二章 十七丁 伝説の真偽
賊達は、断崖から蹴落とした者達を見張るために、各々が割り当てられた場所で待機していた。
だが、昼夜 辛抱強く行っていた監視を今は止め、滝に程近い崖際に寄り集まって、たった一人の男を大勢で取り囲んでいる。刀を使って脅しては崖へ追い込む、その殆どが、良い退屈しのぎを得たと嬉々した様子であった。
追い詰められているのは、鼠色の襤褸を纏った気弱な男で、名を漁太という。
「そんなっアニキ! ゆ…許してくだせぇ! だって…っ五日待っても鬼なんて出ないでしょう !? だったら梯子を降ろしてやってもいいんじゃねーかなぁ…って……」
崖がいよいよ間近に迫り、漁太は焦った。しかしこれ以上機嫌を損ねぬよう引き攣った笑みを絶やさず、目の前に立つ親玉へ訴える。
松明に照らされた親玉の顔は、あと一言でも気分を害せば、容赦なく人を殺めるほどの怒気を含んで漁太を見下している。
抜いた刀の棟で何度も己の肩を叩き、脅すように親玉が一歩踏み出せば、気の弱い漁太は身を跳ねて怯え、崖際へ一歩下がった。
弾みで右足が滑り、崖へ乗り出した身体を、両腕で平衡を保って事なきを得ても、危うく転落しかけた恐怖から立ち直れず、漁太は地面に蹲り、泣き声に近い情けない声を上げた。
そんな漁太を見るに見かねて、鉢巻きをした痩身の男、利吉が、親玉の前へ割り込んだ。
「許してやりましょうよっ! きっと鬼なんていないんですよ!」
漁太を庇う利吉を見て、親玉は不機嫌な面を一層歪めた。
「だからそれをお前等に見て来いって言ってんだよ !!」
苛々と頭を掻き毟りながら親玉は声を荒げて、肘に触れた枝を刀で叩き折った。その暴状に漁太は縮み上がり、利吉の足下に縋る。
「付いていけねぇよっ!! もういいじゃねぇですか! 鬼なんて !!」
親玉の凄みに顔を強張らせてはいるが、利吉の大声には頑として漁太を見捨てぬ勢いがある。
「うるせぇ!! 誘き寄せる餌が足りねぇだけかも知れねぇだろうが! お前ら虫ケラの命で大金が手に入るんだ、とっとと行け !!」
飛び降りろと刀で脅す親玉の剣幕に、漁太と利吉は思わず身を引いてしまう。
その様子を後ろで眺め、小気味良く笑う子分達は、二人が逃げられぬよう取り囲む輪をじりじりと縮め、漁太達を更に崖際へ追い込んだ。
「む…無理です !! こんな高けぇ場所から落ちたら死んじまう !! アニキィッ!!」
目に涙を浮かべて利吉の足下に縋る漁太は、親玉へ必死に泣き込み、その叫び声は穴底にまで響いていた。しかし声は届いても、揉めている内容までは伝わっていない。
「何の話をしているのかな?」
ただならぬ雰囲気を察した少女は不安な面持ちで、腹が満たされて気持ちよさそうに寝転がる犬神へ尋ねた。
「知らん。 下郎共の事だ、碌な謀ではあるまい。 関わらぬ方がよい」
心底どうでもよいという有様で、犬神はさらに丸くなって欠伸をすると、その顔はうつらうつら、もう眠りに落ちようとしている。
「勘弁してくだせぇッ!!!」
利吉の恐怖を堪えたこの叫びだけは、一同にはっきりと聞こえた。次に悲鳴が起こり、何事かと再び 崖上 を見上げる。
親玉は利吉の胸を斬り付け、傷口を押さえてふらめいたところを蹴り飛ばし、崖下へ落としたのだ。
「なら死ね。 骸でも化け物の餌になれんだろうが」
親玉は冷然と吐き捨てると、返り血に汚れた凶悪な顔を、漁太へ向けた。
たった今、人を斬った者に睨まれては生きた心地はしないだろう。気の弱い漁太は恐怖で歯を鳴らし、全身を震わせて腰を抜かした。
相手に抵抗の意思がないにも関わらず、親玉は血の付いた刀を振り上げる。
悲鳴を上げて、後ろへ下がった漁太の背後にはもう足場がなく、足を踏み外した身体は、真っ逆さまに落ちていった。
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