王命で魔素の森に向かうことになりました。
レオニードが出立してから、数日が経っていた。ヴァルカス邸には、珍しい来客があった。応接間。整えられた空間に、軽やかな声が落ちる。
「初めまして。アルディオン王国第三王子、アルシオン・アルディオンです」
にこやかな笑み。気負いのない声音。だが、その一言だけで、この場の空気がわずかに引き締まる。
「ノエル・ヴァルグレイスです。彼はルーク。私の執事です」
ノエルが淡々と名乗る。その背後で、ルークが一歩下がり、静かに頭を下げた。
ソファ。アルヴェルの隣にノエル。その向こう側に、アルシオンが腰を下ろす。距離は近い。だが、空気はそれぞれ違っていた。
「いやー、アルヴェルが婚約したって聞いた時は驚いたよ」
いきなり砕けた口調。王子とは思えない軽さ。ノエルが、わずかに目を瞬かせる。
「……そうですか」
短い返答。だが視線は、相手を測るように細められていた。
「だってさ、お前だぞ?」アルシオンはアルヴェルへ視線を向ける。「他人に興味ない、感情見せない、近寄るなオーラ全開のあのアルヴェルがさ」
「……言い過ぎだ」
「いや事実だろ」
即答だった。
ふっと視線がノエルへ移る。じっと、観察するように。
「へぇー。この子が、一人で厄災倒した子か」
空気が止まる。ノエルは表情を変えない。ただ、視線だけがわずかに動く。
「……よくご存知で」
「そりゃあな。王城でも噂になってる。ありえないってさ」
軽い言い方。だが、その目は笑っていない。
「まぁでも――」アルシオンは体を後ろへ預ける。「レオニードさんが、この子を最前線に行かせないで、お前と婚約させたわけだ」
「なるほどな」
アルヴェルの眉が、ほんのわずかに動いた。
「……何が言いたい」
「別に?ただ、納得しただけ」
再びノエルを見る。「これは確かに――放っておけないわけだ」
ノエルは何も言わない。ただ、静かに微笑んでいる。その笑みが何を意味しているのか、アルシオンはまだ測りかねていた。
「……面白い」
小さく呟く。空気がわずかに張り詰める。アルヴェルは何も言わない。ノエルもまた、何も言わない。ただ一人、アルシオンだけがその沈黙を楽しんでいた。
⸻
「ここで本題だ」
空気が変わる。先ほどまでの軽さは消え、アルシオンの声音が静かに落ちる。
「魔素の森に派遣した騎士団と、連絡が取れなくなった」
沈黙。アルヴェルの呼吸が、わずかに変わる。だが、表情は動かない。ノエルは何も言わない。ただ静かにその言葉を受け止めていた。
「これは王命だ。ノエル・ヴァルグレイス。そしてその奴隷、ルーク。騎士団と聖女の救出に、魔素の森へ向かってもらう」
「……本気か?」
低く、押し殺した声。アルヴェルだった。「彼女はまだ子供だぞ」
「その妹が、聖女として前線に出ている」
即答だった。言い訳はない。ただ、事実だけが置かれる。アルシオンの瞳は、もう笑っていなかった。
そのとき。
「まぁ」
くすり、とノエルが笑う。
「私をまだ子供扱いしていただけるなんて、ありがたいですわ」
軽やかな声音。だが、その奥にあるものは違う。
「で?」視線がアルシオンへ向く。「報酬は?」
迷いがない。アルシオンはほんの一瞬だけ目を細めた。
「王が、貴殿の願いを叶えると仰っている」
「なんでも?」
「あぁ」
空気が張り詰める。
「……何を考えている」
アルヴェルの声が落ちる。
ノエルはゆっくりと立ち上がった。ドレスの裾がわずかに揺れる。
「婚約の際――アルヴェル様は仰いましたわね。“価値がある限り、守る”と」
一歩、踏み出す。そのまま振り返り、真っ直ぐにアルヴェルを見据える。
「なら」
微笑む。柔らかい笑み。だがその奥にあるのは――冷たい決意。
「その“価値”というものを、手に入れてまいりますわ」
言い切る。迷いはない。揺らぎもない。
「……ノエル」
アルヴェルが名を呼ぶ。だが止めるには至らない。
ノエルはゆっくりと視線を外す。
「ルーク」
「はい」
「準備を」
「承知いたしました」
それだけで、すべてが決まる。
アルシオンは黙って見ていた。そして小さく息を吐く。
「……やっぱりな」
誰にも聞こえない声で。
――面白い、では済まない。そう理解していながら、それでもなお、この選択を止めなかった。




