作、けっこう大変なのよ?」
ゴーレムが最後の一人を地面へ降ろす。ノエルはそのまま軽やかに飛び降りた。
「そっち、雑すぎ」
「効率重視」
「性格出てるわね」
「お互い様だろ」
軽口。だが、その足元には圧倒的な結果が転がっている。
森の奥から、さらに濃い魔素が流れてくる。
本番は――まだ先だった。
⸻
「とりあえず、この人たち回復させて」
ノエルがさらりと言う。
「この人数?」
ルークは周囲を見渡し、わずかに眉をひそめた。
「多いよ」
「だって、ほっといたら死んじゃうよ?」
当たり前のように返す。
ルークは小さくため息をついた。
「……はいはい」
手をかざす。
「――光よ」
淡い光が広がる。柔らかく、それでいて確かな力。光は一人、また一人と包み込み、傷を塞ぎ、失われかけた命を引き戻していく。
やがて。
「……っ」「ここは……」
次々と目が開いた。
ノエルがぱっと顔を明るくする。
「あー起きた!」
そのまま一人を覗き込む。
「レオニードおじさん、ボロボロ」
軽い口調。だが、覗き込まれたレオニードの瞳が見開かれる。
「……なんで、お前たちが」
掠れた声。
ノエルは肩をすくめた。
「王命よ」
その一言で、レオニードの動きが止まる。言葉を失ったように、ただ見つめる。
ノエルはふっと笑った。
「大丈夫よ。利用されたりしないから」
軽口。だが、その裏にあるものを、彼だけは理解していた。
周囲では、騎士たちが次々と起き上がろうとしている。体は満身創痍。それでも、剣に手をかける。
「行か、ねば……」
その姿を見て、ルークがぽつりと呟いた。
「騎士ってすごいよな。あんなボロボロなのに、まだ行こうとするなんて」
ノエルも頷く。
「本当そうよね」
そのとき。
「あ」
視線が止まる。白い衣を纏った、小さな少女。ルミエラ。赤子の頃、見た姿が脳裏に重なる。
ノエルは何も言わなかった。ただ、地面に手をつく。
「――起きなさい」
大地が応える。二体の巨大なゴーレムが音を立てて現れ、その腕が広がり騎士たちを一人残らず包み込んだ。
「なっ――」「何をする!」
戸惑いと警戒の声。だが、ノエルは構わない。
ゆっくりと顔を上げる。
「わたしの名前は――ノエル・ヴァルグレイス。王命により、あなたたちを助けに来ました」
一拍。
「魔素の森から出て行ってもらいます」
拒否は許さない声音。ゴーレムが動き出し、騎士たちが運ばれていく。叫び声が上がる。
その中で、ルミエラと目が合った。ほんの一瞬。だが、ノエルはすぐに視線を逸らした。何も言わない。何も残さない。
「……いいのか?」
ルークが静かに問う。
「妹なんだろ」
ノエルは少しだけ笑った。
「こんなお姉ちゃんに、会いたくないでしょ?」
軽い声。だが、どこか遠い。
ルークは肩をすくめる。
「そう? 俺は、素敵だと思うけど」
ノエルがくすりと笑った。
「……ふふ、ありがとう」
そして、くるりと背を向ける。
「さ、邪魔者たちいなくなったところで――本命、行きますか」
一歩踏み出す。空気が変わる。その先にあるのは、まだ誰も踏み込んでいない領域。本当の“災厄”。
二人は、迷わずそこへ向かった。




