父が帰ってきて、またすぐ戦場へ戻りました。
その日、第二騎士団長レオニード・ヴァルカスが屋敷に帰還した。
門前に立つ影は大きく、纏う空気が違う。長旅の疲れを感じさせないその姿に、使用人たちが一斉に頭を下げた。
その最前に立っていたのは、アルヴェルだった。
「父上、おかえりなさいませ」
静かに頭を下げる。
「ああ、ただいま」
低く、短い返答。だが、その声音には確かな重みがあった。
その隣から、ひょいと顔を出す。
「おじさ……じゃなかった。お義父様、おかえりなさい」
ノエルだった。
言い直しが明らかに遅い。
レオニードの眉がわずかに上がる。
「ほう。おじさんおじさんと呼んでいた君に、そんなことを言われるとはな」
「私だって大人になったのよ」
胸を張る。説得力はない。
そのやり取りに、くすりと小さな笑いが混じる。
「お父様、おかえりなさい」
リリアーナが、穏やかな笑みを浮かべて言った。
レオニードは一瞬だけ目を見開き、それから口元を緩める。
「……リリアーナが笑顔で出迎えてくれるとはな」
「失礼ですね」
やわらかな返し。
空気が、少しだけ和らぐ。
だが――
アルヴェルの視線は、父の背後に向けられていた。
騎士の数。装備の状態。帰還した人数。
足りない。
「……」
何も言わない。
ただ、事実だけを拾い上げる。
夜。
食卓には四人が揃っていた。
珍しい光景だった。
「今、魔素の森が活発でね」
レオニードが口を開く。
肉を切り分けながら、何でもないように続ける。
「聖女ルミエラ様が浄化を試みてくださる」
その名に、わずかに空気が変わる。
「ただ……魔素の影響で魔物たちが異様に活性化している。その護衛に当たることになった」
さらりとした説明。
だが、内容は重い。
「なかなか帰って来られなくなるだろうな」
リリアーナが、静かに息を呑む。
「それは……大変ですね」
「そうね」
ノエルが、あっさりと口を挟む。
「なかなか帰って来られないって、今も帰ってきてないじゃないですか」
空気が止まる。
レオニードが一瞬だけ目を細め、それから笑った。
「手厳しいな」
怒りではない。ただ、事実として受け止めている。
「危険ではないのですか」
アルヴェルが口を開く。
声音は平静。だが、視線は外さない。
「今回は過去に類を見ないほどだ」
レオニードは迷いなく答える。
「魔物の数も質も、これまでとは比べものにならん。……少々厄介になるかもしれん」
少々、という言葉と内容が釣り合っていない。
それを指摘する者はいない。
「……そうですか」
アルヴェルはそれ以上何も言わない。
ただ、フォークを持つ手が、わずかに止まった。
ノエルはその様子を横目で見ていたが、特に何も言わず、再び食事に戻る。
リリアーナは静かに視線を落とし、レオニードは何事もないように食事を続ける。
穏やかな食卓だった。
――表面上は。
誰も口にしないまま、確かな違和感だけが、そこに残っていた。
⸻
翌朝。
まだ夜の気配が残る刻、屋敷は静まり返っていた。
空は白み始めているが、陽はまだ昇りきらない。
門前に騎士たちが整列し、金属の擦れる微かな音だけが静寂の中に響いている。
その中央に、レオニード・ヴァルカスは立っていた。
すでに鎧を纏い、出立の準備は整っている。
「……」
振り返らない。
未練も躊躇もなく、ただ前だけを見据えていた。
そのとき、足音が一つ近づく。
「父上」
アルヴェルだった。
整った装い。だが呼吸はわずかに浅い。
「見送りは不要だと言ったはずだが」
レオニードは振り向かずに言う。
「承知しております」
短い返答。
しかしその場を去る気配はない。
一拍。
「……お気をつけて」
それだけだった。
余計な言葉はない。
感情も乗せない。
ただ事実として告げる。
レオニードは、わずかに目を細めた。
「当然だ」
それだけ返す。
そのやり取りを、少し離れた場所から見ている影があった。
ノエルとリリアーナだ。
「早いわね」
ノエルが小さく呟く。
「ええ……」
リリアーナの声はわずかに揺れていた。
やがてレオニードがゆっくりと歩き出す。
騎士たちが続く。
整然とした足音が石畳に響く。
誰も呼び止めない。
門を越え、背が遠ざかり、やがて完全に見えなくなった。
静寂だけが残る。
「……行ったわね」
ノエルがぽつりと呟く。
「ええ」
リリアーナは頷く。
その手は無意識に胸元で握られていた。
アルヴェルは何も言わなかった。
ただ門の先を見つめたまま動かない。
――足りなかった数。
昨夜拾い上げた事実が、頭の中で繰り返される。
そして。
「……」
何も言わず踵を返した。
朝日が、ゆっくりと昇り始めていた。




