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最適解に含まれない女が現れました

ーアルヴェル視点ー


執務室は静かだった。


書類の山。整えられた机。乱れはない。

すべてが、予定通りに進んでいる。


――そのはずだった。


手元の書類に視線を落とす。婚約届。

王都への届け出も完了している。手続きに不備はない。法的にも、政治的にも、問題はない。


完璧な一手だ。


ノエルという存在。厄災を抑えた実績。

そして、光魔法の保持者を繋ぎ止める手段。

すべてを考慮した上での――最適解。そこに迷いはない。


「……だが」


指先が、わずかに止まる。


思い出す。


「その人だけは、絶対に渡せません」


あの声音。揺れはなかった。だが、理屈でもなかった。


「価値の話ではありません」


眉が、ほんのわずかに動く。


価値ではない。では、何で動いている。

理ではない。利益でもない。


「……非合理だ」


小さく、吐き出す。


十五年。


観察し、選別し、切り捨ててきた。

必要なものだけを残し、不要なものは排除する。

それが、この家を守る方法だった。


感情は、判断を鈍らせる。

そう教えられてきたし、それで間違いはなかった。


――だからこそ、理解できない。


あの女は、何を基準に動いている。


守ると言った。だがそれは、利益のためではない。契約でもない。

それでも――嘘ではなかった。


「……厄介だな」


椅子にもたれ、視線を天井へ向ける。


排除する理由はある。だが、同時に排除できない理由もある。

それが、問題だった。


「十五年だ」


ぽつりと、呟く。


待った。最適な駒を。最適な機を。

そして、選んだ。


――はずだった。


視線を落とす。書類の上にある名前。


ノエル。


その文字が、妙に引っかかる。


「最適解、か」


小さく、笑う。


その言葉が、今は少しだけ軽く感じた。


 


――コン、と軽い音がした。


「朝も昼も夜も食事の時間に顔を出さないで、何をしているのかと思えば婚約届ですか」


顔を上げた瞬間、視界いっぱいにノエルがいた。机越しに身を乗り出し、こちらを覗き込んでいる。距離が近い。今日はルークの姿はない。


「ノックぐらいしろ」


「しましたよ」


「そうか」


短く応じる。確かに聞こえた記憶はないが、嘘をつく顔でもない。沈黙が落ちる。仕事の話ではない相手に、何を返せばいいのか一瞬だけ分からなくなる。


先に動いたのはノエルだった。手にしていた器を、当然のように机に置く。


「はい。スープです」


白い湯気が立つ。淡い色の液体に、小さく刻まれた具が沈んでいる。


「……なんだこれは」


「聞いてなかったんですか?スープです」


「中身だ」


「あー、なんのスープってこと?じゃがいも」


間を置かずに答える。ためらいがない。


「俺はじゃがいもが嫌いだ。下げてくれ」


「これ、私が一から作ったんですよ。村からじゃがいも送ってもらって、さっき作ったんです。食べてください」


「嫌いと言ったのが聞こえなかったのか」


淡々と返す。拒否の意思は明確にしたはずだった。


ノエルは少しだけ首を傾げ、それから大袈裟に息を吐いた。


「え?公爵様って、庶民が食べてるものを嫌いとか言うんですか。それで庶民を導けるんですか?」


「……論点のすり替えだな」


「食べればいいだけですよ」


即答だった。逃げ道を与えない声音。視線も外さない。


わずかに舌打ちしたい衝動を押さえ、スプーンを取る。これ以上のやり取りは無駄だと判断しただけだ。合理的な選択に過ぎない。


口に運ぶ。


――甘い。


じゃがいもの味ではない。だが、確かにじゃがいもだ。

舌に残るのは土臭さではなく、やわらかな甘みと、ほんの少しの塩気。


もう一口。


無意識だった。


顔を上げると、ノエルがこちらを見ている。


「……何だ」


「別に?」


ただ、楽しそうに笑う。


理解できない。だが、拒否もできない。


「忙しくても食事はとってくださいね。倒れたら困るので」


言い残して、あっさりと背を向ける。軽い足取りで部屋を出ていく。


扉が閉まる。


静寂が戻る。


机の上には、まだ湯気の立つ器。


しばらく、それを見ていた。


「……何なんだ、あいつは」


答えは出ない。


 


だが。


 


書類ではなく、器に手が伸びていた。


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