婚約にキレました
扉が閉まる音が、やけに重く響いた。
静寂。
さっきまであった気配が、すべて消える。
残ったのは――俺と、ノエルだけだった。
「……は?」
声が出た。
自分でも驚くくらい、低くて荒い。
「今の、何」
足が勝手に動く。距離を詰める。
逃がさないみたいに。
「婚約?」
笑えなかった。
「ふざけんなよ」
言葉が、止まらない。
「なんでだよ」
拳が震える。
一瞬、言葉が詰まる。
それでも、無理やり押し出した。
「……なんで俺じゃねぇんだよ」
空気が止まる。
ノエルは、ほんの少しだけ目を見開いた。
それから、ゆっくり息を吐く。
「ルーク」
その声は、いつもと同じはずなのに。
少しだけ、遠かった。
「落ち着いて」
「落ち着けるわけねぇだろ」
即答だった。
もう、取り繕う余裕なんてない。
「俺、ずっと隣にいたよな」
「ずっと一緒にいたよな」
喉が痛い。
呼吸がうまくできない。
「なんで今さら、他のやつのとこ行くんだよ」
一歩、踏み込む。
「俺、お前守るためにここまで来たんだぞ」
「なのに、なんで」
言葉が途切れる。
言いたいことが、うまく形にならない。
ノエルは黙って聞いていた。
一度も遮らずに。
そして。
「私が」
その一言で、空気が変わる。
ほんの一瞬だけ、視線が揺れた。
「ここで決めなきゃ」
小さく息を吸う。
「全部、奪われる」
その言葉は、静かだった。
「場所も、人も」
「……ルークも」
ルークの呼吸が止まる。
「離れるの、嫌なの」
わずかに視線が逸れる。
ほんの一瞬だけ。
すぐに戻る。
「だから、ここにいる」
ルークは何も言えなかった。
分かってしまったから。
「……は?」
今度の声は、弱い。
「それ、って」
喉が乾く。
「……俺のためって言いたいわけ?」
ノエルは、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「違う」
即答だった。
「私のため」
一瞬、間。
そのあと、少しだけ柔らぐ。
「でも」
「その中にルークがいるのは、当たり前でしょ」
ルークの思考が止まる。
何も言えない。
ノエルは、困ったように笑った。
「勘違いしないで」
一歩、近づく。
「手放すつもりなんて、ないから」
距離が近い。
逃げ場がない。
「守るために来たの」
その言葉は、まっすぐだった。
ルークは俯く。
握っていた拳が、ゆっくりほどけていく。
「……ずるい」
ぽつりと落ちる。
「そういうこと、平気で言うよな」
笑おうとする。
うまくいかない。
「じゃあ、俺はどうすればいいんだよ」
顔を上げる。
完全に揺れている目。
「隣にいろって言うのか」
「それとも、見てろって言うのか」
ノエルは少しだけ考えて。
当たり前みたいに言った。
「両方」
ルークの呼吸が止まる。
「隣にいて」
「全部、見てて」
優しい。
でも、逃げ場はない。
ルークは、しばらく黙った。
やがて、深く息を吐く。
「……ほんと」
顔を上げる。
「面倒くせぇ女」
それでも。
ほんの少しだけ、口元が緩む。
「――離れねぇけど」




